ヒトバカリ
【ヒトバカリ】
なんとなくだ。なんとなくエロゲーを遊び尽くしたくなって、買い溜めてそのままにしていた作品の一つに手を付けた。
まあ、なんと言うか……物凄い良作だった。でもそれは、エロゲーとしてじゃない。シンプルに普通のゲームとして楽しめてしまった。ゲーム性もさながら、ストーリ最後でのカタルシス。
特に、主人公が何気なく冒頭のころに言っていたセリフが、ヒロインを救う展開に繋がるのは、こう……胸に来るものがあった。
キャラクターの扱い方も見事で、感情移入してしまうというか、心の底から救われて欲しいそう思ってしまった。
それこそ、本来の目的を忘れてしまうほどに。
あれは、抜きたい気分の時よりも純粋にゲームを楽しみたい時にプレイしたかった。
凄くよかったのにそうじゃないって感覚と、形容しがたいやりきれなさが残ってしまった。
要は溜まっているのだ。色々と。
そんな気分を変えるべく、俺は一人で、深夜のコンビニを目指していた。
コオロギと鈴虫が、歩道を通り辛くしているウザったい雑草の隙間から鳴き散らし、街灯の明かりには蛾が群がる。
涼し気な風が吹いていると思えば、コウモリが頭上を飛んでいく。
なんとなく足取りが重い。
そういえば、高校生くらいの頃は、このくらいの時間に外に出るのが怖かった気がする。別に不良がどうのとかではなく、もっとこう……オカルト的な。
「はぁ……そういえばそうだったな……馬鹿馬鹿しい」
俺は、明かりに群がる蛾の如く、コンビニの明かりの中へと吸い込まれていった。
「ありがとうございました」
こぎれいな背の低いおばちゃんから、有名店の紅茶とポテチ、アイスを買い付け帰路に就く。
普段は絶対に行かない某有名コーヒー店が出している、少し高めのフレーバーティー。コーヒーじゃないのかよと自分でも思う。
なんとなく、あのゲームの余韻にはコーヒーは合わない気がしてしまったのだ。
キャップをひねる。
プシュッと音が鳴っては、軽やかな甘い香りが口の中に広がる。甘酸っぱいシトラスの香りと、芳醇な白桃の甘さ。
ただ甘いだけじゃない、確かな酸味。これが後味をすっきりとそして独特な味わいを生んでいる気がする。
人によっては嫌いな後味だろう。でも、俺は好きだ。特に今の気分には合っている。
「うん、いいね」
さて、かえってポテチにアイスを付けながら貪り食って、そのまま堅い布団に寝転んで、暖かでフワフワした毛布にでも包まるとしよう。
そんなことを考えながら歩く。
カツカツカツ。
にしてもあのコンビニは、深夜になると人がいない。勿論たまたま、俺が立ち寄る時間には客がいないといった可能性もある。
カッカッカッ。
「……」
ふと立ち止まって見る。何故だかは分からない。何故だか、俺以外の足音も聞こえた気がしたのだ。
辺りを見回す。が、誰もいない。誰かが隠れている。と言った気配もない。
唾を飲み込む際に、少し風邪気味だった炎症を起こした喉に引っかかって、少し痛みとつかえを感じた。
脳裏に昔読んだ怪談の話が頭に過る。
――ヒトバカリ――
「……ふ……まさかな」
歩みを早める。
カツカツカツ。カツカツカツ。
カッカッカッ。カッカッカッ。
足を止める。
――――。
何故、そうしようと思ったのかは分からない。なんとなく、後ろに誰かがいるような気がした。だから振り返ろうと思った。
でも、今になって思う。それが……間違いだったと。
横を見て、前を見て、横を見て、前を見る。少しためらって、また前を見て。
意を決して振り返る――が、そこには誰もいない。
少しの安堵。胸が膨らみ、ゆっくりと撫でおろされる。
カッカッカッカッ。
前にいる。
全身から血の気が引いていく。なんとなく、なんとなく、前にいる。そう思うのだ。
足音が前を走っている。いや、歩いている。いや、やっぱり走っている。
目の前を移動する何かと距離が開けた。そう思うとすぐに元の場所へと戻ってきているのだ。
月は雲に隠れて見えない。光はただの街灯だけ。少し先を見つめても、同じように街灯が続くだけ。
違うのは、目の前を見えない何かが歩いているということだけ。
それも、俺の家を目指してだ。
脳が危険信号を発している。行くなと。歩くなと。引き返せと。
それでも謎の引力で、前を歩く何か目掛けて、この足が歩みを始めるのだ。
「いや、やばいやばいやばいやばい。くんなくんなくんな! 俺ん家に向かうんじゃねえよ」
姿勢を後ろへと倒す。それでも、曲芸師顔負けと言ったレベルのありえない体幹で、俺は前へと進み続けるのだ。
止まれと何度体に命令しても言うことを聞かない。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
そんなことを思いながら、歩きながら近くにあった街灯に手を伸ばし掴む。
カッカッカッカッカッカッカッ。
目の前の足音が強くなる。
カッカッカッカッ。
明らかに走っている。
タッタッタッタッタッタッタッ。
すぐ横に来ている。
腕が痛い。何かに腕を掴まれている。ギリギリと音を立てながら、爪を切っていないかのような細い手で、人間のそれじゃない力で、ぎゅっと掴まれている。
腕は赤くなり、指先がうっ血している。
それでも俺は、街灯を掴むのを止めない。ここで止めたら、きっと俺は無事じゃすまない。そんな気がするのだ。
「…………」
耳元で吐息が聞こえる。
「……ハぁ、はぁ、ハァ……」
「……!!」
冷や汗が首を伝う。そして何かは、その伝った汗を舐めてきた。ゾクリと背中に不快感が走る。
「ふふ……ふふふふふ…………チッ……」
笑い始めたかと思えば、最後にそれは舌打ちをして、いつの間にか消えていた。
俺は今がチャンスだと、無我夢中で家まで走った。
震える手で上手く刺さらない鍵で扉を開けて、走りこむようにして布団にくるまり身を震わせる。
そしてゆっくりとスマホに手を伸ばし検索を始める。
――お祓い――近所の神社――
「……ふふふ……見ーつけた」
「へ……?」
俺は、また失敗したらしい。
ひび割れたような眼球に、縦に細長い女性の頭。針金のように細い体にくっついた、人の手足はまるでバラバラ死体のようだった。
それが、こちらを向いて、にっぱりと裂けた口を開けて、こちらを見つめていたのだ。
ああ、俺は……振り返るべきじゃなかったし、走って帰るべきでもなかった。
俺は最後に思い出す。ヒトバカリが出たら、迷わず引き返せ。
ああ、俺は――全てを間違えた。




