姫、現場指揮で村をまとめる
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灰色の夜が、静かに明けていく。
焼け焦げた木の香りが、まだ空気の隅に残っていた。村の外縁には、崩れた遮蔽と散らばった石、そして動かなくなった異形の死骸たち――ゴブリンたちの痕跡が、まざまざと残っていた。
戦いは終わった。
だが、それはすなわち“始まり”でもあった。
「……じゃあ、指示出すね」
自分が倒れてから目を覚ますまでの報告を受けて、まだ顔色の優れぬエリューナ・シィリス――王女は、静かに立ち上がった。
昨夜、敵の最後の一矢が額を撃ち抜き、倒れた彼女を救ったのは、村人と侍女と護衛たちの迅速な手当と――奇跡的な運であった。
だが目を覚ました彼女の口から、最初に出たのは「痛い」でも「ありがとう」でもなかった。
「死体は燃やさずに保存。――あとで利用するかもしれない」
誰もが耳を疑った。
「えっ……?」
その場にいた全員が固まる中、エリは冷静に続ける。
「硝石作りに使えるかも。あと、再度の襲撃がないとは限らない。罠も再構築が必要。地形と合わせて、村の防衛線を見直す必要があるよ」
ミルドとガランが顔を見合わせた。
これは……“姫様”の発言か?
いや――これは、現場の“指揮官”だ。
その日、エリューナは明確に“変わっていた”。
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朝露を踏みしめながら、村の広場に再び人々が集う。村人たちは夜明けとともに目を覚まし、自然と王女の周囲に集まっていた。
「あの……姫様……」
戸惑いながらも誰かが口を開いた。
「俺たち、どうしたら……」
「まずは死骸の回収。病気を防ぐため、村の外れにまとめて穴を掘って。触るときは布で包んでね。あと、昨夜使った遮蔽は再利用できるか確認して。再構築には木材が必要になるから、倒木の残りを数えて――」
的確で簡潔な指示。
誰もが息を呑んで聞き入る中、リフィがぽつりと呟いた。
「……まるで、ずっと前から、戦場を知ってるみたい」
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午後には、村の広場に簡易な野戦本部のような拠点ができあがっていた。
倒されたゴブリンたちは村外れの斜面にまとめられ、罠の再設置に必要な資材は分類され、さらには村の備蓄――干し肉や水袋、布、油壺などが帳簿とともに一か所に集められていた。
「記録は大事だよ。予測不能に備えるのが“準備八割”の原則だから」
エリはそう言って、慣れた手つきで物資の数を数え、帳面に記す。
誰がどう見ても“軍人”の行動だった。
「姫様、怪我の具合は……?」
リフィが心配げに尋ねると、エリは微笑を浮かべながら額に巻いた包帯を軽く叩く。
「痛いけど、大丈夫。気絶はしたけど、傷は浅かったみたい」
「でも――」
「それより、村の人たちが無事かどうか、そっちが心配。私が倒れてる間、ありがとう、リフィ」
その言葉に、リフィは目を丸くした。気のせいか、ほんの少しだけ、声に“年季”のような重さが混ざっていた気がする。
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その日の午後、村人たちはエリに言われたとおり、死骸の一部を解剖し、土中保存に耐える構造にしてまとめた。
「硝石、ですか……?」
「ああ。肥料にも火薬にも使える。骨も砕けば使えるし、歯は装飾にもなるよ」
「火薬……?……姫様、どこでそんな……」
「うーん、なんか、知ってたの」
苦笑交じりに答えたその声は、エリのものであり――栗田寛三の声でもあった。
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日が暮れはじめる頃、村の外れの丘に設置された新たな見張り台から、護衛の一人が降りてきて報告する。
「姫様、北の森に気配はありません。しばらくは安心できそうです」
「了解。今夜は輪番で見張りを立てて、消灯は二十二時。交代は四時間おき」
「……っす!」
その返事はもはや、王女に対するものではなかった。
指揮官に対する、敬礼にも似た反応だった。
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夜。村の中央では小さな焚き火が灯り、村人たちがその周囲で湯を沸かし、残った干し肉で簡単な食事をとっていた。
その輪の中に、エリューナの姿もある。
「姫様、本当に今日は……ありがとうございました」
「えっ、あっ……ううん、私の方こそ……」
エリは思わず頭をかいた。
“ありがとう”を言われるたびに、エリの中にふたつの声が交錯する。
“そんな大したことじゃねぇ、当然のことをしただけだ”
“きっと、王女としてのあたしに求められていることは、……英雄になることじゃない……と思う。”
その疑問に、まだ答えは出なかった。
けれど――
「姫様は、ただの姫様じゃないんだなぁ」
誰かがそう言ったとき、エリは不意に笑った。
「うん。たぶん、そうかも」
その笑顔は、どこか吹っ切れたように、穏やかで、あたたかかった。
ひと息ついたところで、エリは周囲を見渡す。
「……だいたい作業も終わったみたいだね。今日はこれでおしまい。みんな、しっかり休んで」
村人たちや騎士たちから、ほっとしたような安堵の声が上がる。誰もが疲れ果てていたが、それでもどこか、充実した表情を浮かべていた。
リフィが軽く膝をつきながら、くすりと笑った。
「姫様こそ、もう少しお身体をお大事に。しばらくは休んでくださいませね」
「うん、ありがと」
そう返したエリだったが――その視線は、ふと夜空へと向けられる。
月は高く、星は滲むように瞬いていた。
(……母上、心配してるかな。怒ってるかな……)
戦での指揮も、死体の処理も、罠の再設置も。村人からの感謝も、敬意も。全部、ちゃんとこなした。
けれどふと、一人になったこの瞬間、胸の奥がそっと痛んだ。
(……帰ったら、やっぱり叱られるのかな)
口元を指でつつきながら、エリは自嘲するように小さく笑った。
「ほんと……王女がこんな姿してたら、母上、腰抜かすかもね」
けれど、その声はどこか――少しだけ、寂しげだった。
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