表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/9

姫、薪のついでにゴブリンと出会う

 「……三日前、ですか」


 エリューナ・シィリスは薪を抱えたまま、村の広場で話を聞いていた。地面には斧と手斧が立てかけられ、周囲には木を割ったばかりの薪が整然と積み上げられている。

 ここはエルフ王国の首都――とはいっても人口二百名足らずの王都から半日の距離にある、小さな村のひとつ。王都の周囲にはこのような村々が点在し、どれも森と川の恵みに支えられながら、穏やかに暮らしている。


 森の木々に囲まれたこの村は、数十戸の木造の家が寄り添うように建ち、広場の中心には共同の井戸と古びた祭壇がある。村人たちは質素ながらも整った暮らしを営んでおり、エリは日ごろからこうした集落を巡っては困りごとを聞き、できる範囲で手助けをしてきた。


 話の相手は、この村の木こり頭、ミルザ老。白髪まじりの髭と大きな手を持つ働き者で、エリが幼いころから何度も教えを受けてきた人物だ。


 「おう。わしが森に入った時のことじゃった。ちょっと奥のあたりで、黒ずくめの小さい影を見てな……」


 「ゴブリン、ですね」


 即答するエリに、周囲の村人たちは眉をひそめた。


 「やめてくださいよ姫様、そんな冗談みたいに」


 「えー? 本当に冗談だと思ってる? ……ま、まだ実害はないってことかな」


 エリはそう言いながら、肩に担いだ薪をゆっくり地面に下ろす。だが、その目の奥にはいつもの明るさとは別の色が宿っていた。


 「……それで、ミルザさん。ぎっくり腰は?」


 「そ、それは……その、影を見たとたん背中がピキッとなってのぅ……」


 「……うん。つまり、びっくり腰、だね!」


 「うう……」


 ミルザの肩が小さく震えたが、エリは笑顔で親指を立てる。周囲の村人たちにも冗談交じりに話し、場の空気を和らげていた。が、その一方で、彼女の思考は違う場所を巡っていた。


 (森の奥……まだ雪が降るには早いけど、今のうちに薪を確保しなきゃ。ストックの量からして、あと百束は必要。ミルザさんが動けない今、原木を誰が切るのかって話になると――)


 「よし、森行こうか」


 「……はい?」


 「このままじゃ冬の寒さで凍えるよ? 準備八割、って言うでしょ? 準備しとけば本番ではあと二割頑張るだけでいいんだから!」


 また出た、と侍女のリフィがそっと耳を塞いだ。




 森の木立の間を、斧を抱えた姫が軽やかに進んでいく。彼女の後ろには、三人の護衛騎士が小声で相談していた。


 「……やっぱり薪作りなんて、姫様にやらせることじゃないと思うのだが」


 「とはいえ、止めたら今度は“自主鍛錬”とか言って夜に出て行かれる。あれはあれで危険だ」


 「はぁ……それにしても、“ゴブリン”って、言うほど大した脅威じゃないだろう。小さいし、道具も碌に使えない。今ごろ木の実でも齧ってんじゃないの?」


 それを聞いたエリは、足を止めた。振り返ると、いつもの笑顔だった。


 「油断、だめだよー? 小さいけど、かじられたらやっぱり痛いし」


 「姫様……それはさすがに……」


 「まぁ、念のため、ね?」


 その“念のため”が過剰装備の山であることを、彼らは知っていた。




 斧を振るう音が森に響く。乾いた木が裂ける音とともに、太い木が地面に転がる。


 「姫様、ここは私が……」


 「いやいや、慣れてるから。はい、手斧!」


 言いながらエリが差し出した枝打ち用の手斧は、革の巻かれたグリップに手入れされた刃が輝いていた。


 「さすがに斧を三丁も持ってきた王女は、過去にいないと思います」


 「斧は使ってこそ価値がある!それに、用途が違うんだから!」


 そのときだった。


 木立の奥、静かに踏みしめるような音が一つ――


 エリの耳が動いた。左後方から、わずかな気配。


 「っ――!」


 彼女は手斧をくるりと回して、後方の茂みへ向かって投擲した。


 「姫様!?」


 短い金属音と、甲高い悲鳴。騎士が振り返ると、そこには体格の小さい緑の影が、手斧を肩に受けてうずくまっていた。


 「ゴブリン!? ど、どうして背後に!?」


 「来てたよ、さっきから。でもあえて動かなかったみたい。たぶん、私たちの様子をうかがってた」


 エリは木に手を添えて言う。


 「……くそっ、仕留め損ねた!」


 騎士が剣を抜いて駆け寄ろうとしたそのとき――


 突如、草の向こうからさらに二匹のゴブリンが現れた。彼らは躊躇なく手負いの仲間を置き去りにして、森の奥へと逃げていく。


 「……置いていった、か」


 「追います!」


 そう言って駆け出そうとする騎士に、エリが言った。


 「ちょっと待って。あの手負いの子、使えるかも」


 「使える、とは?」


 「逃げた奴ら、どこに向かうか気になるよね。なら、追わせましょ。案内役として」


 「しかし、逃げられ――」


 「……そのために“気配を消す”んだよ」


 エリは静かに森に身を沈めた。背を低くし、足の運びを変える。


 風にまぎれるような足音。葉の揺れをかき消すような動き。


 その動きは“訓練された軍人”のそれだった。


 「……姫様?」


 騎士たちは声をかけることもできず、ただその背を見送る。


 エリの瞳には、いつもの柔らかさがなかった。


 気づけば、森の奥へと足を運んでいる。


 まるで――


 「戦場に入る人間の目、だ……」


 そう、誰かが呟いた




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ