姫は薪を担いで
「――薪を担ぐ王女がどこにいるかって?…ここにいるじゃーん。」
エルフ王国の第一王女であるエリューナ・シィリスは後ろに控えて歩く侍女と話しながら王宮の廊下を歩く。
「…さて、今日も、締めていかなきゃ、ね。」
謁見の間へと続く扉の前に立つ。…扉が開かれ中へと歩を進める。
彼女にとっては、毎朝、ここが“戦場”だった。
戦場といっても剣や魔法が飛び交う類ではない。
彼女にとっての戦場とは――謁見の間、つまり母である女王の前での“王女演技”そのものである。
荘厳な銀樹の彫刻が天井から垂れ下がり、長大な赤絨毯が玉座へと導くこの広間は、王国の威光を象徴する場所だ。
その中心に座するのは、エルフ王国を治める者――現女王、ティリス・シィリス。
長く真っ白な髪を後ろに流し、月光を湛えたような薄紫の瞳には、常に民草を見つめる厳しさと慈愛が混じっている。
静かな威圧感と母性を併せ持つその佇まいに、廷臣も兵もただただ頭を垂れる。
「……エリューナ。今日も民のもとへ出るのですか?」
「はい、母上。心を清め、神々に祈りを捧げたのち、近隣の村々へ視察に参ります。民の暮らしを直に見ることも、王族の務めと心得ております」
応えるエリは、その容姿だけ見ればまさしく理想の王女だった。
金糸のような髪は丁寧に編み上げられ、飾り紐と真珠の櫛で優雅にまとめられている。
青空のように澄んだ碧眼と、整った輪郭。
控えめながらも品位ある笑みは、まるで王家に伝わる肖像画から抜け出したかのよう。
その“完璧”さと、その“変わりよう”に、侍女たちは息を呑む。(姫様……今日の所作も姿勢も、完璧……!)
「よい心がけです。決して無理をせず、周囲への配慮も忘れぬように」
「はい。すべて、女王たる母上の導きによるものと心得ております」
完璧な答礼。完璧な態度。完璧な笑顔。
……そして完璧なまでに“無理をしている”。
謁見の間を出るや否や、エリは背筋をぐにゃりと緩めて脱力した。
「ぅぐぅーっ。緊張で胃が捻れそうだった……!」
「姫様っ!? せめてもう少し、緩やかに……!」
「だってあれ、三分間だよ!? 呼吸も姿勢も語尾も“公用王女モード”! 限界だったってば!」
額をぬぐいながら呻くエリに、侍女のひとり――今朝も丁寧に髪を結い上げたリフィが、悲鳴に近い声を漏らす。
「ひ、姫様っ!? あぁ……せっかく結った髪が……!」
「いいじゃん、すぐ汗かくし。……ほら、うなじ蒸れるし」
ぐしゃぐしゃと手櫛で編み込みを崩し、エリは髪を後ろでひとつに結びながら歩き出す。
その大胆な手つきに、リフィは肩を震わせる。
「あぁ……今朝、三十分かけて、珠飾りも完璧に……」
「気持ちは受け取ったよ! ありがとね!」
にっこりと笑って返されたら、何も言えない。
やって来たのはエリの自室だった。天蓋付きのベットをはじめ、豪奢な家具がある部屋の一角、大きなクローゼットを開くと、そのままエリは、ドレスを脱ぎ、作業着を取り出し、サッと袖を通す。
腰には斧、足元は厚底の革靴。王女から一転して“山仕事の姉ちゃん”に早変わりである。
そしてエリはバックに荷物を詰め込む。
「水分飛ばして焼いたパン、保存三日目。万能ナイフ、火打石、怪我用の薬草……あ、これは昨日の干し魚だ」
「姫様、それ腐って――」「非常時に食べる勇気、これも準備だから!」
すでにパンパンに詰め込まれたバックに侍女たちは呆れ顔だ。
「……姫様。その荷物……どこにお行きになさるおつもりですか……?」
「え? 村だよ?だって、“準備八割”って言うでしょ? 準備しとけば、本番ではあとの二割頑張るだけでいいじゃん」
迷いのない満面の笑顔。
そしてエリは、自室の部屋の片隅に自作で作った神棚に向かい、二礼二拍手一礼し、「よし、行ってきます!」と『お出かけ前のいつものやつ』として侍女達の中では有名な奇行をし、部屋を出る。
城門では、護衛の騎士たちが、すでに馬の手綱を引きながらため息をついていた。
「これがなければ「完璧な姫様」なのになぁ…」
「おい、姫様が来たぞ。」
騎士達は姿勢を正し、姫を迎える。
「護衛なんて要らないってば。ちょっとそこの村に行くだけだよ?」
「そんな訳にはいきません。これが我らの任務です。…それにしてもすごい荷物ですな。」
エリは「これ?何が起きても対処できるように、ってやつだよ!」
「……それを言い切る姫様は、やっぱり王族じゃない……」
「でも、準備しておいて失敗したことは……一度もないんですよね」
「それが一番すごいんだよなぁ……」
騎士達はエリに聞こえないように話していたつもりだったが、「…聞こえてるよー?…ま、褒め言葉として受け取っておくけど。」と笑顔で返されてしまった。
こうして、今日もまた、“完璧な王女”は王宮に置いてきぼりとなり、
“ズレた村回りの姫”が出撃するのであった。