お姉様、ちょうだい!
「お姉様、ちょうだい!」
いつものようにアラクネはそう言って、アリアドネの物を貰っていく。両親に言おうものなら、姉なのに妹を可愛いと思えない心の卑しい娘だ、と言われる。
妹に搾取されて当たり前。
そんな家だった。
家族だからと、アリアドネは与えられない愛情を求めて、我慢していた。
婚約者に愛されていたのなら、家族に見切りを付けられただろう。
だが、婚約者のミノスは王女第一主義で、仕事にかこつけて王女の傍から離れない。
お茶を飲む時間もなく、ドタキャンも当たり前。婚約者との交流など、ミノスが王女の護衛に選ばれてからは、まったくない。
婚約者が王女の秘密の恋人だと噂され、アリアドネは二人を邪魔する悪女、と言われている。
「お姉様、婚約者がミノスだってことは、羨ましくないわ。いくら公爵でも、イケメンでも、無理」
と、アラクネが言う始末だ。
アリアドネの物を欲しがる妹にさえ、こう言われる男なのだ。アリアドネは婚約者にも恵まれていなかった。
◇◆◇◇◇◇
「お姉様、ちょうだい!」
いつものようにアラクネはそう言う。
アリアドネは首を傾げた。このところ、新しく手に入れた物は何もない。一番、近くに手に入れた物は半年前の誕生日に貰ったドレスで、それも妹に強請られて戻ってきていない。
「アラクネ。心当たりがないんだけど・・・?」
「ミノスよ! お姉様を大事にしないあの男の婚約者になりたいの!」
「あなた、無理って、言っていたわよね? その前に大事にしてくれないって分かっていて婚約者になりたいって、どう言うこと?!」
「ミノスは公爵で、外見も良いでしょ? お飾りにはちょうど良いの。王女様とミノスを引き裂く悪女に婚約を押し付けられた可哀想な妹になりたいのよ!」
「アラクネ、早まらないで! ミノスをお飾りにしたいから結婚するなんて、人生をドブに捨てるようなものよ! お飾りにする価値なんてないわ!」
「自分がまた悪女呼ばわりされることは気にしないのね」
「そんなことよりも、あなたが人生を棒に振らないことのほうが重要よ!」
「お姉様はお人好しね」
「だって、家族なのよ」
「お姉様。私だって、もう大人なの。お姉様に譲ってもらわなければいけないほど、小さくないのよ」
「え?」
「子どもは成長するし、大人は老いるのよ。子どもの頃の二歳差は大人になったら誤差に過ぎないわ。お母様やお父様だけでなく、お姉様もこのこと、わかっていないのね」
「・・・」
半年前にアリアドネのドレスを奪っておいて、この言い草である。
この半年間にアラクネに何があったのか、辛気臭いと言われて交流のないアリアドネにはわからない。
アリアドネはいつものように妹に言われるままにミノスの婚約者の座を譲った。
両親はいつものようにアラクネの望むことを叶えてくれた。
◇◇◆◇◇◇
さて、婚約者が姉のアリアドネから妹のアラクネに代わったミノスはというと――特に変化はなかった。
いつものように王女の傍に侍り、いつものように幸せだった。
アリアドネの時と同じようにアラクネを放置し、恥をかかせ、それでもなんとかなると思っていた。
残念ながら、アラクネ命の両親は、耐える健気なアラクネのことを涙ながらに語り、アリアドネの悪名と共にミノスの悪評も広がった。
それで気を悪くしたのは王女である。
自分が婚約者のいる男と仲が良いことも、叩かれるようになったからだ。アリアドネの時とは違い、アラクネは真実の愛を邪魔する悪女な姉から王女を愛する婚約者を押し付けられた可哀想な娘、ということで、浮気相手の王女も槍玉に挙げられていた。
王女だからと大目に見られることと、大目に見られないことがある。特に悪女な姉に浮気男を押し付けられた可哀想な妹の立場は、浮気相手の王女も加害者として認識される出来事だった。
可哀想なアラクネ。それが身分の高い王女の不品行に人々の批難を向けさせたものだった。
◇◇◇◆◇◇
王女にとって居心地の悪いまま、アラクネはミノスと結婚した。
初夜をすっぽかされようが、夫が帰って来なかろうが、可哀想なお飾り妻の立場をアラクネは楽しんでいた。
誰もがアラクネに同情してくれる。
姉のアリアドネをメイドとして扱き使おうが、誰も気にしない。
今日もアリアドネに市場で買い物をさせたり、洗濯をさせたりと、貴族出身の侍女たちがしない下級メイドの仕事をさせる。
時にはスープすら作らせる。一口飲んだだけで、
「もう、いいわ。下げてちょうだい、アリエル」
と言う。
でも、そんな生活をアリアドネは気に入っていた。
両親からの叱責もなく、浮気者の婚約者に煩わされることもなく、慣れないメイドの仕事は大変でも、同僚という名の仲間がいる生活は、アリアドネにとって幸せだった。
妹という名の女王様は、公爵夫人という名の女王様になったが、アリアドネをアリエルと呼ぶように、アラクネはアリアドネをお姉様とは呼ばなくなった。
公爵夫人アラクネとメイドのアリエル。それが今の二人の姿だ。
◇◇◇◇◆◇
一時期は居心地の悪かった王女も、時間が経てばイケメン公爵が妻を顧みずにチヤホヤしてくれる状況に懐柔されて、悪評を気にしなくなった。
ミノスは自身の悪評よりも王女を悪く言う言葉に怒りを露わにし、さらに王女に傾倒していった。
アリアドネが結婚しなくて本当に良かった。結婚したアラクネのように、その状況を上手に利用出来なければ、最悪の結果を招いただろう。
そして、久しぶりに帰宅したミノスはようやく、自分が利用されていることに気付いた。
アラクネが出産していたのである。
ミノスとアラクネは白い結婚だった。
お飾り妻にすぎないアラクネが出産していたということは、アラクネが浮気をしていた、ということである。
ミノスは怒り狂ったが、アラクネは笑って言う。
「妻となる婚約者を大事にせずに他の女の尻を追いかけ回しているから、こうなるのよ。お姉様を大事にしていたなら、申し訳なくて利用できなかったんだけど、ミノスって、王女様だけが大事じゃない。真実の愛に生きているから、私の真実の愛の為にミノスに犠牲になってもらったの」
「はあ?! 何、言っているんだ?!」
「だって、ミノスは王女様への愛でお姉様を悪女扱いしたじゃない。だから、ミノスにも私の為に犠牲になってもらおうと思ったの。お姉様が苦しんでいて私が困った状況でいるより、お姉様も私もミノスも幸せになるほうが良いじゃない」
「これのどこが幸せなんだ?!」
「お姉様は毒親や浮気婚約者に悩まされず、私は子どもの父親が出来て、あなたは王女様との仲を責められない。完璧な計画だわ!」
「どこが完璧な計画だ! 僕は寝取られ夫と呼ばれるんだぞ?!」
「お姉様は真実の愛を邪魔する悪女って、呼ばれていたけど?」
「・・・!」
結婚できない相手との恋で、アラクネの精神は飛躍的に成長した。それまで毒親によって歪められていた価値観は修正され、姉のことも考えられるようになっていたのだ。
◇◇◇◇◇◆
アリアドネは彼女を噂の悪女だと気付かずに恋に落ちた男アウロスと結婚して幸せになった。
始めはアウロスもメイドと貴賤結婚をすることに躊躇っていたが、アリエルが公爵夫人の姉アリアドネであることを知らされ、胸のつかえを下ろした。
両親は持参金を出してくれなかったが、アラクネは奪い取った品だけでなく、自分の持ち物も手放して、アリアドネに持参金を渡してくれた。
「私からお姉様への贈り物よ。家事ができるようにしたけど、お姉様は貴族と結婚するから、持参金のほうが役に立つでしょ?」
「アラクネ・・・」
ちょうだい娘が反省だけでなく、姉の幸せを考えてくれていたことに、アリアドネは涙が込み上がってきた。
「でも、お姉様が最後に譲ってくれたもの。それだけは返せないわ。とっても役に立ったけど、わたしの幸せには欠かせないの」
アラクネはそう言いながら、乳母に抱き上げられている、最愛の人との間に生まれた息子タウロスを見る。
結婚できる相手ではなくても、その恋はちょうだい娘だったアラクネを成長させた。
もしかしたら、ミノスとの結婚やアリアドネをメイドにして家事を覚えさせたのも、アラクネの相手が指示していたかもしれない。
発案者がアラクネだろうが、禁断の愛の相手だろうが、アリアドネは気にしていない。
だって、アリアドネは今、幸せなのだから。
これは、恋をしたことで姉を思い遣るようになった妹と、愛を与えられなかった姉が幸せになったお話。