第7話 金貨と宝石
武器を持った粗野な風貌の男たちが森の中から飛び出してきた。
そして、
「動くな!」
「死にてぇのか!」
と、口々に叫びながら乗客に迫ってくる。
この辺境の土地を走る辻馬車は、もちろん丸腰ではない。御者は御者席の下に隠し持っていた銃を取り出そうとしたが、真っ先に野盗たちに取り押さえられてしまった。
(丸太は罠だったのね……)
動いている馬車を止めるのは簡単なことではない。この野盗たちは丸太を使って辻馬車を足止めし、そこに襲い掛かって来たのだ。
恐ろしく手慣れた様子で、アイリスたちはあっという間に身動きが取れなくなってしまった。
肩を寄せ合って震える乗客を、男たちがニタニタと下卑た笑みを浮かべながら眺める。
さらに、野盗たちは馬車の中から乗客の荷物を引きずり出して中を検分し始めた。荷物から取り出した金目の物をどんどん積み上げていく。
アイリスのトランクも逆さにされて中身を出されたが、そこに貴重品は入っていない。金貨も小切手もその他の装飾品も、すべて今着ているドレスの懐や下着の間に隠してあるのだ。これも首都を出発する前にホテルの支配人に助言されたことだ。
『北部は治安が悪いですから、貴重品は肌身離さず持つように』と。
だが、まさかこんなことが実際に起こるとは予想もしていなかった。
アイリスの隣に座っていた女性は赤ん坊を隠すように抱きしめた。野盗は子どもを国外で売り買いすることも少なくないらしいと聞く。アイリスはできるだけ不自然に見えないように女性の前に移動して、なんとか赤ん坊を隠そうとした。
だが、不穏な空気を感じ取ったのか、さっきまですやすやと眠っていた赤ん坊が泣き出してしまった。
「うわぁーん!」
大きな泣き声が響き渡ると、野盗たちがニヤリと笑った。
「おい」
野盗の一人が乗客の輪の中に割り込んできた。
「いやぁ!」
女性は叫び声をあげて、転がるように輪の中から逃げ出した。野盗たちはその様子にげらげら笑い声を立てる。
「まてよぉ」
「逃げることないだろぉ」
男たちはまるで遊ぶように、足をもつれさせながら逃げまどう女性を追い立てた。追いついては逃がし、また追いついては逃がす。
「やめて! 来ないで!」
女性の悲痛な叫び声、赤ん坊の泣き声、男たちの笑い声……、様々な声が響く中、乗客たちはどうすることもできずに身を寄せ合って肩を震わせることしかできなかった。
抵抗すれば、次は自分の番だ。
アイリスも同じだった。
(怖い……!)
貴族の令嬢として育ったアイリスは、こんな風に悪意にまみれた場面に遭遇することなど、これまで一度もなかったのだ。
自分の肩を抱き、震えながらうずくまることしかできない。
「きゃあ!」
とうとう、野盗が女性を捕まえた。彼女の髪を掴み、地面に引きずり倒す。そして、彼女の手から赤ん坊を奪い取ろうと腕を伸ばした。
その瞬間、アイリスの胸の真ん中がヒヤリと冷えた。次いで、ドクドクと音を立てる。発作とは違う。
怒りだ。
先ほどまではアイリスの身体も恐怖に震えていた。だが、今は。震えは治まり、ただ怒りだけが彼女の身体を支配している。
「やめなさい!」
アイリスは、鋭く叫んだ。
「お、おい」
隣で身体を縮こまらせていた男性が小さな声で彼女止めようとするが、それには構わず、アイリスはすくりと立ち上がった。
野盗たちは、立ち上がったアイリスが上等な毛皮のコートを着ていることにすぐに気づいたようだった。目の色を変えて彼女の頭のてっぺんから足先までを舐めるようにねめつけて、ニヤリと笑う。
「貴族のお嬢さんがこんなおんぼろ馬車に乗ってるなんて」
「お忍びかぁ?」
「それとも訳ありか?」
再びゲラゲラと笑い声を上げ野盗たちに向かって、アイリスは懐に忍ばせてあった財布を投げつけた。
ジャラジャラと音を立てて金貨が散らばる。
「金貨だ!」
野盗たちが、いっせいに金貨に飛びついた。
金貨一枚あれば、普通の大人が半年は暮らせる。その金貨が数十枚もあれば、彼が目の色を変えるのは当然だった。
アイリスは、その隙に女性に駆け寄り、乗客の集団に再び押し込んだ。
「抵抗しないで、黙っていて」
彼女の冷たい声音に、乗客たちはただただ頷くことしかできない。
次に、アイリスは下着の中に隠してあった例の小切手を取り出した。それも、野盗に投げつける。
小切手を拾った野盗は、今度は別の意味で顔色を変えた。彼は字が読めたらしい。
「ク、クラム公爵!?」
小切手には、元夫の名が書かれている。野盗とはいえ、さすがに国内随一の大貴族の名は知っていたようだ。
「私はクラム公爵閣下の縁者です。ここで私を殺したりけがをさせたりすればどうなるか、分かりますね」
ひやりと冷たい声に、野盗たちが押し黙った。アイリスの言いたいことが分かったのだ。
ここで彼女が殺されでもすれば、公爵家が総力を挙げてこの野盗集団に報復することになる。警察に追われるよりも、ずっとやっかいなことになるのは間違いない。
(丸太を使って罠を張るなんて、きっと狡猾で知恵のある集団だわ。だから、このハッタリも効くはず)
アイリスは、そう考えたのだ。
彼女の狙い通り、野盗たちはヒソヒソと相談を始めた。それを尻目に、アイリスは懐からまた別のものを取り出した。亡くなった叔母から譲り受けたサファイヤのブローチだ。さらに、母親から嫁入り道具の一つとして持たされた真珠のネックレスを取り出して、野盗たちに見せつける。どれも、こんな辺境では目にすることもできない一級品だ。
「私の持ち物は全て差し上げます。それで手打ちに」
再び野盗たちがコソコソ話し出す。
この交渉は、彼らにとっても悪い話ではないはずだ。
「……いいだろう」
アイリスは一つ頷いて、野盗の前に進み出た。そのまま黙々と毛皮のコートを脱ぎ、マフラーも手袋も外す。ドレスの裾をまくり上げてブーツの隙間に隠してあった金貨も出した。
最後に、コルセットの隙間に隠してあった巾着袋が指先に触れた。あの、結婚指輪だ。
一つくらい黙っていてもバレないかもしれない、一瞬そう思ったが、考えが甘かった。
「おい! そいつも出せ!」
目ざとい野盗は、アイリスの仕草から、コルセットにまだ貴重品を隠していることに気が付いたのだ。
「これは……」
アイリスはギュッと胸元で拳を握りしめた。
「早くしろ!」
手を止めたアイリスに、野盗がいきり立つ。
早く、この指輪も差し出すべきだ。
だが、アイリスの手は、どうしても動かなくなっていた。
この指輪は、マシューがくれた贈り物の中で、唯一彼女自身が選んだものだった──。




