第40話 愛し、愛され
本当は、もっと早く伝えたかった。
すれ違いから離縁することになってしまったが、今では誤解も解けて、二人は確かに愛し合っているのだから。
だが、問題はそれだけではない。
再婚すれば、彼女に公爵夫人と言う重責を背負わせることになってしまう。
それが本当に正しいことなのか、彼女のためなのか。
彼女が弱い人ではないことは理解している。おそらく、今の彼女ならば立派に務めを果たしてくれるだろう。
だが、彼女はようやく笑顔を取り戻した。
彼女の人生は、今まさに始まったばかりなのだ。
舞踏会で美しいドレスを着て凛と立っている彼女を美しいと思った。
今はそれと同じくらい。いや、それ以上に。
あの小さな家で、子供たちに囲まれて、素朴な味のスープを美味しいと言ってほほ笑む彼女が、好きだ。
再婚して、彼女を自分のものにしてしまいたい。
それと同じくらい、彼女には自由と喜びを謳歌してもらいたいと願っている。それは、公爵という立場の自分と結婚しては、絶対に叶わないのだ。
二つの気持ちがせめぎ合って、どちらを選ぶべきなのか分からなくて、悩んで、ただ時間だけが過ぎてしまった。
そんな折、テオから手紙が届いた。
挨拶も何もなく、冒頭から本題という情緒のかけらもない手紙だった。
『どうせ、頭で考えるばかりで前に進めなくて、悩んでいる頃だろう。ざまぁみろ』
という書き出しに、思わず笑みがこぼれた。
心配しているのだと、素直に書かないところが彼らしい。
『一度失敗しているのに学ばない奴だな。大事なのは、お前の気持ちだろうが。お前がどうしたいのか、ちゃんとアイリスに伝えたのか? 肝心なことを彼女に伝えもしないで、彼女の気持ちを聞きもしないで、何かを分かったような気になってカッコつけて悩むんじゃない。このバカ野郎』
手紙は、それで終わりだった。
だが、十分だった。
マシューは手紙を放り出し、身支度もそこそこに、走り出していた。
* * *
「俺は本当に頭が固くて、朴念仁で……」
アイリスの前に跪いたマシューが情けなく眉を下げている。
「君に気持ちを伝える勇気が出なかった」
きゅっと、少し強引にアイリスの手を握るマシューの指先が、わずかに震えている。
「俺は君と幸せになりたい。君と愛し合って生きていきたい」
アイリスも、気持ちは同じだ。
「もう一度結婚して、君を幸せにできるかは、正直自信がない。……それでも、俺は君と一緒にいたい」
少しカッコ悪くて、でも真っすぐなマシューの言葉に、アイリスの胸がきゅうっと締め付けられた。
痛みではない、甘い痺れが全身に広がっていくような。
愛しさで身体が温まっていくような。
(きっと、顔が真っ赤だわ……)
アイリスは恥ずかしさで、思わず顔を伏せた。
だが、それを追いかけるようにマシューが彼女の顔を覗き込む。彼の顔も、真っ赤だった。
「返事をしてくれないか?」
マシューがすがるように言うので、またアイリスの心拍が上がる。
あとは、『はい、よろこんで』と返事をするだけだ。
口を開きかけたアイリスだったが、
「っ!」
ハッとして、思わず言葉を飲み込んでしまった。
その様子に、マシューが怪訝な表情を浮かべる。
(国王陛下とお約束をしてしまったんだわ!)
約束、というよりも国王から下された命令のことを、この段になってようやく思い出したのだ。
「……」
「……」
なかなか返事をしないアイリスに、マシューの黒い瞳が不安げに揺れる。
(ああ、いけない)
アイリスは慌ててマシューの手を握り返した。
彼を不安にさせたいわけではないのだ。
ただ、すぐに結婚はできないというだけで。
「私はすぐにでも、結婚したいと思っています」
遠まわしな言い方に、またマシューの眉が下がった。
「どういうことだ?」
「国王陛下からのご命令で、南へ行くことになったのです」
「なに?」
マシューが眉を吊り上げた。彼は国王とは親しい間柄のはずだが、何も聞かされていないようだ。
「新しい封印をかけた魔法を覚えていますか?」
「ああ、君の髪を使った魔法だな」
「はい。あの魔法の影響で、南の方で不穏な動きが起こると、魔女たちが占ったのだそうです」
二人とも魔法については門外漢なので魔法の影響や占いと言われてピンとこないが、なんとなく不味いことが起ころうとしているということは肌感覚で理解していた。
あの魔法は、魔法について知らない二人からしても、とてつもなく大きくて強い力を放っていたと感じていたから。
「だが、君が行くことはないだろう」
「それはそうなのですが……」
国王からも一応、『断ってもいい』とは言われたのだ。
『マシューと再婚して蜜月を過ごしたいということなら、それでも構わん』
だが、と国王は続けた。
『あなたは、きっと断らないだろう?』
彼の言う通りだ。
この仕事を断ろうとは、一瞬も思わなかった。
なぜなら、アイリスは世界の愛によって救われたから。
彼女を救ってくれた世界の優しさと愛情を、今度は自分が返していかなければならない。
愛し、愛され、愛し合う。
そうやって、今日も世界は進んでいく。
アイリスは、その中の一人なのだから。
だが、それをどうやって説明しようか、とアイリスが迷っていると、マシューが小さく息を吐いた。
呆れているような、でも、嬉しそうな、そんな笑みを浮かべて、立ち上がる。
「分かった」
「え?」
「待っている。……いつまでも」
言いながら、マシューはアイリスの左手の薬指を優しくなでた。
そして、そっと、優しく。
彼女の身体を引き寄せて。
結婚して三年、離縁して半年が経って、ようやく。
初めて、二人の唇が触れ合った──。
完
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
連載当初から多くのブックマーク、評価、感想、いいねをいただき、ここまで書ききることができました。
本当に、本当にありがとうございました……!!
アイリスの旅はまだまだ続きますし、二人の結婚式も見届けたいし……
続編については現在検討中ではありますが、いったん、これにて完結とさせていただきます。
ありがとうございました!!
最後になりますが……
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