第33話 生贄
「どういうことですか?」
ヒソヒソ声でハンナに尋ねると、ハンナは涼しい顔でほほ笑んだ。
「私があんたを弟子にするつもりだと、勘違いしたみたいだねぇ。いいじゃないか、好都合だ」
「そんな」
そのつもりなどこれっぽっちもないのに。だいたい、アイリスは魔女の血を継いでいない。魔法など使えないのに。
「勘違いさせときな。魔女は、世界の理か仲間のためなら、少しは……そう、ほんの少しは、協力的になってくれるから」
「でも、そんな、騙すみたいな……」
「いいんだよ。後のことは後で考えれば」
「はあ」
ヒソヒソ話す二人を魔女たちがじっと見つめている。ハンナが新しい封印について話すのを待っているのだ。
「それじゃあ、うちの愚息の考えた封印について、お話ししようじゃないか!」
ハンナは芝居がかった仕草で両手を広げた。すると、彼女の腕の間に氷の塊が現れた。
「氷の魔女の封印は、だいたいこんな形をしている」
氷の塊はじわじわと平らになり、横へ横へと広がっていった。
「分厚かった氷は長い年月をかけて平らになり、世界中に広がった。そして、二つの世界を隔てる壁になったのさ」
国土の約半分が凍り付いていたのは、この氷が分厚かった時期、ということだ。それが時間をかけて平らになることで、地表への影響が減っていった。
「この封印の最大の欠点は、完全なまっ平にはならなかった、ってことだ」
確かに、ハンナの前にある氷の板は表面がボコボコしている。
「なんてったって、氷だからね。様々な影響を受けて、氷の封印にはデコボコが生じた。このボコボコした封印の氷に魂が触れるせいで『氷心症』が発生するのさ。このお嬢さんは生まれた日、場所、星の巡り……それらの運が悪かったんだ」
言いながら、ハンナは炎の魔女を手招きした。
「愚息が考えているのは、こうだ」
ハンナの言いたいことが分かったのだろう、炎の魔女が氷に触れた。すると、氷は解けて水になった。
そして、まっ平になった。
「水なら、風が吹かない限り表面に起伏はない。第一、水が人間の魂に触れたところで大した影響は出ない」
分かるようで分からない理屈だが、アイリスも納得して頷いた。つまり、まったく新しい封印を施すというわけではなく、氷の魔女の封印を人間に影響の少ない形に変えてしまおうということらしい。
「ふむ。男にしては上出来だ」
「効率が良い」
「これなら、まあ」
「悪くないんじゃないか?」
魔女たちは一様に感心して頷いている。
だが、炎の魔女は難しい表情を浮かべたままだ。
「問題は山積みだ。封印の氷をすべて解かすほどの魔法を使えば、あちら側の世界から魔力が噴き出すぞ」
「その通り。そこで必要になるのが、……生贄だ」
アイリスはドキリとした。
そうだ。
ここへ来たのは、その生贄の問題を解決するためなのだ。
「なるほど。高貴な人の血と肉で仮のふたをして魔力の暴走を防ぎ、魂によって新たな封印を制御する、というわけか」
炎の魔女が納得して頷いた。
「しかし、並大抵の生贄では到底無理だ。お嬢さん並みに高貴な人が必要だな?」
「この子の連れ合いか、うちの愚息が犠牲になるつもりでいるよ」
ハンナが言うと、魔女たちはまた呆れ顔を浮かべた。
「これだから男は……」
「女心をなんだと思ってるんだ」
「信じられない」
「朴念仁……」
などと言いたい放題である。
だが、アイリスもほとんど同じことを思っていたので何も言い返せなかった。
「まあ、誰が生贄になるのかはどうでもいい。……いいんじゃないか? やらせてみれば」
炎の魔女が言うと、他の魔女たちも同意した。
どうやら、テオの新しい封印は通用するらしいと魔女たちも認めたらしい。
だが、アイリスがここへ来た本題はそれではない。
「生贄を差し出す以外に方法はありませんか?」
アイリスが尋ねると、またしても炎の魔女が眉を吊り上げた。
「ないよ、そんなもの!」
苛立つ炎の魔女の顔を、じっと見つめる。
「本当に?」
アイリスの試すような視線に、炎の魔女はうろうろと視線をさまよわせた。考えているのだ、本当に他の方法はないのだろうか、と。
それを見た東洋の魔女が、コロコロと歌うような笑い声を上げた。
「ほほほ。さすが、高貴な方は下々の者の扱いに長けておられますなぁ。……あなたは、誰も失いたくない、と。そういうことですか?」
「はい」
「それはまあ、虫のいい話ですわね」
ピリリと、またしても緊張感が走った。
彼女の言う通り、アイリスにも無茶な要求をしている自覚はある。何も失わずに、未来を手にしようとしているのだから。
だが、アイリスにも言い分はある。
「私はすでに十分な代償を支払っています」
「確かに。ですが、それこそアナタの理屈。さすがにそれは、通りませんわねぇ」
彼女の言うことももっともだ。
再び沈黙が落ちる。このままでは、話は平行線だ。
(何かヒントが得られると思ったけれど……)
魔女たちの知恵をもってしても、生贄を差し出す以外の方法は見つからないということだろうか。
(血と肉と魂……)
アイリスと同じように魔女たちも考えている。東洋の魔女は涼しい表情で、炎の魔女は眉間にしわを寄せて、世界中から時間と距離を超えて集まってきた魔女たちが、それぞれに……。
(時間と、距離……血と、肉と、魂……)
ハッとした。
もしかして。
「あの……」
アイリスがおずおずと声を出すと、魔女たちがまた彼女に注目した。
「生贄は、一人でなければならないのですか?」
これには炎の魔女が首を傾げた。
「何を言っている。だから高貴な人なのだ。下民の血肉や魂では何万人と必要になる。だから高貴な人を一人、生贄に捧げるのだ」
その答えを聞いて、アイリスはまた一つ確信を得た。
「では、生贄となる高貴な人が二人いれば、差し出す血肉と魂は半分で済みますよね」
そうだ。
必要なのは、血と肉と魂であって、生贄の生命ではないのだ。
「もしも、百等分できれば……? 一人が差し出す代償は、ほんの少しで済むのではないですか?」
魔女たちがポカンと口を開いて、アイリスを凝視する。
「あらあら。生贄を百等分するだなんて、そんなこと……」
東洋の魔女がニヤリと笑った。
「理屈上は、できるわね」




