第32話 そちらの理屈
そこは不思議な場所だった。
大きなリンゴの木の下に小さなランタンが一つ置かれていて、その周囲をぐるりといくつかの椅子が取り囲んでいる。
そして、それらの椅子には、様々な衣装を身にまとった女性たちが座っていた。
赤、青、黒、緑、金……。
様々な色彩を身にまとった女性たちは、アイリスとハンナが到着すると一様に深いため息を吐いた。
「……北の魔女よ、どういうことだ」
一人の老婆がしわがれ声で言った。
深くかぶったフードで表情は見えないが、その声からは呆れがうかがえる。
「そのような高貴な方を連れてくるなど」
「そうじゃそうじゃ、目が潰れてしまうわい」
「だいたい、そのお人は魔女ではなかろう」
主に年かさの女性たちが口々に苦言を呈する。年齢の若い女性たちは、じっくりとアイリスを見つめていて、中にはニヤリと可笑しそうに笑っている女性もいる。
全員、魔女だ。
ビリビリと伝わってくる緊張感で、アイリスの背を冷たい汗が伝った。
「さあて、それはどうだろうね?」
ハンナはニヤリと豪快に笑ってから、一つの椅子に腰かけた。慣れた様子を見るに、そこが彼女の席なのだろう。アイリスはその後ろに控えた。
「この子はここに来られた。それだけで、集会に参加する資格は十分だろう?」
ハンナの問いに、魔女たちは沈黙した。
肯定とも否定ともとれない反応だ。
「フリーダの気配……。『氷心症』の患者だな」
一人の魔女がギロリとアイリスを睨みつけた。真っ赤なドレスを身にまとった、燃え盛る炎のような女性だ。
「何が目的だ?」
問いながら、その魔女はアイリスの胸に人さし指を向けた。
次の瞬間。
アイリスの胸の真ん中がカッと熱を持ち、赤い炎が燃え上がった。
「っ!?」
だが、驚く間もなく炎は消え去り、同時に彼女の心臓から苦痛が消えた。
「さすがだね、炎の魔女」
ハンナが感心したように言うと、炎の魔女は心底嫌そうに表情をゆがめた。
「馬鹿言うんじゃないよ。ほんの数分、氷を抑え込んだだけだ。……とっとと話しな、お嬢さん」
彼女が何をしたのか、アイリスは即座に理解した。アイリスが自由に話せるように、一時だけ氷の魔女の呪いから解放してくれたのだ。
「わ……」
喉が震える。
魔女たちがこちらを見ている。
アイリスが何を語るのか、一言一句を聞き逃すまいとして。
こんなことは初めてだ。
いつもは呪いのせいで凍り付いている喉が、今は緊張で張り付いている。
(ここで怯んでどうするの!)
アイリスは両の拳を握りしめた。
そして、どんどん、と二度、右の拳で胸を打った。
(諦めないって、決めたじゃない!)
大きく息を吸って。吐いて。もう一度吸う。
そして、
「私は、死にたくありません」
アイリスは、よく通る声で言い切った。
同時に、魔女たちの気配が一気に剣呑になる。
「お前は死ぬ。それが理だ」
炎の魔女の言葉に、アイリスは首を横に振った。
「いいえ。氷の魔女の封印を解けば、『氷心症』の患者は呪いから解放されます」
「封印を解けば世界が滅ぶ」
「知っています」
「ならば、黙って死ね」
吐き捨てるような言葉に、何人かの魔女が同意するように頷いた。
(なるほど。……これが、魔女)
一人の命よりも世界の理を重視する。
魔女とはそういう生き物なのだと、アイリスは理解した。ハンナが『簡単なことではない』と言っていたのは、こういう理由なのだ。
(同情では助けてくれないわね)
ならば、どうするべきか。アイリスは魔女たちの顔を観察しながら考えた。
(……魔女たちも一枚岩じゃない)
それこそが、きっと糸口だ。
「私の友人は、新たな封印を施すことができると言っていますが」
アイリスは敢えて挑発するように言った。案の定、何人かの魔女の眉がピクリと揺れた。
「北の魔女の息子だね」
「やっぱり男はダメだ。すぐに情に動かされる」
「まったくだ」
と、怒りをあらわにする魔女たち。だが数人は、ヒソヒソと話しながらアイリスの方を興味深そうに見つめている。
(テオやハンナの研究室を見れば分かる。魔女は好奇心に勝てない。そして、とんでもなく負けず嫌いなはずよ)
「男の魔術師にはできるのに、こちらの魔女の皆さんにはできないのですね」
これには、炎の魔女が烈火のごとく怒り出した。
「馬鹿をお言いでないよ! できる、できないの問題ではない! する必要のないことだと、なぜ分からない!」
だが、アイリスは怯んだりしない。
炎の魔女に向かって、一歩、前に出た。
「する必要がないこと? それは、そちらの理屈でしょう」
これには、炎の魔女がたじろいだ。
「そちらの事情を私たちに押し付けて、一人、また一人、『氷心症』で死んでいった……」
そうだ。世界の理など知らない。
分かっているのは、世界の理不尽を押し付けられて死んでいった人がいたということ。
そして、アイリスもまた死ぬ運命にあるということだけだ。
「私は、その理屈に付き合うつもりはありません。私は友人と共に封印を解きます。そして、別の封印で世界を守ります」
再び沈黙が落ちた。
「……炎の魔女よ。少し落ち着きなさいな」
口を挟んだのは、美しい魔女だった。東洋の衣装に身を包み、艶やかな黒髪を不思議な形に結い上げている。
「別の封印、か……。その話、詳しく聞かせなさい」
アイリスの思惑がはまった。
魔女の好奇心を引き出すことができたのだ。
「それは私から説明しよう。この子には、まだ、何も教えてないんだ」
ハンナが意味深に言って、ニヤリと笑った。
「なんだい、北の魔女。あんた、最初からそのつもりでその子を連れてきたのかい?」
「そうさ。だから、あんたたちにも協力してもらわなきゃ」
アイリスは首を傾げた。まだ、とか、そのつもり、とか。それはどういう意味なのだろうか。
「そういうことなら……」
「まあ」
「そうだねぇ」
魔女たちの方は、先ほどまでの緊張感が霧散して緩い空気が漂い始めた。炎の魔女まで、肩の力を抜いてぐったりと椅子に座り込んでいる。
「ま、なり手が少ないからね。そういうことなら、最初からそう言いなよ」
もう一度首を傾げたアイリスに、東洋の魔女が優雅にほほ笑んだ。
「ふふふ。歓迎するわよ、お嬢さん」
アイリスの額を、たらりと汗が伝った。




