第30話 運命を切り開く
うとうとと緩やかに眠りに落ちながら、マシューは先に眠ってしまったアイリスの顔にかかった前髪をそっとどかした。
髪と同じく透けるようなプラチナブロンドのまつ毛がピクリと揺れたが、目覚めることなく穏やかな寝息を立てている。
(君のためなら……)
この命を捧げることになっても後悔などしない。
(君が生きていてくれるなら……)
それでいい。
マシューは、アイリスの手をぎゅっと握りしめた。
(この温もりを守るために、命を捧げよう)
彼女と一緒に眠るたび、マシューは決意を重ねていた。
* * *
全てを聞いたアイリスは、気持ちを整理するように、深く、深く息を吐いた。
『氷心症』の原因は呪いではなく氷の魔女フリーダによる封印、その封印を解けば人の世は滅ぶ、それを防ぐためには『高貴な人の血と肉と魂』を生贄にしなければならない。
「……マシュー様は、ご自分が生贄になるつもりなのですね」
アイリスの質問に、ガイセ卿が頷いた。
「マシュー様とテオは、私に黙ったまま、封印を解こうとしている……」
「そうだ」
これにも、ガイセ卿は間髪入れずに頷いた。
アイリスの胸がじわりと痛んだ。
彼が教えてくれなければ、アイリスは真実を知らないまま、マシューを失うことになっていただろう。
まさか、誰かを犠牲にしてまで生き残ろうなどとこれっぽっちも思っていないのに。
「……どうされますか?」
アイリスは考えた。
「呪いを解くのを諦めますか?」
それも、一つの選択肢だろう。
(彼を犠牲にして生き残っても意味がないのなら、諦めて死を選ぶこともできる……)
そこまで考えて、アイリスはハッとした。
「テオは、ガイセ家の血を引いていて、氷の魔女の直系の子孫だとおっしゃいましたね」
「ああ」
「では、彼も生贄になれる……?」
「……その通りだ」
また一つ、謎が解けた。
だからテオは、妻のために封印を解くことができなかったのだ。
「テオの奥様は、自ら死を選んだのですね?」
「……そうだ」
テオの妻は、自分が生きる代わりにテオが犠牲となることをよしとしなかった。愛する人を失ってまで生きたいと思わなかったのだろう。
『幸せって、なんだろうな』
切なげにつぶやいていた彼の気持ちを思うと、また胸が締め付けられるように痛んだ。
同時に、もう一つの可能性に気づく。
「では、テオは……」
「ああ。土壇場で、自分が生贄になる心算だろう」
アイリスを救い、マシューと二人で幸せに暮らせるように、彼は犠牲になるつもりなのだ。
「どうして……」
「まあ、それが男という生き物の性、なのかもしれん」
そんな勝手な話があるだろうか。
マシューもテオも、勝手だ。
どちらかを犠牲にして生き残ったところで、その後の人生をアイリスが幸せに生きられると、本当に思っているのだろうか。
気づかないうちに、アイリスは両手を強く握りしめていた。爪が食い込んで手のひらが痛むが、そんなことは気にならなかった。
この胸の痛みに比べれば。
ポタリ。
手のひらから真っ赤な血がこぼれた。
(血……)
その赤色を見た瞬間、アイリスはハッとした。
「……私が」
そうだ。
必要なのは『高貴な人の血と肉と魂』なのだから。
由緒正しい家柄であるトラウトナー侯爵家の血を継ぐアイリスにも、その資格がある。
「私が生贄になれば、もうこれ以上、誰も苦しまずに済むのですね?」
北の国にも、もうすぐ春が来る。
霊山の氷が解けたら。
すべてを終わりにすることができる。
* * *
それからさらに数日後、アイリスとマシューは集落に向けて出発した。今回、アイリスはソリではなくマシューの馬に同乗して。
「本当にいいのか? 狭いだろう?」
「こちらの方が、景色が良く見えます」
それに、後ろからマシューに抱きしめられるような格好になるので、ソリに乗るよりも暖かいのだ。
「そうか」
「はい」
集落までの道のりを、ゆったりと景色を眺めながら進んだ。
何よりも嬉しかったのは、その景色をマシューと一緒に見られたことだ。
(もっと一緒にいたい。もっと、ずっと、一緒にいたいのに……)
ようやく愛を伝えあって、これからは、ずっと同じ方を見て暮らせるのに。
二人は、ずっと一緒にはいられない。
道中、嬉しいのに悲しい、そんな複雑な気持ちに胸が痛んだ。
「アイリス」
「はい」
「見てみろ、夕日が……」
マシューが西の方を指さした。
雪で真っ白に染まる地平線の向こうに、夕日が沈んでいく。空は橙から紫、紺、そして黒へと色を変え、天空には月と星が輝き出す。
この美しい景色を、この人と一緒に、もっとずっと見ていたいのに。
美しい夕日を眺めながら、アイリスの胸がドキドキと音を立てた。
悲しくて、寂しくて、苦しくて……これまで、ずっとずっと感じてきた胸の痛みとは違う。
今、アイリスが感じているのは……怒りだ。
(どうして私なの!)
生まれた時から、笑うことができず、不治の病にかかった。愛する人と生きる未来を奪われた。
なぜ、自分なのか。
(他の誰かでもよかったじゃない……!)
そうだ。
どうして自分だけがこんなに苦しまなければならないのか。
あまりにも不公平だ。理不尽だ。
しかも、マシューもテオも勝手に自分が犠牲になるつもりになって。アイリスがそれを望んでいるのか、尋ねもしないで。
アイリスの胸が、怒りで熱くなる。
(いやだ……)
あの時と同じだ。
ブルーダイヤモンドの結婚指輪を、野盗に差し出すことがどうしてもできなかった。
マシューの命も、テオの命も、……自分の命も。
なぜ、代償を差し出さなければならないのか。
(いやだ! もうこれ以上、何も失いたくない!)
アイリスは、ぎゅっとマシューの腕を握りしめた。マシューがそれに応えて、腰を抱く手に力を込める。
真っ赤な夕日を見つめながら、アイリスは心に決めた。
(私は負けたりしない)
代償が必要だからなんだ。
そんなもの、差し出してやる義理はない。
魔女の呪いを解く。
人の世も守る。
生贄を差し出すのではなく、他の方法で。
残された時間はわずかだ。
だが、必ず見つけ出して見せる。
愛する人たちと、未来を生きるための方法を。
必ず運命を切り開いて見せると、アイリスは沈みゆく夕日に誓った──。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
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次回から第4章……最終章です!
引き続き、どうぞお楽しみください!




