第28話 呪いの真実
約二千年前、氷の魔女は北の霊山で呪いの儀式を行った。
霊山から広がった冷気により、国土の約半分が凍り付き、それから約五百年かけて自然に氷が解けるまで、人が立ち入ることすらできない不毛の地となった。
呪いの影響は現在まで残っている。
それが、『氷心症』だ。
呪いの影響を受けた心臓は徐々に氷に蝕まれ、やがて動きを止めるという、不治の病だ。
「この国の者なら誰もが知っている伝承だ」
そう話しながら、テオはマシューを肖像画の近くに案内した。そして額縁の隅を指さした。
そこには、『我が愛しのフリーダ』と走り書きが残されていた。
「ガイセ家の祖先の一人だ」
驚くマシューに、ガイセ卿が続けた。
「彼女は当時の当主の妹君で、この肖像画を描かせたのが、その当主。妹が魔法に心酔し、徐々に人ではない曖昧な存在になっていくことを憂いて、彼女を引き留めるために描いたと、当時の手記が残されている」
『人ではない曖昧な存在』、それには心当たりがあった。あちら側の世界に行ってしまったアイリスを迎えに行ったとき、彼女の存在自体がフワフワとした不思議なものになりかけていた。
あれと同じことが、このフリーダという女性にも起こったのだろう。
「フリーダは、なぜ呪いを?」
マシューの問いに、ガイセ卿が深くため息を吐いた。
「あれは呪いなどではなかった」
テオもまた、深く息を吐く。
「あれはむしろ、我々人間を守るために施された、封印のようなものだ。
二千年前、フリーダという偉大な魔法使いの存在によって、二つの世界の境界が曖昧になってしまったんだ。
二つの世界が一つになれば、地上に暮らす人の営みは消えてしまう。それを防ぐために、フリーダは自分の身体と魂を生贄として、新たな境界を築いた」
フリーダ──氷の魔女は、身を挺して人の世を守ったと言うことだ。
「なぜ、それを秘密にしているのですか?」
本来であれば、呪いをかけた魔女などではなく、国の英雄として言い伝えられてもおかしくないのに。
「フリーダ自身がそれを望まなかったのだ。封印のせいで、後世の人々にまで『氷心症』という代償を払わせることになってしまったのだから」
肖像画を見上げるガイセ卿の顔つきは、確かにフリーダとよく似通っている。
(だが、彼よりもむしろ……)
そこまで考えて、マシューはハッとした。
肖像画に描かれているフリーダの瞳とテオの瞳は、瓜二つなのだ。
「まさか、テオ殿は……」
「そうだ。氷の魔女、フリーダの子孫だ」
次々と明かされる真実に、マシューの頭は混乱を来たしていた。点と点が繋がろうとしている。その感覚に、背筋を冷たい汗が伝う。
「……では、テオ殿は全ての真実を知っていたのか?」
「いや。千年以上前の話で、我が家の伝承もどこかで途切れていた。妻の呪いを解くために、俺が呪いについて調べ、その過程でガイセ家に辿り着いた」
「奥方が亡くなる前に?」
「そうだ」
「では、奥方のために呪いを解かなかったのは……」
マシューの声が震えた。
まさか。
それが真実ならば、あまりにも酷だ。
「呪いを解けば二つの世界は再び一つとなり、人の世は滅ぶ。だから、呪いを解けなかった」
間に合わなかったのかという問いに、彼は『まあ、そんなところだ』と言葉を濁していた。これが、その真実だったのだ。
「では、アイリスを救えば……」
「人の世が滅ぶ」
そんな理不尽な話があるだろうか。
マシューは震えるほど強く拳を握りしめた。
「ではなぜ、我々に呪いを解くことができるなどと希望を与えたんだ!」
アイリスは、その望みを胸にここまで苦痛に耐えてきたというのに。
怒りに任せて叫ぶように言ったマシューの肩を、ガイセ卿がポンと叩いた。
「話は最後まで聞け」
ガイセ卿に促されて、マシューは浅い呼吸を繰り返した。怒りでどうにかなってしまいそうな自分を、彼女のためだと念じて落ち着かせるように。
「フリーダの封印を解けば、アイリスにかけられた呪いは消える。その後で、もう一度封印を施すことができれば、問題はない」
そう言われても、マシューは納得できなかった。なぜなら、それが分かっていながらテオは妻を救えなかったのだから。
彼の言いたいことが分かったのだろう。テオが苦笑いを浮かべた。
「言うは易し、だ。新たな封印を施すのは、簡単なことじゃない。……生贄が必要だ」
「生贄?」
「高貴な人の血と肉と魂だ」
ようやく、マシューは理解した。
「……俺が生贄になれば、アイリスを救えるのか?」
テオは答えなかった。
ギュッと唇を噛みしめて、マシューを見つめて。
透き通るガラス玉のような瞳を揺らしながら、一つ、頷いた。
* * *
話を終えて、マシューはぼんやりした頭を抱えたまま自分に割り当てられた客室に戻った。
まだ舞踏会は終わっていないが、とても戻る気力はなかったのだ。
(アイリスに、会いたい……)
そんなことをぼんやりと考えながら部屋の扉を開くと、そこには。
「あ……。お、おかえりなさい」
アイリスがいた。
思わずギシリと身体を硬くしたマシューに、アイリスも緊張した面持ちでぎゅっと両手を握りしめた。
既にドレスを脱いで髪もほどいていて、絹のネグリジェに毛皮のストールをまとっただけの、あられもない姿だった。
「なぜ、君がここに?」
なんとか正気を取り戻したマシューは、ギシギシと不器用に身体を動かしながら、どうにかこうにか扉を閉めた。
人気が多くないとはいえ、この廊下には執事や客人が通る。こんな姿の彼女を他の男の目に触れさせるわけにはいかない。
アイリスは手に持っていた一枚のメモをマシューに渡した。
そこには見慣れた筆跡──執事長の字だ──で、『明日は昼過ぎに起こしにまいります』と書かれている。
思わず、マシューは頭を抱えた。
おそらく、マルコあたりから全ての経緯を聞いたのだろう。『一緒に眠ろう』という約束を果たせずにアイリスと別れたことも。
彼は仕事が出来る。
あまりにも出来過ぎる。
「私、やはり自分の部屋へ」
頭を抱えてしまったマシューに、アイリスが不安げな声で言った。他人から見れば無表情に見えるかもしれないが、今のマシューには分かる。
今、彼女はマシューに迷惑をかけたかもしれないと思って不安に思っている。
嫌なわけではない。
むしろ嬉しい。
この数か月、会いたい、会いたいと焦がれていたのだから。
ここで遠慮して本心を伝えなければ、前と同じことの繰り返しになってしまう。
「行かないでくれ」
マシューは、そっとアイリスの手をとった。
「今夜は一緒に眠ろう」
その言葉に、アイリスは小さく頷いた。




