第24話 手紙なら
国王の呼び出しは、実はたいした用事ではなかった。
西の国々との交易に関することで知恵を借りたい、というのが主な用件ではあったが、マシューでならなければならないほどの問題ではなかった。
国王の本当の用件は、マシューの縁談に関することだった。
彼がアイリスと離縁したという話は、既に国中の貴族が知っていて。ぜひ公爵家と縁を結びたいという貴族が次々に国王の元に訪れていたのだ。
それに辟易してマシューを呼び出した、というのが真相だった。
「……私は再婚するつもりはありませんと、お伝えしたはずですが」
玉座に座って高みから舞踏会の様子を眺める国王のかたわらで、マシューが渋い声で諫言した。
今夜は王宮の大広間で舞踏会が開かれている。国王が開いた、マシューの結婚相手を見つけるための舞踏会だ。
「分かっている」
マシューは、離縁のこともアイリスの病気のことも、全て国王には打ち明けてあった。
彼の母親である前公爵夫人は王家の出身であり、国王はマシューにとってはとこに当たる。気心の知れた仲だったので、きっと理解してくれるだろうと思っていたのだ。
ところが、国王はマシューの再婚のためにこんな舞踏会を開くと言い出したのだ。
(まったく、迷惑な話だ……)
苛立ちをあらわにするマシューを見て、国王はニヤリと笑った。
「聞いたぞ。アイリス嬢を追って北に行ったらしいな」
どうやら国王には全て筒抜けらしい。しかも彼女のことを『アイリス嬢』と呼んだ。それも気に入らなくてマシューはジトっと国王を睨みつけた。
「ははは。既に離縁しているのに、奥方とは呼べんだろうが」
「それはそうですが」
「彼女にベタ惚れだったお前が離縁すると言い出したときには耳を疑ったが……」
これには、マシューはギュッと口を噤んだ。
実はアイリスと結婚する時、どうしても彼女と結婚したいと言うマシューのために縁談をまとめてくれたのは、他でもない国王だった。
それなのに数年で離縁したものだから、心配をかけたことはマシューも自覚している。
「上手くいっているようだな」
これも、どうやら筒抜けらしい。
「余計な気を回したらしい。悪かった」
国王がしおらしく謝るので、マシューは拍子抜けした。
「……アイリス嬢のことは、早く忘れてしまう方がお前のためだと思ったのだ」
ぽつりと、国王がこぼした。
(まさか、本気で心配して?)
と思ったのも束の間、国王はニヤリと笑った。
「まあ、今日は選り取り見取りだ。楽しめ!」
マシューは国王に背中を押されて、フロアに出る羽目になってしまった。
その途端、大勢の令嬢に囲まれてしまう。
今夜の舞踏会がマシューの再婚相手探しのために開かれたことは、参加者全員が知っている。となれば、令嬢たちの狙いはもちろんマシューとの結婚だ。
離婚歴があるとはいえ、まだ二十一歳。しかも、身分も財産も持っているうえに、とびきり美しい。となれば、彼女たちが目の色を変えるのも仕方のないことだ。
だが、マシューには再婚する気などこれっぽっちもない。
アイリスが『氷心症』を克服して生きながらえたとして、再婚するかどうかはまだ分からないが。マシューにとって、伴侶にしたいと思うのはこの世にアイリスただ一人だけなのだ。
マシューは口々にダンスに誘って来る令嬢たちを、どのように断ろうかと頭を悩ませた。
そんな彼に助け舟を出したのは、意外な人物だった。
「失礼」
「トラウトナー侯爵!」
アイリスの父だ。
侯爵がマシューに声をかけると、令嬢たちは一斉に口を噤み、波が引くように彼のもとから離れて行った。
それはそうだ。
マシューの元妻の父親が登場したのである。
その人の前で、彼と再婚したいと強く主張できるような胆力のある令嬢はそうそういない。
「……ご無沙汰しております」
「ああ。……少し、話せますかな?」
「もちろんです」
マシューと侯爵は、二人で連れだってバルコニーに出た。気をきかせた侍従が分厚いカーテンを引いてくれたので、舞踏会の喧騒から遮断されて二人きりになる。
「娘は、どんな様子でしょうか」
「頑張っています」
気まずそうに尋ねた侯爵に対して、マシューは即座に答えた。
実は、この舞踏会の数日前にアイリスからの手紙を受け取っていた。その手紙はいつの間にか書斎の机の上に置かれていてとても不思議に思ったが、きっとハンナかテオの魔法だろうと納得した。
手紙は、アイリスらしい淡々とした筆致だった。
集落での生活のこと、テオやハンナ、子供たちのこと。一緒に暮らしている兵士たちのこと。それらが淡々と、だが、どこか楽しそうに語られていた。
発作があって辛いだろうに、そのことには一切触れていないのも彼女らしい。
手紙の締めくくりには、こう書いてあった。
『早く、あなたに会いたいです』
そして、
『手紙なら、こんな風に胸の内を書くことができるみたいです。知りませんでした。もっと早く知っていたら、毎日でもあなたに手紙を書いたのに』
と。
マシューはその手紙を何度も読み返した。小さく折りたたんで、今も胸ポケットの中に大事にしまっている。
また、手紙の中には『トラウトナー侯爵家にも手紙を送りました』と綴られていた。彼女の父と母に向けて書いたのだという。
彼女が『氷心症』を患ったことはマシューから両親に伝えてはあったが、アイリスから両親に向けて手紙を書いたのは離縁してから初めてのことだろう。それどころか、結婚している間もほとんど没交渉だったので、両親にあてた手紙を書いたのは数年ぶりだったかもしれない。
今夜、侯爵がマシューに声をかけたのは、その手紙について話したかったからに違いないと、マシューは考えていた。
アイリスが両親に向けて、自分の気持ちを伝えるために書いた手紙だ。
(この家族にも、きっと良い変化が訪れる)
マシューは、そう信じていた。
ところが。
マシューの返事を聞いた侯爵はホッと息を吐いてから、懐から一通の手紙を取り出した。
差出人としてアイリスの名が記されている手紙だ。
しかし、その手紙は開封されてすらいなかった。
「どういうことですか」
マシューが眉を寄せるのを見て、侯爵も難しい表情を浮かべた。
「妻が、読みたくないと」
マシューは愕然とした。
アイリスの母は、彼女からの手紙を受け取ることすら拒否したのだ。そして、父もまたそれを受け入れ、開封することすらしなかった。
次いで、マシューが感じたのは怒りだった。
(彼女が、どんな思いでこの手紙を……!)
それを思うと、侯爵夫妻のやりようは許しがたい。
一言文句を言おうと侯爵をキッとにらみつけた。すると、侯爵は情けなく眉を下げて、今にも泣きそうな情けない顔をしてうつむいてしまった。
「簡単には、受け取れんのですよ……」
侯爵はポロリと涙を流してから、マシューの手に無理やり手紙を握らせた。
「どうか、娘をお願いします」
そして、そそくさと逃げるようにバルコニーから去っていった
残されたマシューは、ただ呆然とすることしかできない。
彼女の両親が受け取らなかった手紙を、自分にどうしろというのか。
いや、それよりも。
彼女の気持ちを思うと、胸が張り裂けるようだった。
しばらくバルコニーで頭を抱えていたが、永遠にそうしているわけにもいかない。
マシューは会場に戻るためにカーテンに手をかけて、だがどうにも気乗りしなくて、深く、深く息を吐いた。
そんな彼に声をかけたのは、またしても意外な人物だった。
「私なら、とっとと逃げますがね」
マシューが振り返ると、そこにいたのは筋骨隆々の壮年の男性だった。
「ガイセ卿、お久しぶりです」
彼の名はローレンツ・ガイセ。北東の国境を守る辺境伯であり、『鉄壁』と呼ばれる国内随一の武人であり、マシューにとっては軍学校時代の教官だ。
「公爵閣下も、ご健勝のようで」
ガイセ卿がすっと目を細めて目じりにしわを寄せた。
そして、次に彼が口にしたのもまた、意外な人物の名だった。
「テオ殿から、もろもろ聞き及んでおります」
またしてもマシューは驚きに固まった。
まさか、こんな場所で彼の名を聞くこととになるとは思ってもいなかったのだ。




