第23話 気持ちが届くように
国王からの緊急の呼び出しともなれば、駆け付けないわけにはいかない。マシューはその日のうちに、兵士の半分を連れて出発することになった。
もうじき、雪が本格的になる。そうなれば、この集落に出入りするのは至難の業だ。
今日マシューを見送れば、次に会えるのは春になる。
「……」
アイリスは仕方がないことだと分かっていても、残念な気持ちを拭い去ることができず、結局どんな言葉で見送ればいいのか分からなかった。
そんな彼女の様子に、マシューも眉を下げる。
「……春には、必ず戻ってくる」
マシューがアイリスの手をとった。それを見た兵士たちがぎょっと目を剥く。これまで必要な場合を除いて、彼が公衆の面前でアイリスに触れたことなど一度もなかったのだ。
しかも、こんなにも切ない眼差しを向けるなど、あり得ないことだった。
「それまで君に会えないのは、寂しい」
こんなセリフを口にすることも、彼らにとっては青天の霹靂だ。
マシューは兵士たちの様子に気づいて、照れくさそうに頬を染めながらも、アイリスの手を優しく撫でた。
(私が言えない分、伝えてくださっているんだわ)
アイリスはそれが嬉しくて、マシューの手をきゅっと握り返して彼の顔を上目遣いで見上げた。いつも通りの無表情だが、彼女が何を伝えたいのか彼には分かったらしい。マシューは嬉しそうに目を細めた。
「それまで待っていてくれ」
「はい」
最後に、マシューはテオの方に向き直った。
「頼む」
「はいはい。お前が戻ってくるまでにアイリスが心変わりしても恨むなよ」
「あり得ないな」
「くっそ。お前、ムカつくなぁ」
「そうか」
アイリスに二人の会話はよく聞こえなかったが、軽口を交わすほど仲良くなったようで、それはそれで嬉しかった。
テオはマシューを小突いてから、その肩を掴んで耳元に顔を寄せた。
「春になれば呪いを解く。……覚悟して戻ってこい。いいな」
「わかった」
『覚悟』
その言葉に、アイリスもごくりと喉を鳴らした。おそらく、呪いを解くためには昨日と同じことをしなければならないのだと、アイリスにはなんとなく分かっていた。
呪いを解くためには、再びあちら側の世界に行かなければならないのだ。
(だから、私たちに夫婦として暮らせと言ったのね)
帰ってくるためには、その理由が必要だ。アイリスにとってマシューが帰る理由になるために、テオは二人の絆を深めさせたかったのだろう。
不意の事故ではあったが、その下準備は完了したというわけだ。
あとは、春が来るのを待つだけだ。
「お気をつけて」
アイリスが手を振るのを名残惜しそうに何度も振り返りながら、マシューは南へ向かって出発した。
* * *
それから、アイリスはあの家で一人暮らすことになった。
といっても、ハンナやテオ、子供たちが代わる代わる訪ねてくるし、マルコや兵士たちも常に気を配ってくれるので一人きりになる時間はほとんどなかったが。
ハンナに料理や編み物を習ったり、子どもたちと一緒に遊んだり、テオに獣の捌き方を教えてもらったり。
アイリスは、マシューに会えない寂しさを抱えながらも、集落での冬の生活を楽しんでいた。
だが、辛いこともあった。
冬が深くなるにつれて、発作の頻度が高くなり、苦痛も増してきたのだ。
寒さが増せば『氷心症』の発作はひどくなる。だから患者のほとんどは暖かい地域で過ごすのだから、当たり前のことではあった。
テオが発作の苦痛をおさえる魔法薬を作ってくれたが、それでも発作は完全にはなくならず、その苦痛は日に日に増していった。
「アイリス、大丈夫だよ」
発作が起こる度、子どもたちがアイリスの側に寄り添ってくれた。そして、何度も何度も『大丈夫』と声をかけてくれる。
苦しむアイリスの顔を見れば母親のことを思い出して辛いだろうに、それでもアイリスの側にいてくれた。
「どうして」
ある夜、発作に苦しみながら、アイリスは思わず尋ねてしまった。
その夜も、子どもたちは三人そろってアイリスの側にいてくれて。ストーブから炭を持ってきてベッドの周りを温めたり、苦しむアイリスの肩を撫でてくれたり、かいがいしく世話を焼いてくれていた。
三人はきょとんと顔を見合わせてから、アイリスにぎゅうっと抱き着いた。
「アイリスは、どうしてそんなに優しいの?」
「苦しいのは自分じゃないか」
「僕らは大丈夫だよ」
口々に言いながら、三人がぎゅうぎゅうとアイリスの身体を抱きしめる。すると、さっきまでよりポカポカと温かくなって、少しずつ苦痛が和らいでいった。
「お母さんが言ってた。優しさを分け合いなさい、って」
「ちょっと難しくて、よく分かんなかったけど」
「今は、ちゃんと分かるよ」
アイリスは、三人の子どもたちを通して母親の優しさに触れて。
それが嬉しくて、でも、切なくて。
胸が締め付けられた。
(私も、お母様と……)
優しさを分け合いたかった。
* * *
数日後、アイリスは二通の手紙を書いた。
だが、それを相手に届ける方法がないことに気づいてしまった。雪に閉ざされたこの集落には、郵便局員は来ないのだ。
せっかく書いたのに送れないのは残念だと肩を落とすアイリスに、助け舟を出してくれたのはハンナだった。
「私のとっておきの魔術を見せてあげるよ」
と、ハンナはせっせと雪の上に何かを描きはじめた。正円の中に不思議な文様を描いていく。本で読んだことがある、『魔法陣』と呼ばれるものだ。
「あて先は?」
「こちらはマシュー様に。……こちらは、トラウトナー侯爵のお屋敷に」
アイリスが差し出した手紙を見て、ハンナはニコリと微笑んだ。
「私に任せな」
ハンナは手紙を円の中央に置き、そしてしゃがみこんで円の縁に触れた。すると、仄かに光りはじめた円がクルクルと回り始めた。円は徐々に小さくなり、やがて手紙とともに消えてしまった。
不思議な現象にアイリスは大きく目を見開いた。その様子を見てハンナは得意げに胸を張った。
「空を飛ばしても良かったけど、雪の中を飛んで行ったらビショビショになるだろう? 今日は地の精霊に運び手を頼んだんだよ」
理屈はよく分からないが、どうやら手紙は地面の中を通って届けられるらしい。
「今夜には届くだろう。返事はもらえないけど。……あんたの気持ちは、きっと届くよ」
ハンナは、ポンポンとアイリスの肩を叩いた。
「はい」
アイリスは頷いた。
気持ちが届くように、たくさん悩んで書いた手紙だ。
(よろしくお願いします……)
アイリスは心の中で、地の精霊に祈った。




