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第22話 今夜は一緒に



 公爵家と侯爵家の婚姻ということで身分のつり合いも取れていたし、あらかじめ国王陛下の許しも得ていたこともあって、君と俺の婚約はとんとん拍子に進んだ。反対する者は一人もいなかった。


 ただし、俺の親戚からは、


『物好きだなぁ』


 という嫌味を言われたが。

 社交界でも同様の噂が流れたことは知っていた。

 君には辛い思いをさせるかもしれないと思った。


 だが、それでも。


 俺はどうしても、君と結婚したかった。


 君を守りたかったから──。




 * * *




「凛と立つ君を美しいと思ったんだ。そんな君を、守りたいと思った。いつまでも、気高く、そして美しい、そんな君でいてもらいたかった」


 アイリスはマシューの話に黙って耳を傾けていた。夜会での一件も、ぼんやりとは覚えている。だが、あの夜話した青年がマシューだったとは、本当に今の今まで気づいていなかった。


「だけど、結婚してから、本当にこれで良かったのかと後悔し始めたんだ」


 マシューがアイリスの手を握った。

 その手がわずかに震えているのが分かって、アイリスはそっと握り返した。


「俺にとって君は女神のような人だから……」


 マシューは、喉を震わせて、絞り出すように言った。

 

「君の前に立つと緊張して顔がこわばるし、気の利いたことも言えない。贈り物だって何を選んでも君を喜ばせることができなくて……」


 しん、と。

 再び沈黙が落ちた。


 アイリスは、いつもの無表情の裏で激しく動揺していた。


 彼にとっては、全てのことが義務だと思っていたのだ。

 アイリスに求婚したのだって、きっと父と何かの約束をしたからだろうと思っていた。なかなか結婚相手を見つけることができないアイリスのために、父が頭を下げてくれたのだろう、と。それにしては相手の身分が高すぎたので不思議には思っていたが。


 だが、そうではなかった。


「それでも、いつか、君と本当の夫婦になれると、そう信じていた……」


 マシュー自身が、アイリスを妻にしたいと望んで求婚してくれたのだ。


 それが嬉しくて、アイリスはマシューの手をそっと撫でた。手袋越しではあったが、マシューも応えて、アイリスの指を優しく撫でてくれた。


 だが、一つ納得できないことがある。


「では、なぜ離縁を……?」


 思わず尋ねると、マシューはアイリスの肩に顔を埋めてしまった。


「俺は君に相応しくないと思った。俺は君に夫として何もしてあげられないから」

「それは……」


 アイリスのせいでもあった。笑顔を見せることができなかったのだから。彼自身が自分を責めるようなことではない。


「誤解だったと、今では分かっている。だけど、それだけじゃない」

「え?」

「結婚して、君が優しすぎることを知ったんだ」


 マシューの声が、アイリスの鼓膜を切なく揺らす。


「君は誰にでも優しかった。俺だけじゃない。君の家族にも、俺の親族にも、メイドにも、コックにも、庭師にも……。いつでも、誰にでも」


 彼の気持ちが葛藤で揺れていたことが分かる。それだけ、アイリスのために悩んでくれたことが。


「君は優しいから、自分のせいで公爵夫人の役割を全うできないことに苦しんでいただろう」


 その通りだった。


「俺は君に責任を押し付けるつもりはなかった。君はそんなもの抱えなくてもいい。ただ、幸せに暮らしてもらえれば、それで十分だった。だけど、君が傷ついて、日に日に憔悴していくのを見ていられなかった……」


 だから、マシューはアイリスに離縁を切り出したのだ。

 他の誰でもない、アイリスのために。


「君が『氷心症』を患ったと聞いて、一度は離縁をやめようと思った。だが、『氷心症』なら、なおのこと、君には自由が必要だと思った。あちこちに連絡をとって、南の国で君が何も心配せず過ごせるように根回しをして……」


 そこまでしてくれたのに、あの日、マシューは見送りに出てこなかった。


「見送りは、どうしてもできなかった……」


 アイリスには、その気持ちがよく分かった。

 愛しているのに、手放さなければならない。

 そんな相手が去って行く後ろ姿を見送るのは、身を割かれるほどに辛かっただろう。


「……君を、愛している」


 マシューが囁くようにつぶやいた。彼の息が、声がアイリスの耳朶に触れて、甘やかな熱が体中に広がっていく。

 思わず緊張で身体を硬くしたアイリスを、マシューは逃がさないと言わんばかりに抱く腕に力を込めた。


「一緒に旅に出てから、何度も君に伝えようと思ったんだ。だけど、君を公爵家に連れ戻すことはできないと、そう思って」


 アイリスは、ようやくあの微妙な距離感の理由が分かった。全て、マシューがアイリスのことを愛しているが故だったのだ。


「テオ殿に背を押されても、君に思いを伝えることが正しいことなのか分からなかった」


「だけど君が……」


「帰りたいと思ってくれたから」


「俺に向かって、手を伸ばしてくれたから」


 アイリスは驚いた。

 あの不思議な氷の洞窟の中で、確かにアイリスは帰りたいと強く願った。マシューがいる世界に。

 口に出したわけでもないのに、彼は、分かってくれたのだ。


「愛している」


 マシューは、何度も繰り返した。

 これまで伝えられなかった分を伝えるように。

 アイリスが口に出せない分を補うように。


 そして、


「今夜は一緒に眠ろう」


 夜明け頃、二人は約束を交わした。




 テオが二人を迎えに来たのは、夜明けから一時間ほどたった頃だった。

 二人は抱き合って暖を取りながらいつの間にか眠っていて。テオはそんな二人を、呆れ顔を浮かべながら起こしたのだった。


 無事に下山して集落に戻ると、ハンナも子どもたちも大号泣だった。子どもたちはアイリスにくっついたまま離れなくなり、ハンナには毛皮の毛布をぐるぐる巻きにされてしまった。

 心配をかけて申し訳ないと思いつつも、アイリスの頭の中は別のことでいっぱいだった。


(今夜は、マシュー様と……)


 その約束を思い出しては、胸がドキドキして、身体がそわそわする。

 できれば風呂に入って夜を迎えたい、とか。ベッドのシーツは清潔だっただろうか、とか。そんなことばかり考えている間に、昼になってしまった。


 だが、約束を果たすことはできなかった。

 昼過ぎ、公爵家から使者が来たのだ。


「国王陛下から、急ぎのお呼び出しです!」



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\新作投稿はじめました/

ある公爵令嬢の死に様

彼女は生まれた時から
死ぬことが決まっていた

まもなく迎える18歳の誕生日
国を守るために神にささげられる

生贄となる

だが彼女は言った

「私は死にたくない」

 

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