第15話 家族と団欒
「カールです!」
「デニスだよ!」
「俺はエルマー!」
集落に到着すると、三人の男の子が次々とアイリスのそばに寄ってきて順に自己紹介した。
歳は六歳か七歳くらいだろうか。三人とも同じ背格好で顔もそっくりなので、三つ子なのだろう。
「こんにちは。アイリスと申します」
「花の名前だ!」
「かわいい!」
「似合ってるね!」
テオにそっくりだが、嫌味なところのない、純真無垢な可愛らしい男の子たちだ。
「こっち!」
「おばあちゃんが待ってるよ!」
そう言って、子どもたちはアイリスの手を引いた。
物寂しさの漂う集落の通りを子どもたちがはしゃぎながら走っていく。その後ろを、アイリスとマシュー達が続いた。
集落の家々は人が住んでいないとは思えないほど手入れが行き届いているのに、そこに人はいない。
不思議な集落だった。
アイリスがキョロキョロと周囲を見回していると、後ろの方で話すマシューとテオの声が聞こえてきた。
「いつでも人が戻って来れるように、どの家も手入れしてある。今夜からは足を伸ばして寝てくれ」
「助かる。厩は?」
「あっちだ。ちょっと足りないか? まあ、今は使ってない鶏小屋もあるから、そっちも使えばいい」
大人数で押しかけることになってしまったので心配したが、どうやら杞憂で済んだようだ。アイリスとマシューだけでなく、連れてきた兵士や案内人も、馬も犬も温かい場所で休むことができる。
ホッと息を吐いたアイリスに、子どもたちがニコリと笑った。
「おばあちゃんが言ってた通りだ」
「優しいね」
子供たちは嬉しそうに笑いながらアイリスの手を引いて、一軒の家に連れて行った。煙突からは煙が上がっていて、窓から温かい明りが漏れている。
軒下では、一人の女性が待っていた。
駅で出会った、あの女性だ。
思わず駆け寄る。
女性は、アイリスの身体を力いっぱい抱きしめた。
「よく頑張ったねぇ」
「はい」
「いい旅だっただろう?」
「はい」
「うん、頑張ったねぇ」
アイリスは相変わらず感情のない淡々とした声で返事をすることしかできないが、女性にはそんなことは関係なかったらしい。涙ぐみながらアイリスの身体を温めるように、肩を、腕を、頭を撫で、何度も『よく頑張った』と彼女を労った。
「あんたも、よく来たね」
女性はアイリスを抱きしめたまま、マシューの方をじっと見つめた。
探るような視線にさらされてもマシューは一切動じず、女性を見つめ返す。しばらく見つめ合ってから、女性はニコリと笑った。
「そんな泣きそうな顔するんじゃないよ。きっと、大丈夫」
これには、居合わせた全員が首を傾げた。
(泣きそうな顔?)
マシューの表情はいつも通り冷静沈着で、そんな顔にはとても見えない。だが、彼は特に何も言わず、軽く会釈した。
「さ、まずは食事だね!」
女性に促されて、家の中に入ると、温かい暖炉の火と豪華な食事が待っていた。
* * *
女性の名はハンナという。テオの母親だ。
彼女は若い頃に仕事を求めてこの集落から首都へ移り住み、テオを育て上げた。大人になったテオは故郷の農地を開墾するために自分の家族とともに北へ移り住み、その後を追うようにハンナがこの集落に戻ってきたのが数週間ほど前のことだという。
「ハンナさんも魔術師なのですか?」
食事をとりながら気になっていたことを尋ねると、ハンナは悪戯っぽくほほ笑んだ。
「まあね」
「おばあちゃんはね、『ほれぐすり』を作るのが得意なんだ!」
「みやこでは、『ばかうれ』だったんだって!」
子供たちが会話に入ってきて、彼女が首都でどんな仕事をしていたのか大体のことを察することができた。
テオは苦笑いを浮かべているが、ハンナは鼻高々といった様子だ。
「まさか、そんなものが……」
マシューはあからさまに顔をしかめた。彼の立場を考えれば、首都で怪しげな薬が出回っているというのはあまり感心できないのだろう。
「やだねえ、大した薬じゃないよ」
ハンナが笑い飛ばした。
「ちょっと気分が良くなるだけの薬だよ! お嬢さんたちには、男と二人きりのときに使うようにアドバイスするのさ。お互いに憎からず思っていれば、それで十分」
そして、ニヤリと笑ってアイリスとマシューを見つめる。
「ちょっと背中を押してあげるだけの薬だよ。あんたたちも使うかい?」
アイリスは思わずスプーンを取り落としてガチャンと大きな音を立てた。
(そんなもの使えるはずないじゃない!)
心の中で叫ぶが、もちろん口には出せない。
(『お互いに憎からず思ってれば』効果があるだけで、私たちはそうじゃないし……)
アイリスはガチャガチャと音を立ててスプーンを元通り握り直しながら、マシューの顔をチラリと見た。
マシューの方は、スープでむせていた。
(彼だって困るわよね。こんなこと言われたら……)
二人してガチャガチャ、ゴホゴホと騒がしい音を立てて、それを見た子どもたちがケタケタと笑っている。
マシューがゴホンと大きな咳ばらいをして、じとっと子どもたちを見たが、子どもたちは全く怯まずさらに楽しそうに声を立てる。
「ところで」
マシューの一声にも子供たちは笑ったままだったが、テオが先を促すようにマシューを見た。
「奥方はどちらに?」
その質問に、子どもたちがしんと黙り込んでしまった。
テオとハンナが苦笑いを浮かべて、気まずい沈黙が落ちる。
「……母さんは、お山の向こうに行ったんだよ」
ポツリと、三つ子の一人が言った。
意味は聞き返さなくても分かった。
亡くなっているのだ。
テオの妻であり子供たちの母親である女性は。
わずかに涙ぐむ子供たちを、テオとハンナが優しく抱きしめた。
「……もう三年になる。慣れてきたと思っていたが、思い出すと、やっぱり悲しいよなぁ」
子供たちの気持ちに寄り添うように、テオが小さな声でつぶやいた。
* * *
「さっきは悪かったな」
食事の後、テオがアイリスとマシューを地下室に案内してくれた。
彼の研究室だ。
壁一面に様々な書籍がびっしりと詰まった本棚が並んでいて、机の上には不思議な実験道具や怪しい光を放つ鉱物が雑然と置かれている。
「子どもたちは母親が大好きだったから」
アイリスもマシューも何も言えなかった。まだ小さな子供たちにとって母親は特別で、思い出せば悲しくて泣いてしまうのは当たり前だ。
「いや、俺の方こそ、悪かった」
マシューが素直に謝ると、テオは肩を竦めた。
それから、一枚の写真を二人に見せてくれた。
「妻だ」
三人の子どもたちに囲まれているのは、色白の美しい女性だった。どこか儚い印象で、翡翠の瞳で遠くを見つめているように見える。
「……彼女は三年前、『氷心症』で死んだ」