第12話 不思議な力
「うそだろ、ほんとに来たのか?」
魔術師様と呼ばれた男性がアイリスを見つめて驚いている。
その様子に、兵士たちの雰囲気が一気に剣呑になった。アイリスをぐるりと囲み、彼の視線を遮ってしまう。
「あ、あの……」
アイリスは彼が何に驚いているのか気になったし、なにより目的を達成するためには魔術師と話をしなければならないので慌てたが、兵士たちはアイリスの呼びかけには無視を決め込んだ。
「そんなにいきり立つなよ。取って食ったりしないって」
そう言いながら、魔術師は降参だとばかりに両手を上げた。
「公爵家の兵士に、俺のようなひ弱な魔術師が敵うはずないだろ?」
兵士たちの間に、さらに緊張感が走った。
マシューは北へ来てから一度も、自分が公爵だと名乗っていない。もちろんアイリスも素性を明かしていないのに。
彼は、はっきりと『公爵家の兵』と言ったのだ。
その頃には、騒ぎを聞きつけたマシューが戻ってきていた。アイリスを囲む兵士の輪の向こうで、マシューが魔術師の正面に進み出る。
「何者だ」
マシューの鋭い問いにも、魔術師は慌てたりしなかった。軽く肩を竦めて、軽い調子で答える。
「しがない魔術師だよ」
「なぜ公爵家の兵だと?」
「そりゃ、クラム公爵閣下が連れている兵なら、公爵家の兵だろ?」
「……なぜ、私が公爵だと分かった?」
「ああ、そういうことか」
魔術師は得心が行ったのだろう、ポンと一つ手を打った。
「俺たち魔術師には、あんたたちには見えないものが見えている。血の気配、みたいなもんかな」
「血の気配?」
「ああ。特に古くて高貴な血を持つ人間は分かりやすい。あんたと、あっちの奥さんな。まぶしくて目が潰れそうだよ」
信じられない話だが、嘘をついているようには見えなかった。彼の言う通り、クラム公爵家もアイリスの実家であるトラウトナー侯爵家も、建国から続く由緒正しい家柄だ。
どうやら、彼が不思議な力を持つ魔術師であることは確かなようだ。
「……それで?」
「ん?」
「先ほど、彼女を見て驚いていただろう。それはなぜだ」
「いやぁ、それを説明するには、俺の家庭の事情を聞いてもらうことになるけど」
と、魔術師はひょうきんに言って、あろうことか気安い仕草でマシューの肩に手を置いた。
貴族に対して許される態度ではない。
とうとう耐えかねた兵士の一人が、剣を抜いて魔術師の首に刃を当てた。
魔術師は相変わらずひょうひょうとした表情を浮かべたままで、刃を向ける兵士をチラリと見た。
「やめた方がいい」
「なんだと」
「こんな僻地で死にたくはないだろ?」
町の住人も固唾をのんで見守るなか、沈黙が落ちた。
兵士たちは魔術師の不思議な圧に負けて冷や汗をかいて動けなくなっているし、剣を向けた兵士は緊張からか呼吸まで止まっているようにも見えた。マシューも同様に顔をこわばらせて固まっている。
アイリスは、意を決して前に出た。
「やめなさい」
冷たい声で言い放つと、兵士の身体がビクリと揺れて、呼吸を再開した。青い顔で振り返る兵士にアイリスが首を横に振る。
兵士がゆっくりと剣を引くと同時に、魔術師もマシューの肩に置いていた手をどけた。
「話して」
アイリスが言うと、魔術師はニヤリと笑った。
「俺の母親、会ったことあるだろ?」
アイリスはなんと答えるべきか逡巡した。心当たりがないわけではないのだ。
「……息子さんは、農夫だと聞きました」
そう。
首都の駅で出会った、あの女性だ。
先祖代々の農地を開墾するために北へ移り住んだ息子に会いに行くと話していた、あの女性。
彼女の瞳と、魔術師の瞳は瓜二つ。とても他人とは思えない。
だが、彼女は息子が魔術師だとは、もちろん言っていなかった。
「そうだよ。畑を耕すのが俺の仕事で、その隙間時間に、ちょっと不思議な術を使って不思議な薬を作ったりしてる」
「では、家庭の事情というのは?」
「俺が母親に逆らえないって話。あんたはきっと北に来るから、迎えに行けって言われてさ」
「私が?」
「そう。呪いを解くために、きっと来るって」
魔術師の透き通るような瞳に見つめられて、アイリスの胸がドキッと鳴った。彼の瞳には、不思議な力が宿っているようで。
だが、その視線は大きな背中によって遮られてしまった。
マシューだ。
アイリスと魔術師の間に割り込んで、彼女の身体を背の後ろに隠してしまう。
「了見の狭い公爵様だな。ちょっと目が合っただけじゃないか」
「……」
マシューにじとっと睨まれて、魔術師は肩をすくめた。そして、今度はアイリスではなく公爵に向かって話し出す。
「『氷心症』の患者が北に来るなんて、そんなことあるわけないだろうと思ったんだけど。言うこと聞いとかないと怖いからって、こうして迎えに来てみたら、ほんとに来てたから驚いたってわけ」
彼の言うことには、一応筋が通っている。
おそらく、彼の母親も魔術師なのだ。だから、普通の人には見えない、血の気配が見えていた。つまり、彼女はアイリスが何者なのか知っていたのだ。
そして、アイリスが呪いを解くために北へ来ることを予見した。
その母親に命じられて、この魔術師がアイリスを迎えに来たということらしい。
アイリスはマルコの方を見た。彼はあの駅でもすべてを見聞きしていたはずだから、魔術師が話していることを理解できたはずだ。
マルコは慌ててマシューに駆け寄り、そっと耳打ちした。
ひと通り話を聞いたマシューは深いため息を吐いてから、もう一度魔術師の方を見た。
「名は?」
「テオ」
「では、テオ殿。彼女の呪いを解く方法を教えてくれ」
いきなり本題を切り出したマシューに、テオは小さく肩を竦めた。
そして、少しだけ声をひそめて言った。
「そんな方法は、ない」




