第八話
「最上級……」
「精霊……」
『あがめよ』
俺が召喚した風の最上級精霊、西風のゼファー女史は、そのナイスバディに羽衣のような薄い布をまとい、フワフワと浮かんでいる。
見えそうで見えないあたりが心憎いが、見えたところで特に気にするわけでもないだろう。
彼女は一瞬俺と目を合わせ、その後ゆっくりとナインヘッドの方に顔を向けた。
『シルフィードを召喚させたのは貴様か』
「あ、あ……」
『貴様かと聞いておる』
やっとのことで首を縦に振るナインヘッドに、ゼファー女史は無慈悲とも言える言葉を投げかける。
『すまぬな、我が召喚された故、貴様のシルフィードが我を恐れて姿を消してしまった』
「う、うああ……」
『おかげで我が人の言語を話せるだけのマナが手に入った』
結果的にぶんどっちゃったわけね。圧で消し飛ばしたのかと思ったけど、よく考えたらシルフィードも眷属なわけで、王自ら消しとばすなんてことはしないわな。
『礼を言わねばならんかな』
しかしこの人? 精霊王、終始余裕の笑みを浮かべているな。これが基本の顔立ちなのか、それとも本当に余裕なのか……。
なんかどっちも、な気がする。
「いいんじゃないですかね。俺が魔力を持たないせいで貴女以外の精霊が召喚出来なかったんだし、むしろ俺が謝るべきかと」
『……ほう?』
「てことで、ごめんね?」
言いながらナインヘッド氏にちょい、と片手を上げて謝ってみせた。
彼はと言えば、もはや失語症状態で口をあんぐり開けっぱなしだ。辛子の実でも放り込んでみようか。
『……で、我はなぜ喚ばれたのだ?』
う。
それ聞いちゃうか。まあそうだよな。
「て、ていうかさ! ヨシュア先生、どうやって召喚出来たの!? 魔力ないのに!」
今まで口あんぐりだったデイジーが、急に息を吹き返す。
彼女はぐいっと、俺に向かって身を乗り出してきた。猫耳はしっかり俺に向き、尻尾がぴんと立っている。
興味津々といった様子だ。
では、説明していこう。精霊王からの質問の答えにもなる。かもしれない。
「まず、今回の召喚は偶然ではなく、最初から精霊王の召喚を目指したものだというのは言っておきたい。これには、この勝負とはまた別の目的があるんだ」
「別の目的……? 精霊王さんを喚ばないといけないことがある、てこと?」
そうだ、と頷いて、俺は説明を続けた。
「魔力を使った精霊召喚陣では、精霊王を喚び出すことは出来ない。なぜかわかるか?」
「え、わ、わかんにゃい……」
急に猫だな。
「先生!」
「ん、アヤメ嬢、分かるか?」
「はい! 推測ですが、魔力に込められた術者の意思が、召喚を邪魔するから、ではないですか?」
「!」
『……ほう』
ゼファー女史が感嘆の声を漏らした。
『この娘、なかなか聡いな。貴様の仕込みか、ヨシュアとやら』
「ヨシアキです。……いいえ、彼女が自分で研究、努力を続けた結果の考察です。俺もこの時点で正解が出せるとは思わなかった」
「え、アヤメちゃんすご……」
「え、ええと、でも、ただの想像ですから……」
顔を真っ赤にして謙遜するアヤメ嬢。いや、君のそれはもっと評価されるべきところだ。
蓄積させた知識を活用する知恵がなければ、そんな芯をくった想像が出来るもんじゃない。
「で、だ。これまで、魔力を使用しない精霊召喚陣ってのは、ほとんど研究されてこなかった。この世界の住人には必要のないものだからな」
そこで俺は、例のフォカヌポウ先生が書いた本、最終巻を取り出した。
〝能無し〟のためのライフハック 〜こんな転移に誰がした〜17巻。
もうタイトルに異世界転移の言葉すらなくなっているが、順番に読んでいくとこれが続きだと分かる。
拗らせ倒して自虐もいいところだが。
「9割が愚痴やら萌えやらの話で読むのに相当苦労したが……」
「ヨシアキ、これは?」
校長が本を手に取りながら尋ねてきた。
ためつすがめつ、パラパラとページをめくったりしている。
「俺と同じ、異世界転移者がこの世界のシステムを理解して歩いていくための本ですよ。魔力を使わずに精霊を召喚する方法が書いてある」
「こんな文字見たことありませんね……。あなたはこれを解読出来たんですか」
「解読、といえば解読ですが……。これは、俺が前にいた世界の、自国の言葉で書かれています。つまり、俺にとっては見慣れた文字なんです」
「なんと……!」
「俺と同じようにこの世界に転移して、相当苦労したんでしょう。いつ頃書かれたものかは分かりませんが、前の世界では大体同じ時代にいた人みたいですね。使われている慣用句や俗語なんかも大体そのまま理解出来ました」
「なんという偶然……!」
偶然、なんだろうか。
俺にはこれが、何かしらの必然のなす業なのではないかと思えてならなかった。
「とはいえ、ここに書かれている召喚陣は未完成……というか、システムの説明しかありませんでした。それを俺がデザインして、機能する召喚陣にしたという訳です」
偉そうな物言いになっている自覚はあるが、俺は俺で〝かかっている〟、要は鼻息荒くなっているのだ。多少のことは許されたい。
『ふむ、つまり我は貴様の〝でざいん〟とやらにまんまと乗せられた、というわけだな』
「う。ま、まぁ、結果的にはそうなりますが……」
『怒っているわけではない。それほどまでに、この召喚陣を通るのは心地が良かったということだ』
心なしかゼファー女史の表情が柔らかくなった、気がした。
良かった、気分を害したわけではないらしい。
「……で、ゼファー女史、貴女を召喚した理由になりますが、大きく2つあります」
『聞こう』
「一つは次元時計の調査。その相談に乗っていただきたい」
『どういうことだ?』
「現在、次元時計の動きに若干のズレが認められています。今は気にするほどではありませんが、万が一にも大きな問題にならないうちに解決しておきたい。そのための調査に相談役として参加していただきたいのです」
これについては、実は校長たちと前から話し合っていたことではあった。とはいえ、あまりの難易度に後回しにされていたこと……なんだが、まさか俺が精霊王の召喚に成功するとは思ってなかった。
ナインヘッドの件も偶然ではあったが、ことを先に進めるためのきっかけにはなっている。
次元時計の調査を進めるために、精霊の協力を得ること。
これは、最重要案件の一つにして、最難関案件でもあった。
せっかくの機会だ、利用しない手はない。
『我が?』
「はい。次元時計については、この世界の全ての生物や事象、果ては精霊に至るまでの問題になりかねません」
『ふむ。で、精霊代表として我、ということか。確かに、風に属する精霊は、貴様たち人類と、最も親しい種族かもしれんな』
「おっしゃる通りです。……そして2つ目の理由ですが」
ここからが問題だ。
1つ目の理由は、言ってみれば精霊王に対する大義名分のようなものだった。
だが、2つ目の理由は。
「これは、俺の個人的な感情から来るものです」
『……なに?』
ゼファー女史の表情が厳しさを帯びる。いや怖いって。
引く気はねえけどな。
「そこのアヤメ嬢。彼女はナインヘッド、そこのビビり倒している男の実家が支配する、アショカの者です。彼女はその絶え間ない努力の末に、見事な召喚陣を作り上げた。それに嫉妬したナインヘッドの小細工のせいで召喚に失敗したものの、俺にそのカラクリを見破られ、逆上した末に、俺と決闘で雌雄を決することになりました」
『……続けろ』
「勝負は風の精霊召喚陣比べ。ところが俺は転移者なので魔力を持たない。そこで研究の結果、〝魔力を使ってはいけない〟召喚陣、つまり精霊王召喚陣の作成法を発見、貴女を召喚した」
『……つまり貴様は、その娘の汚名を晴らし、元凶であるそこの男に勝利するべく我を喚び出したということになるか』
「正直こっちの理由の方が、俺にとっては大事なことでした。嫉妬などという理不尽な理由で、将来ある若者の邪魔をするような者をそのままにしては置けない」
『なるほど。……ふふ、面白いな貴様』
「……」
『……いいだろう。その2つ、呑もうではないか』
彼女がそう言った瞬間、おおお! と声が上がった。デイジーとアヤメ嬢は手を取り合い、校長も満面の笑みを浮かべている。
「ありがとう、ございます」
『うむ。ではヨシアキと言ったか。我は貴様と契約をしよう』
「認めん、認めんぞ!!」
それまで呆然としていたナインヘッドが、いきなり横槍を入れてきた。いや、お呼びじゃないのよ。
『なんだ』
「精霊王が人と契約!? そんなのは前代未聞だ! しかもこんな、転移者の能無しとなんて……」
『能無し? この男がか?』
「そうです! 魔力のかけらも持たず、デザインなどというイカサマ同然の手を使うような下品な者と、なぜそのような……」
『ほう』
ゼファー女史から、凄まじい濃度のマナが噴き出す。
ここまでの濃度になると、魔力を持つ者が触れればただでは済まないだろう。
『つまり、そのイカサマに釣られ、おめおめと出てきた我を侮辱するという意味だな』
「ひっ! い、いえ、そんなつもりは……!」
『ヨシアキ。勝利の報酬は』
「アヤメ嬢への心からの謝罪、並びに今後二度と関わらないこと、です」
『そうか。アヤメとやら』
「は、はい!」
『すまんが、謝罪は諦めてもらえまいか』
「え?」
『その代わり』
精霊王の発するマナは、もはや暴風のように荒れ狂っていた。
王は、神には及ばない。
だが、それにも匹敵するのではないかという程の力が、そこにはあった。
『この風の精霊王ゼファーが、そこの痴れ者を二度と戻ってはこれぬ異国まで吹き飛ばしてくれる』
「ひ、ひぃっ!!」
『どうだろうか』
「た、助け……」
「才能と魔力に溺れてっからそういうことになるんだよ、ナインヘッド。ちっせぇプライド抱え込んで下ばっか見てねえで、少しは上も見てみるべきだったな」
「な、何を……」
「魔法陣デザインにおいて、お前は俺に遠く及ばない。それは自惚れじゃなく、俺の矜持だ。お前ごときに負けるようなデザイン作ってきた覚えはねえんでな」
この世界に来て5年。その間もデザインを磨いてきた自負がある。
正直、最初から負けるとは全く考えていなかった。
うなだれるナインヘッドは放っておいて、俺はアヤメ嬢に顔を向ける。
「アヤメ嬢、ここはおまえさんが決めろ。納得するなら俺はそれで構わない」
「は、はい。お願いします、精霊王様」
『心得た』
ゼファー女史がそう答えた瞬間。
「あ゜」
濃緑の暴風と共に、ナインヘッドの姿が、きれいさっぱり消えていた。
吹き飛んだ、なんてレベルじゃない。
文字通り、一瞬で消えたのだ。音速超えてんじゃねえか?
『さて』
何事もなかったかのように、ゼファー女史が俺に話しかけてくる。
いやあの、今貴女とんでもねえものを見せつけてくれちゃったんですけど……。
『では、契約をしよう』
「あ、はい。どうすれば……?」
『何、簡単なことだ』
そう言って彼女が俺に、ふわりと近づいてきた。う、近い。あといい匂い。
ひんやりとした西風さながらに、彼女が俺の顔を手で触る。
――そして。
『ん……』
「え……」
「きゃああああああっ!」
唇を奪われてしまった。
それで狼狽える歳でもないが、流石に精霊王とのキスはちょっと驚いた。
……そんでもって、周りの生徒にとってはだいぶ刺激が強かったらしい。
「よ、よよよヨシュアしぇんしぇいと……」
声震えてるぞデイジー。
「ちっす……」
かみかみだぞアヤメ嬢。
『……これで契約完了だ。今後は魔法陣なしでも我とコンタクトを取ることが出来る』
「ありがたい……!」
『とはいえ、召喚自体はこの召喚陣が必要だがな。……うむ、これはいいものだ』
「本当ですか……!」
『今までで一番いい笑顔をしておるな、ヨシアキ。余りに心地よいのでな、つい召喚されてしまったぞ』
ゼファー女史はニコニコしながら俺の頭を撫でる。ちょっと恥ずかしいんだけど。
『前は仕方なく召喚されてやったが、今回は格別だ』
「え?」
「前!? 以前にも召喚した者がいたんですか!?」
『お、おう、どうした急に』
「あ、いえ、すみません。これまで精霊王の召喚に成功したという話は聞いたことがなかったので……」
『つい最近だぞ。なんかデュフフとか、ちょっと怪しい笑い方をする男だったが』
フォカヌポウ氏!? 召喚に成功していたのか!?
『だが、召喚陣があまりにも通りづらくてな。少しイライラしておったので、どうやら怖がらせてしまったようだ』
「あー……」
そのエピソード、ちょこっとだけ書いてたな。
〝女性というものは人に限らず苦手だ。怖い〟とかなんとか。
『ほとんど同じような道だったはずだが、今回はなぜか気分よく通れたのだ』
「そ、それ!」
デイジーが勢いよく立ち上がった。鼻息をフンフン言わせながら興奮している。
「ヨシュア先生のデザインの力だよね! すごいよ先生!!」
『なるほど、これがデザインというものの力か。大したものよな』
「すごい……!」
ゼファー女史もアヤメ嬢も感心してくれている様子だった。
――そうか。
俺のデザインは、精霊王に通用したか。
そう感慨深くしみじみしていると、校長がこほん、と軽く咳払いをした。
「さて、今回の勝負は……もういうまでもありませんが、ヨシアキ=イショウの勝利とします!」
「すげええええ!!」
「あのナインヘッド先生に勝ったの!? 魔力ないのに!?」
「ヨシュア先生最高!!」
「みなさん、静かに。……ここでもう一つ、お知らせがあります」
お知らせ? 俺は頭に〝?〟を浮かべながら校長を見る。
すると、彼は俺に向かってウインクを一発入れてきた。うえ。
「ナインヘッド=アショカがいなくなった。ということは、我が校の召喚陣の講師がいなくなったということでもあります。そこで……」
あ、なんか嫌な予感。
「今回の勝者でもある魔法陣デザイナー、ヨシアキ=イショウに臨時講師としてみなさんの授業を受け持っていただきたいと思っています!」
「えええええええええええ!!!!」
「まじかーーー!!!」
「ヨシュア先生、ほんとに先生になるんだ! やったーー!!」
「ほんとに……先生、ほんとに……」
「え、いや、あの、俺はなんとも」
やっべえ。
生徒たちは沸きに沸いてるし、デイジーは俺にまとわりついて尻尾ピン立ちで小躍りしてるし、アヤメ嬢はちょっと涙ぐんでるし……。
これで断ったら俺、ナインヘッドどころじゃねえクズじゃねえか。
と、俺の後ろからトントンと肩をつついてくる者がいる。西風の精霊王、ゼファー女史だ。
『ヨシアキ……いや、ヨシュア』
「……はい?」
『ドンマイ』
「おいい!?」
――俺は結局押し切られ、召喚陣あらため、魔法陣デザインの臨時講師として働くことになってしまった。
「ったく、次元時計の件もあるってのに……」
「まあまあ、あたしたちも手伝うからさ!」
「で、出来れば先生のおそばで、お仕事を拝見させていただきたいと……」
「あーもー、分かった、分かったから! やるよ、やりますよ臨時講師!!」
やるからにはマジでやろう。
デザイン次第で魔力不足という不利をくつがえせることは証明した。
これは、俺だけが出来ることじゃない。
こいつらだって、やれば出来るどころじゃない、俺を超えるやつもきっと出てくる。
――そう思うと、これからの大変さが、少しは楽しみに変わるんじゃないかという気がしていた。
ナインヘッド編 ―完― 不良少年編に続く