アイオライトの隣人
数年前に両親が亡くなったのをきっかけに、僕は田舎から王都に移り住んだ。
最初は人の多さや物価の高さに驚き、てんやわんやしたことは今では懐かしかった。
住むところも無事に見つかり、仕事も読み書きが出来たことがよかった。近くの孤児院で、約10人ほどの、性別も年齢も違う子供達に読み書きを教えている。
この国で僕のような平民が読み書きができるのはかなり貴重ということで、お給料もそれなりにもらっており、生活に不安は感じなかった。
僕が住んでいるタウンハウスは横並びで10件続いてる。ご近所づきあいは苦手な方で、仕事以外であまり外に出ない僕はあまり近所からの評判はなかった。
それに、よく異臭がすると苦情を言われる。仕方がないだろう。窓を開けないと、僕が死んでしまう。
不意に、扉がノックされる。
僕は慌てて玄関へと足を運んで扉を開く。
「やぁロベルト。元気かい」
「キャリーさん。こんにちは」
「これ、昨日うちで作ったシチュー。よかったら食べな」
「あ、ありがとうございます」
とはいえ、全員が全員僕のことを悪く思ってるわけじゃない。中にはこうやって、親切にしてくださる人もいる。
彼女、キャリーさんは僕の右隣に住んでいる女性だ。旦那さんと二人暮らしで、近くの酒場でキッチンを担当している。仕事にするほどだから、料理はかなりうまい。こうやって、たまに二人じゃ食べきれないからと食事を持ってきてくれる。
「おや、今日も描いてるのかい?」
「あ、はい。すみません、臭いですよね」
「まぁ確かにツンと鼻をつくが、そういうもんだろ?」
気にするなと、バシバシとかなり強めに背中を叩かれる。元いた田舎でもこういう大人はいたけど、少しばかり苦手だ。
少しだけ会話をした後、鍋は次来た時に返してくれればいいと言って、そのままその場を後にした。
扉を閉め、抱えている鍋をキッチンにおいたら、僕は元いた場所に腰をおろした。
生活に不自由はない。だけど、僕には夢があった。
僕は、画家になりたかった。
絵を描いて、それで食べて行きたかった。
きっかけは、田舎にしては立派な教会の中にある一枚の絵だった。
有名な画家の描いたそれは、幼い僕の心を魅了した。
当時は画材を買うお金なんてなくて、それこそ絵の具は高級品。普通は買うことができない。
だから、田舎にいた頃や、ここに来てしばらくは、ずっと紙に絵を描いてばかりだった。それなりにお給料をもらうようになってからは、少しずつ安いものだけど絵の具を買って、キャンバスを買って、モノクロの絵に色を乗せて行った。
「まだまだだな」
だけど、どんなに画材を揃えてもちゃんと教わったわけじゃない僕の絵は、どんな絵画よりも見劣りする。
いつか、あの日の僕のように、誰かの心を魅了することができるだろうか。
——— コンコン
また扉がノックされた。
座ったばかりの椅子からもう一度腰を上げて、僕は玄関に足を運んだ。
なんどもなんどもノックされる扉は、随分と低い位置。僕の足元から聞こえる。
あぁ彼女か……。
心の中でそう呟きながら、僕は扉をゆっくりと開いた。
「こんにちは、イリス」
「にちは」
宝石、アイオライトの瞳が酷く印象的な少女は、簡素な挨拶をした。
彼女は僕がここに来てしばらく経った頃によく尋ねてくるようになった。
この家の右隣に住んでいる女の子だ。
「寒いだろう、中にお入り」
「ん」
トコトコと僕の足元をすり抜けて中に入り、それを見守った後に戸を閉めた。
彼女は母親と二人で暮らしているそうだ。父親は知らないらしい。
二人暮らしということもあり、母親は朝から晩まで働いており、その間彼女は家に一人でいる。
彼女がこの家に来るようになったのは、彼女が母親の帰りを家の外で待っていた時だった。家の前の階段に腰掛け、ぬいぐるみを抱えていた。
その日も寒い日だったため、子供がそんな中で一人で危ないと思った。別に邪な気持ちがあったわけじゃない。ただ、見てむぬふりができなかっただけだ。
最初こそ警戒されたが、落書き程度の僕の手持ちのイラストを気に入ったようで、僕は彼女を自分の家に連れて行った。もちろん誘拐になってはいけないため、扉の前にちゃんと張り紙をして、帰って来た時にわかるようにした。
僕の奥の部屋。アトリエを気に入ったようで、彼女は並べられた本や絵を、子供らしいキラキラとした目で見ていた。なんだかそれが、昔の自分に少しだけ似ていた。
お腹が空けば、食事を与え、眠くなれば寝かせて上げた。
遅いとは行っても、母親の帰って来る時間は21時ごろだった。
張り紙を見た母親は、慌ててうちを尋ねて頭を下げてきた。
そのタイミングで、僕は彼女に提案をした。仕事がある日は難しいが、ない日はうちで預かっても大丈夫だと。もちろんあくまで僕の提案だった。だって挨拶を何度かしかしたことのない、一人暮らしの男の家に、娘を預けるだなんて、僕でも警戒する。だから、前向きに検討してくださいと行って、その日は眠っているイリスを抱えて帰られた。
まぁ、随分警戒もされていたしもうこないだろうと思っていたけど、翌日イリスが一人でうちに来た。
一人なのか尋ねれば、母親は朝から出かけ、ちゃんと留守番してるように言われた。だけど、彼女は僕の家をというか、僕を気に入ってくれたようで、勝手に家にきたそうだ。置き手紙はおいてきたと言っていたが、流石に帰ってきて家に娘がいないと慌てるだろうと思い、時間帯もお昼頃だったため、母親が働いている場所に足を運んだ。
最初こそ驚いていた母親だったが、事情を説明すればまた謝罪された。
母親はイリスを叱るが、彼女が小さな声で「一人は寂しい」と言えば、それが決定打となり、母親は申し訳なさそうにしながら僕に頼んだ。
僕が仕事でいない日は、僕の右隣。キャリーさんに頼むことになった。
こうして、イリスはうちに気兼ねなく来るように、本に興味があった彼女に読み書きを教えて上げた。
今では、部屋の隅で、僕の少ない書物をおとなしく読んでいた。
幼いということで、瞳がとても大きく、まるで本当に目に宝石が埋められているようだった。
「イリス、お腹減ってないか?」
「ん。減った」
「キャリーさんにシチューもらったから一緒に食べよう」
「うん」
僕が立ち上がれば、彼女も読んでいた本をパタンと閉じて、僕の手伝いをしてくれた。
彼女はおとなしい子だった。普通この年の子供は外で思いっきり走り回るなのだろうけど、彼女は家で本を読むのが好きなようだった。後、たまに僕が絵を描いてるのをじっと見てきたりする。
「なぁイリス。もしよかったらお前の絵を描いてもいいか?」
「私の絵?」
「あぁ。嫌ならいいんだ。じっとしておかないといけないから」
「……本読んでていい?」
「ん?あぁいいぞ。無理に作ったものより、自然な状態の方がいいからな」
「わかった。それならいいよ。あとね。」
「ん?」
「できらたその絵、欲しい。おうちに飾る」
「えぇ、俺の絵を?」
「うん。イリア、お兄さんの絵好きだよ」
子供にしては、随分と大人びた笑みを浮かべる。それに表情だけじゃなくて輝くアイオライトの瞳がやけに美しく見えてしまった。
っと、いかんいかん。こんな子供に俺はどんな感情を抱いてるんだ。
「ありがとう。とは言っても、キャンバスは今の所ないから紙になるけどな」
ずっと一人で絵を描いていた。
別にそれに対して文句があるわけじゃない。ただ、こうやって同じ空間に誰かがいるのはひどく落ち着く。でも、それに慣れてしまって、もしまた一人になった時、その時その空間はどれだけ冷たくて、寂しいものになるだろうか……。
そして、それは何お前触れもなく訪れた。
その日は孤児院での仕事はなく、休みの日だった。だから、いつものように絵を描いていた。そして、いつものように扉がノックされた。
返事をし、扉を開ければ、そこにいたのはイリスと彼女の母親。
そして、その後ろには随分と豪華な馬車があった。まるで貴族が乗るような凝った装飾がされたものだった。
「この度、引っ越すことになりましたのでご挨拶に来ました」
「引っ越し、ですか?」
「はい」
わずかにうつむき気味の母親。まぁ僕もバカではないからその引っ越し先がどこなのか後ろの馬車を見れば一目瞭然だった。
「お兄さん」
イリスが、僕のズボンを握って見上げて来た。
どこか悲しげで、そして申し訳なさそうな顔。
「イリス、知ってたの。自分のお父さんのこと。前にママに聞いたから。でも、言っちゃダメって言われてたから」
「……そっか。寂しくなるな」
視線をイリスに合わせ、僕は優しく頭を撫でる。
そっか、となればもう会えないだろうな。
もう、低い音からノックが聞こえる事はない。絵を書くそばで、真剣に本を読む幼い姿はない。
僕はまた一人になるのか。
「……そうだいりあ。少し待ってろ」
込み上がる感情を誤魔化すように、僕は一度家の中に戻り、一枚の紙を手にして戻った。そして、それをイリアに渡した。
「これあげるよ。約束してたしな」
紙に描かれているのは、読書をしているイリアの姿だ。絵ができたらあげると約束をしており、昨日帰った後に完成した。今日尋ねて来たら渡すつもりでいた。
「新しいところで慣れないことも多いと思うけど、頑張れよ」
「……うん。ねぇ、お兄さん。あのね」
「ん?」
「イリアが大きくなったら、またイリアのこと描いてくれる?」
「……あぁその時は、ちゃんとキャンバスに色もつけて描いてやるから」
「約束だよ」
「あぁ約束だ」
親が胃に小指を絡め、指切りをする。
お互いに笑みを浮かべるが、その表情はどこか苦しげだった。
「奥様、そろそろ」
後ろに控えていた男性が、母親に声をかければ、彼女はイリスの背中にそっと触れる。
「元気でな、イリア」
馬車の扉がばたりと閉まり、その場からどんどん馬車が遠くなって行く。
僕は、見えなくなるまでその馬車をじっと見つめ続けた。
僕の幼い隣人であり、友人。どうか、元気で、幸せに。
*
それから約10年の月日が経った。
変わらず孤児院の先生をしているが、縁あって、時々絵の仕事もくるようになり、前よりも充実した毎日を送っていた。
そして、幼い隣人についてだが。
彼女は今、ある男爵系の娘として生活をしているらしい。
なんでも、彼女の父親が少し名のしれた男爵だったらしい。
彼はすでに結婚しており、奥さんもいた。だけど、彼女は子を産めない体だったそうで、跡取りを作ることができなかった。
その事実を聞いてショックを受けた男爵は酒場で一人酒を煽っており、そこで働いていた母親を感情に任せて犯してしまったそうだ。
一度だけの行為。子供なんかできるはずがないと思い、その時は気もしていなかったが、ある日部下が自分に似た女の子がいることを話しており、調べた結果あの時の女性の子供。つまり、自分の子であることがわかった。
本来男爵は人のいい人物だった。あの時は、酒と精神的なストレスによって事件を起こしてしまったが、異本的には真面目を絵に描いたような人物だったそうだ。
奥さんに全てを話し、その上でイリスをどうするか話し合った結果、二人を屋敷に迎えることとなった。不義の子ではあるが、男爵もその奥さんもイリスを大変可愛がっており、もちろん母親もないがしろにすることなく、幸せに暮らしているそうだ。
なぜこのことを僕が知っているのか。それは、最近まで左隣に住んでいたお婆さんが、その屋敷で働いていたからだった。
イリスたちが屋敷に来て数年後、体の不調を理由に仕事辞め、あの部屋に住んでいた。そして、つい先月亡くなられた。
身寄りもないため、誰にも引き取られることなく、神殿の特別な施設で埋葬された。一応隣人だったため、燃える彼女の遺体に手を合わせた。
そして、また僕の日々が始まった。
いつものように異臭の苦情が来たり、キャリーさんが来たり。10年前の、生活とは何も変わらなかった。
——— コンコン
そして、また誰かが家を訪ねて来た。
キャリーさんはさっき来たばかり。また異臭の苦情か、絵の以来か。特に深く考えることなく、僕は扉を開けた。
「こんにちは」
目の前にいたのは貴族のご令嬢だった。
高価そうなドレス。綺麗にゆわれた髪。そして、アイオライトの瞳……
「ロベルト様のお家でお間違いないでしょうか?」
「え、あぁはい。えっと」
挙動不審に返事を返してしまい、そんな姿に令嬢はクスリと笑みをこぼした。なんともお恥ずかしい限りだ。それにしても、どうして貴族がうちにきたのだろうか。それを尋ねれば、彼女は一枚の紙を差し出した。
それは、かつてここを去った幼き隣人にあげた絵だった。どうして彼女がこれを……
「約束しましたよね。大きくなったら、また私の絵を描いてくれると」
「……あぁそうだな」
差し出された紙。今よりもずっと下手くそな絵。あの幼い隣人の魅力をしっかりと描ききれてない。
「ロベルト様、私、イリス・ブールの肖像画を描いてください」
「……光栄です。私でよろしければ、是非描かせてください」
僕はその場で膝をつき、彼女の手の甲にそっと口づけを交わした。
イリス・ブールの肖像画は人々を魅了し、その絵を描いた僕にもありがたいことにとても良い縁が巡ってきた。
多くの貴族の肖像画を描き、時々その貴族たちの建物に飾る絵なども任せていただくことも増えてきた。
そして、自分が憧れた有名な画家と同じように、僕の名前は人々に知れ渡り、死後も僕の作品はとある令嬢によって展示会が開かれ、より多くの人が僕の作品を好きになってくれた。
え、どうして死んだとのことを知っているのか?
それは……そうだな。僕の隣人が教えてくれたから、かな。
【完】




