彼女がやらねば、誰がやった?
クラン国のアッセン市に建てられている、市営の病院……その個室に、モニカは入院していました。彼女はベッドの上で、ほとんど寝たきりの生活を送っています。
その顔は、ひどくやつれていました。モニカは先日、十八歳になったばかりでしたが、傍目にはそうは見えません。髪は白いものが目立ち、肌は不健康そうな色でした。体はやせ細り、腕は棒切れのようです。頬の肉もそげ落ち、まるで骸骨のようでした。
にもかかわらず、彼女はとても幸せそうに微笑んでいました。その視線の先にあるものは、病室に設置されたテレビでした。画面では、キャスターが興奮気味にニュースを伝えていました。
「今日は、我が国にとって記念すべき日となるでしょう! 十年に渡り続いていた内戦でしたが、ようやく休戦協定が結ばれたのです!」
キャスターの声を聞きながら、モニカは思わず目をつぶりました。その閉じた瞳からは、涙が流れています。彼女は久しぶりに、嬉しさゆえに泣いていました。
その時です。いきなり声が聞こえてきました。
「やあ、お嬢さん。とりあえず、何とか休戦には持ち込んだよ。ちょっと時間はかかってしまったけどね」
モニカは、目を開けました。
目の前には、アマクサ・シローラモが立っています。相変わらず、王冠にマントそして白ブリーフ……という罰ゲームのような格好です。
モニカは、くすりと笑いました。
「ふふふ、一年ぶりだね。相変わらず、変態みたいな格好して。でも、本当に止めてくれたんだ……あんた、凄い悪魔だね」
そう、モニカが魂と引き換えにしてでも叶えたかった願い……それは、祖国で起きた内戦を止めることでした。
十年前、クラン国で始まった内戦。貴族や大地主などを中心とした王政派と、近代化を進めようと目論む改革派とが対立し、やがて国を分断する内戦状態へと突入したのです。
しかも、この内戦にはギルガラス国とバグラント国というふたつの大国が介入していました。どちらの国も、クラン国民の苦しみなど知ったことではありません。自国の利益のために兵を派遣したり、武器や物資を輸出していたのです。
また、武器商人や麻薬の密売人なども内戦に絡んでいました。戦争が始まれば、武器がよく売れます。さらに、麻薬もよく売れるのです。兵士たちが、戦場での恐怖を麻薬でごまかすことは珍しくありません。武器商人や麻薬密売人たちは、出来るだけ戦争を長引かせるため様々な権謀術数を用いていたのです。
結果、クラン国の国民は地獄のような日々を味わっていました。もちろん、王政派にも改革派にも和平の道を探ろうとする者はいました。しかし発言力に関しては、両派ともに徹底抗戦を主張するタカ派の者たちの方が、圧倒的に上だったのです。なにせ彼らは、二つの大国の支援を得ている上、多国籍企業や世界的な規模の犯罪組織の後ろ盾もあります。和平派の意見が通ることはありませんでした。
ところが、ここ数ヶ月の間に事態は急変しました。クラン国のタカ派や、他国から内戦に介入していた政治家たち、さらには戦争を長引かせていた武器商人や大物ギャングらが、相次いで謎の死を遂げたのです。そのため和平派の発言力が強くなり、どうにか休戦に持ち込みことが出来ました。
そう、シローラモの部下たちの暗躍により、ようやく苦難の日々は終わったのです。
「あたしの母さんは、家族の見てる前で軍人たちに乱暴された。幼なじみのトムは地雷で両足を吹っ飛ばされ、絶望して湖で自殺した。妹のアンジェラは六歳の時、ゲリラ兵に騙され正規兵の泊まっている部屋に爆弾を運ばされた。アンジェラは、正規兵もろとも吹き飛ばされたよ。妹の肉片の感触は、今もはっきり覚えてる」
虚ろな目で、モニカは淡々と語りました。そう、彼女は七歳の頃から、地獄を見続けて来たのです。
「どっちの思想が正しかろうと、あたしたちみたいな底辺の人間の知ったことじゃない。戦争が終わってくれるなら、どっちが勝とうが構わない。あたしは十年間、ずっと神さまに祈り続けてきたんだよ。戦争を早く終わらせてください、ってね」
そこで、モニカはくすりと笑いました。もちろん、おかしくて笑ったのではありません。
「あたしって、ほんとバカ。いくら祈っても、神さまは助けてくれなかった。戦争は続き、ついに故郷の村には人が住めなくなった。だから、あんたに頼むことにしたんだよ。悪魔なら、魂と引き換えに願いを叶えてくれるはずだからね」
モニカは、シローラモの方を向きました。
「あんたのお陰で、戦争が止まってくれた。まだ終わってはいないみたいだけど、しばらくは平和に暮らせる。魂なんか惜しくない。天国なんか、行けなくたっていいよ」
その時、シローラモは口を開きました。
「ところで、君はなぜ入院しているんだい? わけを教えてくれないかな」
「二年くらい前、軍が村の近くに枯葉剤を撒いたんだよ。その影響が、今になって出てきたんだって。気がついたら、末期ガンだよ。金がないから、高額な治療は受けられない。医者の話だと、あたしの寿命はあと半年だってさ」
そう、モニカの体は病に侵されています。己の病を知ったのは、シローラモとの契約が終わった後でした。
「あんた、あたしの魂を取りに来たんでしょ? もう、いいよ。思い残すことなんかない。命あるうちに、休戦協定が結ばれ国のみんなが喜ぶ顔を、この目で見られた。長年の夢が叶ったんだよ……それで充分。地獄でもどこでも、行ってやるから」
すると、シローラモはかぶりを振りました。
「申し訳ないが、君は地獄へは行かない。君が行くのは、魔界だよ」
「えっ、まかい?」
訳がわからず戸惑うモニカに、シローラモは不気味な笑みを浮かべます。
「そう、魔界さ。今、魔界は群雄割拠の戦国時代に突入している。君のような、本物の勇気と信念を持った人材が欲しいんだ」
「えっと……あたしは、そこに行って何をすればいいの?」
「簡単さ。君は、これから魔人に転生する。そして僕の部下として、立ちはだかる者たちを倒して欲しいのさ……」
一方的に語るシローラモ。しかし、今のモニカの耳には、彼の言葉はほとんど届いていませんでした。
なぜなら、モニカの肉体に変化が起こっていたのです。痩せ細り、朽ち果てるのを待っているだけだった体は、昔のような美しさを取り戻していました。体内には、若い頃のような活力が甦っていたのです。
いや、活力どころではありません。モニカは今、己の体内に凄まじい力が湧いて来るのを感じていました。
その力こそが、魔人の証です。モニカは今、人知を超越した魔人の力を手に入れたのでした──
「今度は、君が僕の願いを叶える番だ。魔人の力で、僕の敵になる者たちを全て打ち倒してくれたまえ。わかったね?」
シローラモの言葉に、モニカは力強く頷きました。