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奇妙な関係

 昨日変な女の子に遭遇したからといって、毎日続けている習慣をやめるわけにはいかない。というわけで今日も俺は、バットケースを持って駐車場に来ている。


 名取のことは考えても仕方ないので、いったん放置しておくことにした。敬太の言う通り本人に聞いてみるという手段をとろうともしたのだけど、昼休みまでついぞその隙が無かったのだ。つまり、彼女の周りに誰もいない時にはたまたま俺のところに誰か来ており、俺の方が空いて名取の方に向かえそうな時には、彼女は友達と喋っていた。女子同士で喋っているところに強引に割って入る程の勇気は、俺にはない。


 バットケースからバットを取り出すと、昨日と同じように無心でそれを振り続ける。三年生になってから、昼休みは毎日こうしてここで素振りをしている。じゃあ一・二年の頃はサボっていたのかというと、そういうわけではない。当時は当時で別のトレーニングをやっていたが、今の俺には必要ないというだけのことだ。


 しばらくそうして振っていると、どこからか視線を感じた。振り返ると、そこには名取がいた。何の表情も浮かべずに俺の方を見ている。昨日と違うのは、彼女がカメラを持っていないということだ。


 「あー、何か用、か?」


 名取の方が何も言ってこないので、膠着した状況を打開しようと彼女に声をかけた。それでも名取は黙りこくっている。こんなことを同級生に対して思うのはあまり良くないかもしれないが、流石にちょっと気味が悪い。


 「そういえば、昨日俺のことカメラで撮ってなかった?」


 彼女から反応が得られないので、続けて俺は尋ねた。そう、もしかすると彼女は、単に喋るのが苦手でテンパっているだけかも知れない。そういう人にとってははいかいいえで答えられる質問の方が答えやすいと、どこかで聞いたことがある。


 俺の考えた通りだったのか、果たして彼女はコクリとうなずいた。そして、急に背筋を伸ばすと、俺の方に頭を下げてきた。


 「ごめんなさい」


 名取の少し掠れた、だけど同時に凛とした声が俺の耳に届くまでには、そう時間がかからなかった。


 「別に良いよ。でも、何で俺の写真なんか撮ったの」


 正直なところ、謝ってもらったことで僅かにあった怒りの気持ちは溶けて無くなっていた。だから今は、どちらかというと彼女の行動に対する興味の気持ちの方が勝っている。


 頭を上げた名取は躊躇う素振りを見せた後で、こう言った。


 「……きれいだったから」

 「きれい?何が」

 「その、バットを振る、姿が」


 意表を突かれるあまり、返す言葉を失った。きれい?俺の素振りのフォームがってことか?いやでも、野球の経験が無い人にバッティングのフォームがきれいかどうかなんて分かるものだろうか。そもそも俺のフォームってきれいなのか?もちろんきれいに振れているかどうかも普段意識しないことはないけど、優先すべきはやはり打ちやすさだからな。


 「私、きれいなものを写真に収めるのが好きで」

 「……ああそう」


 何とか俺は答えた。昨日に引き続いて今まさに進行しているこのイベントは、俺の脳内をパンクさせるには十分だった。少しの間ボーッとしていると、毒気を抜かれた俺を居心地の悪そうな様子で名取がじっと見つめてくるのに気づいて、我に返った。


 「写真、見せてもらっても良いか」


 俺は名取に頼んだ。純粋に彼女がどんな写真を撮っているのか見てみたかったというのも勿論あるけど、その場の気まずさを凌ぐためというのが一番大きな理由だった。


 「昨日の?」

 「そう」

 「良いけど、今手元に無いから。取りに行っても良い?教室に」

 「良いよ、待つから」


 俺の返事を聞くや否や、名取は昇降口の方へ走り出した。そんなに俺と二人きりでいるのが嫌だったのかな。彼女の後ろ姿を見ながら、そんなことを考えて俺は苦笑する。


 気を取り直した俺が素振りを再開すると、カメラを持った名取が走って戻ってきた。どうも俺と一緒に居るのが嫌だったというよりは、単に真面目な子だったみたいだ。つまり、俺をあんまり待たせるわけにはいかないと思ったのだろう。


 「これ」と片手で彼女が差し出してきたカメラを、俺は受け取る。


 「ごめん、操作の仕方がわからないんだけど。どうやって過去の写真を見れるの」

 「ここを押して」

 「こう?あ、見れた」


 画面に映っていたのは、俺の素振り写真ではなく、どこか高い場所から撮った風景だった。写っている建物に見覚えがあるので、おそらくこの町を撮った写真なのだろう。町並み自体にこれといった特徴はないけど、夕日が照りつけて赤く輝くその様子は美しかった。


 「これではないな。でもきれいだ」

 「あ、ごめん」


 そう言って名取は俺からカメラを奪い取ると、何度かカチカチとどこかのボタンを押してから「これだ」とまたカメラを差し出してきた。俺にはよく分からないけど、さっきの写真を見られたのは彼女としては少し恥ずかしかったのかも知れない。


 今度は確かに、俺が素振りをしているところが画面に映し出されていた。それも、振っている最中のバットがぶれることなく。


 「こんなにきれいに撮れるものなんだ」

 「被写体が良かったから」

 「あ、いや、そういうことじゃなくて。バットが全くぶれてないからさ」


 どこかピントのずれた返答をする彼女に、「きれい」という言葉の中身を俺は説明する。そもそも、よく照れもせずにそういうことをスッと言えるよな。敬太の言う通り、この子はちょっと変わっているかもしれない。


 「ああ、そういうこと。それは、シャッタースピードを調節したから」

 「ふうん。名取ってさ」

 「なに」

 「カメラ好きなんだな」

 「……まあ、興味ない人よりは」


 彼女は怪訝そうな顔をして、俺の方を見た。その目は「何でそんなことを聞くの」と言いたげだ。


 「いや実は、ちょっと頼み事があって」

 「頼み事?」


 名取の目つきが、どこか警戒するようなものに変わった。無理難題を押し付けられるとでも思っているのだろうか。そうだとしたら、ちょっと傷つくな。


 頼み事というのは、たった今彼女の写真を見て思いついたことだ。こんなことを知り合ったばかりの女の子に頼むのは実際どうかしてるし、図々しいことだという自覚はある。けど、頼めるのは彼女しかいない。そう俺は感じたんだ。


 「素振りの写真でも動画でも良いから、しばらくここで撮ってくれないか。毎日」

 「……どうして」


 こんなことを頼む意図がそもそも理解できないのだろう、彼女はクビをこてんと傾けた。狙ってやっているのかは分からないけど、ちょっとかわいい。


 「うーん、そうだな。簡単に言うと、バッティングをもっと上手くなりたいんだ、俺は」

 「写真を撮ると上手くなるの?」

 「そういう訳じゃないんだけど、ほら、自分じゃ自分のフォームを見れないからさ。動画や写真で撮ってもらえば、後からそれを確認してここを直そうかな、とかできるじゃないか。名取は俺の素振りをきれいだと言ってくれたけど、俺はまだ自分のフォームに納得してないんだよ」

 「……理屈は分かったけど、何でそれを私に頼むの。同じ野球部の人に頼めば良いと思うのだけれど」


 痛い所を突かれたな。そう、確かにバッティングフォームをただ撮って欲しいだけなら、同じ部活のやつに頼むのが一番早い。でも今の俺には、どうしてもそれをしたくない理由があった。


 どう答えて良いか分からず無言を貫く俺を見て、ふうとため息をつく名取。何というか、短い時間で立場が入れ替わったような感じがするな。


 「良いよ。甲斐のそのばってぃんぐふぉーむ?は被写体にちょうど良いし、昨日のこともあるから。お詫びってことで」

 「まじで。本当にいいの?」


 嬉しさのあまり、思わず俺は彼女に詰め寄っていた。驚いた名取は、俺から一歩後ろへ遠ざかりながら頷く。うん、恐がらせてごめんなさい。


 ともかくこうして、俺と彼女の奇妙な関係が始まった。

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