再会
成人式の翌日、早速俺は村山整形外科に電話を掛けた。
かつて俺が、肘の故障を治すために通っていた病院。連絡をとるのが恐くないと言えば、嘘になる。2年近く名取を避けていた後ろめたさはやっぱり大きい。
それでも今は、恐さよりも名取を心配する気持ちが優っていた。噂を聞く限りでは、彼女は大丈夫なのだろう。今更俺なんかに心配されたって、本人からすれば迷惑でしかないかもしれない。だが、真相を確かめないことには俺の気持ちに収まりがつかない。
ワンコールで電話は繋がった。受付の女性が電話に出る。その声は、どこかで聞き覚えのあるものだった。ちょっと不思議に思ったが、よくよく考えれば俺が通院していた頃から2年しか経っていない。同じ人が受付をしているなら、それは聞き覚えがあるに決まっている。
澱みなく挨拶し、こちらに要件を尋ねてくる彼女に、俺は自分が2年ほど前村山病院に通っていたこと、ちょっと事情があって村山先生と直接話したい旨を告げた。
「そう、ですね。少々お待ちください」
相手方が困った様子で言うと、しばしの間俺のスマホは何も言わなくなった。おそらく、先生に確認をとっているのだろう。
今更になって俺は、自分がとんでもなく迷惑なことをしているのではないかと思いはじめた。よく考えなくても、向こうは仕事中じゃないか。それが突然電話をかけて、挙げ句の果てに診察の予約でもなんでもなく、直接話したいだなんて。明らかにやり方を間違えた。
俺が自責の念に囚われていると、再び先ほどの女性の声が聞こえた。名前を名乗ってくれと言う。言われて初めて、自分の名前すら名乗っていなかったことを俺は自覚した。自分では気づいていなかったが、俺も相当焦っていたということか。
「甲斐です。甲斐、正人です」
俺は最初に名字だけ言ってから、思い出したようにフルネームで名乗った。甲斐だけだと、苗字が他の患者さんと被るということもあり得る。
すると、相手方の女性がなぜか絶句した。しばらく待ってみても、彼女は言葉を発しない。俺は訝しげに「あの、どうされました」と尋ねた。
「甲斐、君?」
返ってきたのは、思いもよらない言葉だった。その懐かしい響き。平坦で、それでいてどこか乾燥した名前の呼び方。間違いない、今電話の向こう側にいるのはーー。
「名取、か?」
俺は名取と、電話越しの再会を果たした。
辺りがすっかり暗くなった頃、俺と名取は駅前のファミレス店内で向かい合っていた。
あの感動の再会の後、俺たちはその日のうちに会って話すことを約束した。あれほど会うのが恐かったのに、実際に電話で話してみると、とんとん拍子に事が運んだのだ。
名取は午前中が病院でのバイト、午後は授業とのことだったので(午後が授業なのは俺も同じだ)、会うのはその後がいいだろうということで、今に至る。
でも、電話と対面だとやはり印象が違う。まず、目の前にいる名取は高校時代に比べてかなり垢抜けた。個人的にはもともと可愛いとは思っていたが、そこに華やかさも加わった印象だ。白地のカットソーに黒色のプリーツスカートというシンプルな服装も、彼女によく似合っている。
名取から見た俺は、どうなのだろう。私服は大学に入ってから多少気にするようになったし、自分のセンスに自信がない故にマネキンや量産型大学生の服装をトレースしているから、ダサいということはないはず。でも、華やかさはないだろうな。面白みもないだろう。
「……」
「……」
それにしても、沈黙が重く感じられる。目の前の名取は、さっきから髪の毛をいじったり自分の指先を見つめたりしていて、いっこうに話しだそうとしない。まあ、俺もなんだけど。
「「ひさ……」」
とりあえずの話の糸口にと久しぶり、と言おうとしたら、名取とタイミングが被ってしまった。そしてまた、沈黙。なんだこの時間。胃がもたない。
「そ、そういやさ。知ってるか、名取?ここの間違い探し、めっちゃ難しいんだぜ」
あまりの緊張感に、気がついたらそんなことを口走っていた。しかも早口で。
「やってしまったー!」と心の中で頭を抱えていると、名取がふふ、と笑い声を漏らした。
「知ってる。やる?」
あれ?雰囲気がちょっと和んだか?なんかよく分からないけど、もしかして俺、気づかないうちに正解引いてた感じかな?
とにかく、これは大チャンスだ。このビッグウェーブに乗らない手はない。
「あ、ああ。やろうぜ」
「分かった。でもその前に、注文しないとね」
あ、はい。完全に忘れてました。
注文を終えた後、二人で間違い探しをしていると、どちらからともなくぽつりぽつりと会話が進みはじめた。モトから聞いた噂の確認もしたが、ほぼ合っていたようだ。名取は「なんでそんなこと元山が知ってるんだろう」と気味の悪そうな顔をしていた。哀れモト。
最初は緊張してどうにか上手くやらないと、なんて思っていたけど、今はこのぎこちなさが逆に心地いい。無理に「上手く」やる必要なんて初めからなくて、久しぶりの再会にはこのくらいゆったりしたペースが丁度いいのだとすら思える。
10個中8個の間違いが見つかり、あとは激ムズの間違いが残るのみとなったところで、俺は意を決して口を開いた。ずっと名取に言いたかったのに、言えなかったこと。この2年間、後悔していたこと。
「その、今まで連絡とらなくて、ごめん。あと俺、名取のことが好きだ」
ついに言ってしまった。もう後戻りはできない。でも、後悔はない。むしろすっきりとした何かが、俺の全身をすっと突き抜けるのを感じた。
俺は間違い探しに描かれているデフォルメされた豚を見比べながら、名取の返事を待った。ここの間違い探し、細かい線とかにも間違いが潜んでいるのがすごいんだよな。豚のシワの模様に違いがあったとしても、何も驚きはない。
「ごめん」
しばらくすると、名取がぼそっと呟いた。その言葉を脳が理解するまで、少し時間がかかった。理解した後で、ああ、俺今フラれたんだなという実感がどこからともなく湧き上がってきた。
俺は豚から向かいに座る名取の方へ、ゆっくりと顔をあげた。目に入るのは、俯き気味に間違い探しの絵を眺めている名取。
「了解。返事してくれて、ありがとう」
その言葉は、思いの外すっと出てきてくれた。口元だけでちょっと笑ってみせる。上手く笑えているだろうか、今の自分は。
名取も顔を上げてこちらを見た。今日初めて、目が合った気がする。彼女の黒々とした大きな目には、驚きと絶望とが浮かんでいた。
「あ、ち、違うの。その、いや、違くはないんだけど、なんていうか……」
急によく分からないことを言い出す名取を、俺は辛抱強く待った。待つのには慣れっこだ。2年前、彼女と話すときもこんな感じだった。
「その、実を言うとね、私も甲斐のことは好きだったの。ただ、なんていうか、久しぶり過ぎて自分の気持ちに自信が持てないというか……」
目線を少し上にやり、考え考え話す名取。つっかえながら、不器用に言葉を紡いでいく。でも、いや、だからこそ、その言葉に嘘偽りはないように思われた。
「……うん、自分でも都合の良いこと言ってるていうのは分かってる。でも、久しぶりに会っていきなりお付き合いからっていうのは、正直恐くて……。友達から、じゃダメかな」
恐る恐るこちらを見る名取。その様子を見ていると、さっきと違って自然と笑みが浮かんできた。今、俺の言うべきことは決まっている。彼女が望んでいることを、ただ口にすればいい。
「いいよ、全然。俺はいくらでも待てるから」




