第96話 やわらかな肌
なかなか離してくれないシルビア様から逃れようとすると、明日の手術に備えて一日ゆっくりと休んでいるようにと言い渡されてしまった。
フィーちゃんに事情を話すと快く家事を代わってくれたけど、何もしないでいるとなんだかソワソワして落ち着かない。
いよいよ差し迫ってきた手術のことを考えると、胸が圧迫されたように苦しくなる。
「明日に備えて体調を管理するのも大事なことだよ。ちょっと歯がゆいかもしれないけれど」
「はい……わかりました……」
そんな私の気持ちを分かってくれたのか、シルビア様は今日一日ずっと私の傍にいてくれた。
「……あの、シルビア様?」
「何だい?」
「どうして……ずっと、頭を撫でられているのでしょう……?」
なるべく体力を使わないように大人しく窓辺に座ったりしていると、いつの間にか隣に居るシルビア様の手が頭の上にあるのだ。
「いいからいいから。緊張を解すためだよ、ユミィ」
髪に触れるシルビア様の指がゆっくりと耳をなでる度、背筋がゾクゾクと震える。
それは嫌な感じではなくて、どちらかというととても気持ちいいのだけど……
ドキドキして、緊張は解れるどころか増しているような気もする。
恥ずかしいのだけれど、そっと触れる手が嬉しくて私は幸福を感じていた。
今日になって体調がすっかり回復したルネが、私の代わりに子供達の遊びに付き合って、一日中走り回ってくれた。
遊びと言っても追いかけっこをしながら魔力玉を当てっこしあうという高度なもので、本気でやり終えたルネは気力体力魔力とも再び空になってしまったみたい……お疲れ様です、ルネ君。
というか、ロシータちゃんの火炎玉や、ダークちゃんの闇玉、チェリーちゃんの落とし穴を全て避け切れるルネって、もしかしてものすごいのでは……?
少し離れた場所で見ていたけど、ルネは子供たちの追撃を涼しい顔で避けて、だいぶ手加減する余裕もあったような……
なかなか追いつけないルネに子供たちは本気になってなんとかやっつけようと頑張っていたのよね。
みんな、ルネに懐いてくれて嬉しいな……
ルネも子供たちと遊べて「疲れた」と言ってたけど、尻尾が揺れてたから楽しかったんだろうな。
手術の前に改めてシルビア様が説明してくれたことによると、私が受ける手術はかなり大きいものらしい。
大まかに言うと、怪我した左足を切開し、魔物の爪を取り出した患部を清浄化して、ゆっくりと回復させたら足を元の形に魔法で再形成するそうだ。
考えるだけでも気が遠くなるほど大変な手術だけど。
なんでも、手術に必要な魔法医や呪術師、薬師などがすべきこと全てをシルビア様は一人で行えるのだという。
シルビア様にそれだけの実力があるのはわかるけど、彼女の負担になってしまうことが申し訳なくて仕方なかった。
私の気持ちを察したのか、「君の治療に携われることを嬉しく思うよ」とシルビア様が笑ってくれる。
シルビア様も皆も、私を包み込むように守ってくれている――
込み上げてきた涙を見せないように、私もシルビア様に微笑みかけた。
***
あっという間に夜になり、お風呂から自室へと戻ると、シルビア様が部屋の前で待っていた。
私はドアを開けてシルビア様を自室に迎え入れ、一緒に寝台へ腰掛ける。
「明日の手術、怖いかい?」
シルビア様が私の顔を覗き込むと、ふんわりと爽やかな香油の匂いがする。
憂いを帯びた黒曜石のような瞳が、心配そうに私を見つめている。
「……正直に言えば……怖いです……とても……」
色々な事をして気を紛らわせていたけれど、もうあまり時間が無いのだと思うと、膝に置いた手にギュッと力が入った。
その手の上にシルビア様の抜けるように白い手が置かれる。
「……大丈夫だよ。何があっても、絶対に私が手術を成功させるから」
「シルビア様……」
目が合うと、長いまつ毛を伏せて励ますように頷いてくれる。
「今日は、抱きしめて眠りたいな」
「……シルビア様……あのっ……」
「駄目……?」
おねだりするように言われて、躊躇いながらも私はゆっくりと首を横に振った。
シルビア様は私を励ましてくれようとしているのかもしれない。
……だけど、私は人肌が恋しくて仕方ない。
できることなら何も知らない赤子のように縋りついて安心を求めたい。
私、シルビア様に抱き締められたいんだ……
信頼するシルビア様に……信頼よりも、何か強い気持ちを感じるシルビア様に……
シルビア様に優しく抱き締められて横になると、私はあっという間に獣化してしまう。
柔らかくて温かくて、不安だった心がほぐされていって、涙が出そうになる。
シルビア様の豊かな胸が目の前にあるので、私はぎこちなく体を動かしシルビア様に背を向ける。
「シルビア様……あのっ……は、恥ずかしい、です……」
「どうして……? 裸で抱き合ってるわけじゃないよ……?」
「……私は……裸みたいなものです……」
獣化したので、寝着はゆるくなってしまっている。
「そっか……それじゃあ……」
「え……?」
パサリと布が床に落ちる音がして。
「私も……今日は、裸で寝ても……いい?」
シ、シルビア様……! 寝着、……ぬっ、脱いでっ……⁉
「だっ……駄目ですっ! シルビア様っ! キャンッ! キャンキャンッ!! (駄目です! 駄目ですっ!!)」
私の抗議の声は、狼の鳴き声に変わってしまう。
クスクスとシルビア様が笑う。
「えいっ!」
「キャンッ‼ (きゃあっ‼)」
私を後ろから抱きしめるシルビア様は、ちゃんと寝着を身につけていた。
身を返して見ると、異空間収納から出したのか、床にはシルビア様の外套が落ちている。
「冗談だよ。ビックリした?」
「……かっ、からかうなんてっ! キャン! キャンキャン! (ひどいです、シルビア様! グルル!)」
「ふふっ。ごめん、ごめん。……そうだ、ここも触っていいかい?」
「……えっ?」
シルビア様の白い指が伸びて、私の脇腹をくすぐった。
「き、きゃあっ! やっ、やっ、やめっ……! キ、キャンッ! キャフフ! キャフ、キャフンッ!! (や、やっ、やめてくださーいっっ!!)」
悪戯っ子のように笑みを浮かべたシルビア様は指を動かし続ける。
「ふふふ。ユミィはお腹まで可愛いね。フワフワしてる……」
シルビア様は心から楽しんでいるように見えた。
くっ……くすぐったくって苦しいわっ……!
息もできない私は、悔しくなってやり返す。
「キャンッ! (シルビア様め~っ!)」
私の狼の前足は、人間の手のように上手くくすぐることはできずに、シルビア様のお腹をフミフミするのが精一杯だった。
それでも、少しは手応えがあったのか、シルビア様の陶器のように白い肌が赤く染まっていく。
「ユ、ユ、ユミィ……く、くすぐったいよぉっ……!」
シルビア様が苦しそうな声を漏らすけど、私は足踏みを止めない。
「キャンッ! (シルビア様が、先にからかったんですからね!)」
私の急な抵抗に驚いたシルビア様は、頬を染めて、零れ落ちそうなほど大きな目を潤ませていた。
「ユ、ミィ……やっ…………めっ……」
笑っているのに苦し気なシルビア様の表情が、綻びはじめた花のようで。
私がフミフミすればするほど、シルビア様の口から「んんっ……」とくぐもった声が聞こえ、息づかいが荒く乱れていく。
薄紅の唇を開いて息をするシルビア様は、ひどく悩ましげに見えた。
……な……なんだか、とても悪い事をしているような気がするわね……
流石にやりすぎたかなと思って、私はフミフミする前足を止めシルビア様を見上げる。
肩で大きく息をして呼吸を整えたシルビア様が、私の目を見つめて微笑んだ。
そのトロンとした瞳には熱が籠っていて。
「ねぇ、ユミィ……そっち、向いてくれる?」
「クゥ~ン? (シルビア様?)」
私はお座りしてシルビア様に背を向ける。
衣擦れの音がして、ベッド横の床に布が落ちたのがわかった。
「シ、シルビア様っ……⁉ キ、キャオンッ⁉ (な、何がっ⁉)」
固まっていると、シルビア様に後ろから抱きしめられ、一糸まとわぬシルビア様の素手が、私を包み込んでいた。
背中に押し付けられた大きくてやわらかな膨らみ。
耳元にかかる熱い息。
「やっぱり……ユミィを、もっと沢山感じたい……」
「キ、キ、キ、キャーンッッッ!!!(キャ――――――ッッッ!!!)」
血が沸騰しそうなほどに身体中が火照っている。
抵抗できない私を抱き締めたまま、シルビア様は寝台に横になった。
「モフモフだねぇ、ユミィ。気持ちいいよ……」
柔らかな唇が耳に触れる。
雪のように白い指先が、私の前足に絡んで肉球を確かめるように撫でまわしている。
スンスンと頭の匂いを嗅がれ、私はもう抵抗する気力が無くなってしまう。
「ク……クゥ~ン……(も……もぅ、だめ……)」
頭の中が爆発しそうっ……
視界がグルグルと回って、私は意識を手放した。