第94話 補い合うように
部屋中の空気が震える。
その原因が、苦しみを堪えている様なシルビア様の声のせいだと気づいた。
黒曜石のような美しい瞳には、懇願する様な切な気な色が浮かんでいる。
「私には……ユミィが必要なんだ……どうかっ……ユミィを、連れて行かないでくれ……っ!」
一気に言って頭を下げたシルビア様にルネは面食らっている。
シルビア様と私を交互に見ると静かに尋ねた。
「……ユミィは、どうしたいんだよ?」
「私は……」
突然のシルビア様の行動に驚いてしまったけれど。
その響く声は、私の心臓をギュッと掴んで離すことは無かった。
……こんな声聞いたら、もう離れて住むなんて……できないよ……
「私は、シルビア様のそばにいたい……」
たとえそれがルネや周囲に迷惑をかけることになってしまっても、私の気持ちはもう決まっていた。
私の言葉を聞いたルネの目が見開く。
「ユミィ……」
こんなに唖然とするルネの顔は、今まで見た事がなかった。
隣に目を向けると、シルビア様も息を忘れた様に動きを止めていた。
「あのね……ルネのこととか、実家のこととか、どうでもいいって思ってるわけじゃないの」
診療所も、実家も私にとってはどちらも大切な場所であることに変わりは無い。
「ルネ……私ね、シルビア様に必要とされて、嬉しかったの」
「……そんなの、俺だって……」
ルネが眉根を寄せて反論するのに、私はゆっくりと首を左右に振った。ルネが、優しさで言ってくれてることがよくわかる。
「ううん……ルネは、私がいなくてもやっていける。でも、シルビア様は、自分にできない事をしてほしいって言ってくれて。それが偶然、私にできることで。お互いに、自分に無いものを補い合っていけるの。……なんていうか、そのっ……とても、しっくりくるっていうのかな……」
なんとなく言葉では上手く伝えられないけれど、私にとってシルビア様は無くてはならない人なのだ。……シルビア様にとって私は、そうじゃないかもしれないけど……そうなりたいな……
「ユミィ……」
シルビア様の体から力が抜けていくように見える。
その足元で、シルビアゴーレムがうんうんと頷いていた。
「ユミィの足……治るのか?」
ルネの眼差しには不安と期待が込められているように見えて。
シルビア様がそれらを肯定するように頷いた。
美しい黒髪をサラリと揺らして、瞳には強い力がこもっている。
「ええ、私が必ず治します」
断言したシルビア様の口調は、改まったものに変わっていた。
シルビア様……さっきは、私が行ってしまうと思って焦っていたのかな……
もし、そうだとしたら……とても嬉しい。……私も、シルビア様のそばに居たいもの……
「……わかった。だけど……」
「だけど……なぁに?」
なんだか、厳しい事を言われるのかな……
冒険者として生きてきたルネは、社会人として私よりずっと先輩だ。
緊張してちょっと身構える。
「……たまには……帰ってこいよ」
ルネが真っ暗な窓の外を見ながら言った。
ちょっとむくれた様な顔は、少しあどけなく見える。
「ルネッ……! うんっ、ありがとう、ルネ!」
私がそう言った瞬間、扉がガバッと開いてロシータちゃん、チェリーちゃん、ダークちゃん、フィーちゃんが部屋に飛び込んでくる。
「だから、ボクは覗くなって言ったんだ!」
「えー、だーくだって、のぞいてたのにー!」
「あ……、ごめんなさい、ユミィさん、ルネさん……」
「きゅー。ごめちゃーい」
飛び込んできた四人が気まずそうに笑う。その姿が可愛くて、私は思わず噴き出してしまった。
「ふふっ、あははっ! コラッ、みんな、なにやってるのっ!」
やれやれ、という風に、シルビアゴーレムが肩をすくめた。
「手術は明後日になります。どうか、付き添いをお願いします」
ルネは考え込んでいる様だったけど、やがて頷いた。
「……ユミィを……姉を、宜しく頼みます。手術も……それが終わってからも……」
「ルネ……」
こんなに心配をかけてしまったのに許してくれたんだ……
「ええ。もちろん」
シルビア様が微笑むのを待っていたように、子供たちがルネに駆け寄った。
「なぁー、ろしーたなー、ろしーた、っていうんだぞー。このこは、ちぇりー、だぞー。るねは、ゆみぃのおとうとなんだろー? じゃあ、ろしーたの、おとうとなのかー?」
「何でそうなるんだよっ! ……ボ、ボクは、ダークっていうんだぞ……本当は男だから、一緒に遊んでやってもいいけどっ……!」
「きゅー! きゅいきゅい、きゅきゅい! きゅー!」
キラキラした目の子供たちに詰め寄られたルネは、戸惑いながらも笑ってくれる。
「君たち、ルネ君は体を休ませないといけないからね。今日は駄目だよ」
「もう遅いですから、明日早起きしてたっぷり遊びましょうね」
フィーちゃんがペコリと頭を下げて、子供たちを病室から連れ出してくれた。
「明日になれば、自由に動いて大丈夫です。今日はゆっくり休んでください」
香炉に新しいお香を入れたシルビア様は、そっと私の背中を撫で病室を出て行く。
「賑やかなんだな……なんか……安心した」
「そうなの。毎日とても楽しいんだよ」
ルネは苦笑いしながら息を吐く。
ここで生活することを認めてくれたみたいだった。
「あ~、安心したら気が抜けちゃった~」
ルネの隣のベッドに腰掛けそのまま横になる。
「自分の部屋に戻れよ」
「いいじゃない、ちょっとくらい」
呆れるルネの横で、私は盛大に欠伸をする。
今日はよく歩いたから、お布団がおいでって言ってるわ……もう起き上がる気力がない。
「……横になったら眠くなってきちゃった……ぬくいわー」
「……おい!」
ルネが私のおでこをピンと弾いた。イテテ……
でも、だめ。そんな軽い攻撃じゃ、私のまぶたを開ける事はできないわ……お布団の海に沈んでいくの……
「……まったく、しょーがねーなー」
ほどなくして夢の中に入って行く私に、ルネが上掛けをかけてくれた気がした。