第93話 胸に迫る声
ルネの食事を作りに広間と対面するキッチンへと向かうと、既にそこではフィーちゃんとカレンデュラさんが手際よく料理を作っていた。
白いフリルのついたエプロンを可愛く着こなした二人は、まるで姉妹のように見える。
「デザートに何かほしいわね」
「ヨーグルトなんてどうでしょうか? 以前作った生クリーム入りのものが保存箱に」
「丁度いいわね。レモン汁を加えてベリーを重ねて、スコップケーキみたいに器に盛って……多めにあるならバターも作りましょ」
「わかりました」
保存箱から出した大瓶に入ったヨーグルトを、フィーちゃんが銘々の硝子の器に盛っていく。隣ではカレンデュラさんがヨーグルトを攪拌させバターを作っていた。
二人の間を小さな精霊ちゃんが飛び交って、一生懸命に料理を冷やしたり温めたりしている。
お互いにやる事を分担して、息ピッタリに料理を作り上げていく。す……すごいわ……
とてもじゃないけど、私の出る幕はないわね……
手際の良さに見とれていると、私に気づいたフィーちゃんが笑いかけてくれる。
「ユミィさん、お疲れ様です。これ、ルネさんにどうぞ」
皆の食事とは別に準備されたお粥用の小鍋からは、温かな湯気が立っていた。
「ありがとうフィーちゃん。このお粥、フィーちゃんが?」
尋ねた私に向かって、首を横に振ったフィーちゃんが悪戯っぽく笑う。
「アタシよ……何か文句ある? ルー様のを作るついでよ!」
「カレンデュラさんが! ありがとうございます! いい匂~い。美味しそう!」
「つ、ついでだって言ってるでしょ! 完成するまで待ってなさい!」
今日着せてもらったお洒落着のお礼も言うと、カレンデュラさんが操った精霊ちゃん達によって私はキッチンを追い出されてしまった。もっとお礼を伝えたかったのに、……残念。
戻ってきた時にはカレンデュラさんはいなくなっていて、フィーちゃんが「じつは一番手が込んでいるんですよ」と教えてくれる。
準備されたトレイには、とっても栄養満点なお粥の入った小鍋と、犬の顔の形に盛られた炒めたご飯の載ったお皿。どちらもカレンデュラさん渾身の作らしい。おおお。
垂れ耳の犬と、尖った耳の犬は、もしかして私とルネ……?
ご飯の横に魔力菜とミニトマトが彩りよく添えられている。
ヨーグルトとベリーがスコップケーキ風に美しく盛られた硝子の器は程よく冷えていた。
どうやったら、こんなに可愛くできるんだろう……? カレンデュラさんから学ぶ事がありすぎるわ……
そう思ったのはフィーちゃんも同じだったようで、「ちょっと悔しいです」と言ってターコイズグリーンの目を輝かせていた。嬉しそうなやる気に満ちたような顔をしてるな。なんとなく気持ちがわかるわ。
「こっちのポトフも美味しそうだよ! これ、フィーちゃんが?」
「はい、ユミィさんのご要望を受けて作ってみました」
蓋を開けた大鍋から、煮込まれたお野菜とお肉のいい匂いが漂ってくる。
器いっぱいにポトフをよそってくれるフィーちゃんは楽しそうな顔をしていた。
ジャガイモやブロッコリー、人参に玉ねぎ……煮込まれた沢山のお野菜とぶ厚いベーコンを見ていると、涎が出てきちゃうわね……お腹空いたわ。
フィーちゃんに家事を押し付けてしまったお詫びとお礼を伝えると、「お役に立てる事が嬉しいんです」と返されてしまった。フィーちゃん、いい子すぎるよ。
「お代わりもあるので、沢山召し上がってくださいね。後で、シルビアさんがお部屋に伺うと言っていました」
「うん、わかったよ。ありがとう、フィーちゃん!」
トレイを片手で抱え直して病室のドアを開けると、再び横になったルネは目を閉じていた。
また眠ったのかな?
人化してるから、さっき獣化してしまったのは一時的な不調だったみたいね。
薄明りの中で、椅子に座っていたシルビアゴーレムが手を振ってくれる。
水差しの隣に食事の載ったトレイを置いて、ゴーレムちゃんを膝に載せて座り直す。
目覚める気配がないなら、先に食べちゃおうかな。
ミニトマトを一つつまんでゴーレムちゃんの口に運ぶと、嬉しそうにパクリと食いついてくれる。
ニコニコと食べる顔が可愛くて、そっと頭を撫でた。
私も……どれ、一口……モグモグ……
炒めたご飯は食べるのが勿体ないほど可愛い。
美味しい……私が作るよりも美味しいわ……
私がモゴモゴ食べていると、シルビアゴーレムが口を開ける。
その顔が本当にシルビア様そのもので、クスクスと笑ってしまった。
「ん……ユミィ?」
「あ、起こしちゃった? ごめんね」
私からご飯をもらってモゴモゴ食べていたゴーレムちゃんが、すまなそうに頭を下げる。
「いいよ……上手そうな匂い……ユミィが……作ったのか……?」
「ううん、カレンデュラさんとフィーちゃんが作ってくれたんだ」
小鍋の蓋を取り、お粥をすくったスプーンをルネの口に近づける。
あ、しまった……つい、いつもの癖で……
シルビア様のせいで、あーんする習慣が身についてしまった……よくないわね……
ルネにこんなことしたら怒られるわっ。
私がスプーンを下げようとすると、ぼんやりした顔のルネが無意識にスプーンを咥えた。
「……」
お粥を口にし、美味しかったのか半分目を閉じながら、ほにゃーっと幼い顔をして笑っている。
寝ぼけているな、ルネ君……ふふっ、珍しいなっ。
ルネのこんな顔を見るのは子供の時以来だったので、微笑ましい気持ちになる。
何度かお粥をルネの口に運ぶと、モゴモゴと食べていたルネがやっと正気に戻った。
「……何で食べさせられてんだよ……いいよ、こういうの……」
薄暗い病室の中でもわかるくらい、ルネの顔は赤くなっていた。ちぇっ。面白かったのに……
私からスプーンを取ったルネが、お粥をパクパクと食べだす。
「ポトフもあるけど、食べる?」
「うん、もらう……あ、でかい肉」
「あっ! 全部取らないでっ!」
「しょーがねーなー」
ルネがスプーンで大きめのベーコンを半分にしてくれて、片方攫って行った。
ルネのベーコンの方が大きかった気がするわね。……まぁいいか、あとでお代わりしようっと。
ゴーレムちゃんにポトフの人参をあげようとすると、シルビアゴーレムはベーコンを指さす。
……大丈夫よ、後でお代わりするんだから。
シルビアゴーレムは私がスプーンに載せたベーコンをフーフーすると、満面の笑みで口にした。
その顔がとても幸せそうなので、なんだか私も嬉しくなってくる。
結局、キッチンと病室を二度も往復して、ポトフを山盛りお代わりしてしまった。ちょっと食べ過ぎたかな……?
弱っていると思ったルネは意外と食欲旺盛で、モリモリ食べるから私もつられて食べてしまったのよね。決して、私が食いしん坊なのでは……ないはず……
「ユミィ、考え直した方がいいんじゃないか?」
お皿を片付け病室に戻った私に、ルネが言った。
「考え直すって、何を?」
「……急に家を出て働くより、しばらく通って様子を見た方がいいだろ……?」
ルネ、私のこと心配してくれているのね……でも、迷いの森と実家までの距離はかなりあるから、通うというのは現実的ではないかな。
大丈夫だよ――と言おうとした言葉は、静かな声に遮られる。
「いや、ユミィには私のそばにいてもらう」
音も無く病室に入ってきたシルビア様が、私の隣に寄り添うようにして立っていた。
シルビア様は女剣士風の服から研究着の黒いローブに着替えていた。
「シルビア様っ!」
私が立ち上がると、ルネが驚いた顔をする。
「この人が……! ……あの名高い、時魔法師……様か……」
ルネの問いかけに、シルビア様はゆっくりと首を横に振る。
「私は平凡な人間だよ……」
「そんなことないだろう……現に、この香だって……」
「大したものではない……」
部屋に置かれた香炉をチラリと見たルネが息を吐いた。
「いや、すごい効果だよ。体に負担をかけずに、ここまで体力と魔力を回復させてくれるなんてさ」
ルネが拳を握りしめたり開いたりしながら言う。どうやら、力が戻ってきているみたいね。
「森の魔術には参ったけど、あれだって大したものだよ……」
「……違う。私は……」
室内に人数が増えた事で、魔道ランプの灯りが大きく広がっていく。
灯りがシルビア様の顔を照らすと、細い肩が小刻みに震えていることに気づいた。
――私は――ユミィがいないと、何もできないんだ――
囁かれた声は、精霊の羽ばたきよりも小さくて。隣にいる私しか、その声が紡がれたことを知らない。
光に照らされたシルビア様の美しい相貌は、血の気が引いて驚くほど真っ青だった。
窓の外を見ていたルネがシルビア様に向き直る。
「助けてもらった礼を言うよ……ありがと――」
「ユミィを、連れて行かないでくれっ!!」
胸を締め付けられるような悲痛な声が部屋に響いた。