第88話 カフェ
「ご注文の前に、冷たいお水で喉を潤してね」
「あ、ありがとうございます」
アリアさんが半袖のパフスリーブの上に身に着けた繋ぎのエプロンは、太ももが見える大胆なデザインながら、全面のタッグや背中にクロスされたリボンがポイントになった凝った作りでとても可愛い。
受け取った硝子のゴブレットには、氷と一緒に薄く切ったレモンが涼し気に浮かんでいた。
認識阻害魔法を解いた私達がいるのは、シルビア様行きつけのカフェレストランだった。
街で出会ったアリアさんに連れられて、広場から石畳の煉瓦造りの道を抜けると、突然開けた場所に優しい木漏れ日に包まれたお店があった。
緑の切妻屋根と白壁の色合いが綺麗で、こぢんまりとしていてとても可愛らしいカフェを経営しているのは、シルビア様の妹のアリアさんとリス獣人のコリスさんだ。
肩口までの淡紅色の髪を揺らしながら笑うアリアさんは相変わらず溌剌としていて元気がもらえる。久しぶりに再会できてよかった。
厨房から挨拶に来てくれたコリスさんは、フリフリのエプロンドレスを身につけた小柄なリス獣人のお姉さんだった。カフェレストランの料理を担当しているらしい。とても憧れてしまうわ。
二人は一緒にお店を切り盛りして、今後は二階に魔道具店を作る予定だそうだ。
「従業員募集中よ♡」とのアリアさんの言葉に頷きそうになるのをシルビア様に止められた。
「でもまさか、街中で邪悪な魔法を使おうとしているのが姉さんだったなんてね。悪いモンスターでもいたの?」
「驚かないんですか?」
「姉さんが意味なく使うわけないもの」
私達にメニューを渡しながらアリアさんがにっこりと微笑んだ。
アリアさんはシルビア様をとても信頼しているのね。仲のいい姉妹がいるのは羨ましいな。
私は全く気付かなかったけど、さっき何か危ないことがあったのかしら?
「ゴ、ゴホッ……。そうだ。のっぴきらない理由があったんだよ……」
シルビア様がアリアさんから受け取ったメニューを渡してくれる。
「なー、ありあー! あのな、さっき、ろしーたのまえ、まっくまっくだったんだぞ! それで――」
「ト……トカゲッ、早く注文しないと、肉が無くなるぞ!」
「えええっっ⁉ たいへんだー! ろしーた、これがいいぞ!」
何やら青ざめたダークちゃんがロシータちゃんの前にメニューを差し出すと、ロシータちゃんは間髪入れずに鳥の丸焼きの絵を指さした。
カフェレストランというだけあって、がっつり系もやっているのね。
「ちぇりーは、どれにするー? どのにくも、おいしそーだぞ!」
「きゅいー……ごあん、やーの。おやちゅー」
「おっ。ちぇりー、おやつがたべたいのかー?」
ロシータちゃんは文字の読めないチェリーちゃんに、メニューからデザートのページを開いて見せた。ロシータちゃんの胸ポケットから這い出たチェリーちゃんが、テーブルの上で尻尾を振りながら真剣にメニューを選んでいる。
どのデザートもとても美味しそうだから、チェリーちゃんが目移りしちゃうのもわかるわ。
「ボ、ボクはコレを……」
ダークちゃんが指さしたのは、たっぷりの玉子でご飯を包んだオムライスの絵だった。
ダークちゃん、玉子が好きなのね。覚えておこうっと。
「私は、こちらをお願いします……」
フィーちゃんは頬を赤らめて、「あの、レアでお願いできますか?」と言ってミノタウロスの串焼きを頼む。
フィーちゃん、お肉好きだもんね。私も血の滴るようなレアが好きだから、気持ちがよくわかるよ。
「ままー、ちぇい、こえー! ……きゅい!」
尻尾をフリフリさせながら食べたいものを選んでいたチェリーちゃんが、パンケーキの絵の上にポスっとフサフサの尻尾を載せた。
「ちぇりー、これだってー」
「ちぇぃ、あみゃぃ、しゅきー♪」
「ちぇりーは、あまいのがすきなんだな」
「かしこまりました、お嬢様。当店自慢のパンケーキは、頬っぺたが落ちるわよ♡」
アリアさんがウインクを飛ばすと、チェリーちゃんが「きゅっ⁈」と言って両手で頬を押さえた。
大丈夫よチェリーちゃん頬っぺたは落ちないのよ、と教えてあげたいけど、その仕草が可愛すぎてもう少しだけ見ていたいわ……
そんな邪なことを考えていると、ロシータちゃんがチェリーちゃんを安心させるように抱きしめた。
「だいじょーぶだぞ、ちぇりー。ろしーた、ちぇりーのほっぺ、ひろってやるからな!」
「きゅい!」
ロシータちゃんのお姉さん力が上がっているわ。
二人を見ていると、子供の頃を思い出してくるなぁ。
カフェの前を通るたび、窓から覗いてしまって怒られたりしたっけ。
垣間見えた果実がたっぷり載ったケーキや、綺麗な陶器に注がれた飲みものとか、とっても憧れたのよね……
いつかカフェに来れたらそういうお洒落なものを……と思っていたんだわ。
チェリーちゃんの選んだパンケーキのように、甘くてフワフワで果物たっぷりで――でも、よく見るとメニューが豊富だなぁ……
羊皮紙に手書きの絵と値段が描いてあるメニューは、刺繍された布地カバーに包まれていて、細かいところにもお店側の気配りが見えた。
ミノタウロス肉を使う料理が、このお店の売りなのかぁ……ふむふむ……
「ユミィは、何にする?」
「……あの……これを……」
シルビア様に促され、私はそっと【ミノタウロスステーキ・ガーリックライスのせ】を指さす。
ああ……。子供の頃の私、ごめんねっ……。でも……っ!
このミノタウロス肉の絵を見た瞬間から、ニンニク臭くなっちゃうのなんてどうでもよくなるくらい、食べたくなっちゃったのよね……
「浄化魔法で匂いは消せるからね」と、シルビア様はクスっと笑う。
「私も同じものをもらおうか。それと、パンを籠いっぱい、サラダとスープも人数分。デザートと飲み物は食後に」
アリアさんが皆の注文を手早くメモに書き込んで行く。
「了解したわ。お料理が届くまでの間、お店の中を好きに見てもらって大丈夫よ。コリスと私で作った雑貨もあるから」
「ありがとうございます」
アリアさんが厨房に注文のメモを渡しに行ってくれると、お言葉に甘えて料理ができるまでの間、私たちはカフェに飾られた小物を見させてもらうことになった。
木で作られたカフェの中は丸窓から陽光が洩れ、そよ風にレースのカフェカーテンが揺れている。
カフェの奥の窓際の長テーブルには、パッチワークでつなぎ合わされた小花柄のクロスがかけられていて、沢山の手作り小物が置かれていた。
「か、可愛らしいですね……」
「本当……素敵……」
どこもかしこも愛らしくて、私はフィーちゃんと一緒に目を輝かせて見とれてしまう。
小物は布製のポーチやバッグ、髪飾りやハンカチ、人形と人形の洋服など種類が様々で、小さな紙の値札に書かれている値段はびっくりするほどお手頃だった。
カフェにある布小物は全部、アリアさんとコリスさんの手作りだというから驚きだ。
「すごい……こんなに細かい刺繍、できないよ……」
「とても勉強になりますね……」
私が布製のポーチを手に取って眺めていると、フィーちゃんも布人形を手にのせしげしげと見つめる。
「フィーちゃんは、こういう小物が好き? 作れるの?」
「小物は大好きですよ。ただ、作るとなると大変ですね……あっ、そうか!」
フィーちゃんは何か思いついたように人差し指を立て私にコショコショと内緒話をした。
「帰ったら、精霊力で作ってみますね。……もしかしたら、縫うよりも上手くできるかもしれません……」
「そっか、それはいい考えだね! 楽しみだよ!」
フィーちゃんとクスクス笑い合うと、背後からコホンと咳払いが聞こえる。
「一体……何の話をしてるんだい?」
シルビア様の顔が、なんだか少し拗ねたように見えるのは気のせいかな?
「帰ってからのお楽しみ――と言いたいですが、今言った方がいいですね。精霊力で小物を作ろうと思うんです。カレンデュラさんのように、上手く作れるかはわかりませんが」
「精霊力で小物をか……いいアイデアだね」
フィーちゃんの説明を聞いたシルビア様の表情が柔らかく変わっていく。
シルビア様も雑貨や小物に興味があるのかしら?
フィーちゃんが精霊力で作る小物、想像するだけでワクワクするものね。
帰ったら楽しみだなぁ~。……あれ? これは……
美しい彩りの光が、私の視界に入って。皮ひもの先に硝子玉がついたペンダントを手に取った。
きれい……こんな素敵なものを身につけることが出来たら……
シルビア様みたいに、大人な女性に見えるかしら……?
「なー、ゆみぃー! しるびー! ろしーたとちぇりー、これ、ほしいぞー」
「ほちー」
傍で小物を選んでいたロシータちゃんが、キラキラした目で猫耳のカチューシャを指さしている。
ロシータちゃんの胸ポケットにいるチェリーちゃんが手に握りしめているのは、布でできた緑色の魔物の人形と、チェリーちゃんの両耳によく似合いそうなリボンだった。
「いいよ。帰りに買っていこう」
「いえーい!」
「きゅいきゅい♪」
雑貨売り場にある籐の買い物かごに二人の小物を入れると、シルビア様が呟いた。
「ユミィとフィーも、気になるものはあったかい?」
「私は帰ってから自分で作ってみます。ユミィさんは?」
「私は――」
先ほどの硝子玉のペンダントに目を向ける。
一つくらい、こういうのを持っていたい気もするけど、まだまだ私には不相応な気がするわね。
名残惜しさを感じながらも、そっとペンダントを戻す。
「私も……特にありません」
「そっか……。ダークは、何か欲しいものはあるかい?」
片隅でじっと小物を眺めていたダークちゃんにシルビア様が声をかけた。
「えっ……あっ……ボ、ボクは……」
ダークちゃんの見ていた先には、シンプルな黒いチョーカーがあった。
「これが欲しいのかい?」
「い、いえっ、欲しいだなんて……! ただの憧れですっ。こういうのをつけてる人って、カッコいいじゃないですか……」
ダークちゃんがもじもじと人差し指同士を合わせていると、シルビア様がチョーカーを手に取り、籐のかごの中に入れる。
「ご、ご主人様っ⁉ だ、駄目です、ボクには合わないですから」
「形から入ることも大切さ。とても似合うと思うよ」
シルビア様に言われ、ダークちゃんは胸がいっぱいになったみたいに動けなくなっていたけど、その顔が段々と輝いていく。
「ご……ご主人しゃま……! ありがとうございましゅ!」
ダークちゃんが感極まったように言うと、シルビア様が微笑んだ。
ダークちゃん、よかったね。
ダークちゃんの胸がいっぱいになると舌足らずになってしまうということを、私は深く心に刻みこんだ。ふふ。
「それと、これらも買っておこうか。殺風景な診療所も、華やぐんじゃないかな」
シルビア様が手に取ったのは、レースと小花柄のカフェカーテンだった。
診療所をカフェのようにしたいということを、シルビア様は覚えていてくれたのね。
そのことが私の胸の中をじんわりと温かくしていく。
「飾るのはユミィに任せていいかい?」
「……シルビア様……! はい、もちろんです!」
私の小さな夢が一つずつ叶っていく。
その一つ一つは、取るに足らない小さな欠片のようなものだけど……
そんな小さな夢の欠片を、シルビア様が拾い集めてくれたから――
今、私の胸で、闇夜の中を導いてくれる星のように、光ってる。
嬉しさと一緒に、涙もこみ上げてきそうだった。
「それとユミィには……帰ったら、ね」
「え……?」
シルビア様に耳打ちされ一体なんのことか分からずに首を傾げる私を、シルビア様は美しく優しい笑みで見つめていた。
***
「コラッ! トカゲッ! ボクの料理を食べるなっ! 大体、お前は街の屋台で散々食べたじゃないかっ!」
料理が来て早々に鳥の丸焼きを食べ終えたロシータちゃんが、ダークちゃんのオムライスに舌を伸ばす。
「ろしーた、くしやき、ごほんしか、たべてないぞー。だーくの、たまごおいしそーだなー」
ロシータちゃん、そんなに食べてお腹は大丈夫かしら?
デザートもあるから、私のぶんを少し分けてあげるだけで間に合えばいいんだけど。
「ロシータちゃん、じゃあ、私のステーキ――」
「きゅー。ままー、あげゆのー」
チェリーちゃんがパンケーキをフォークに刺して、なんと、ロシータちゃんに差し出した。
「ちぇりー!! ちぇりーが、くれたぞー! だーく、ちぇりーがっ!!」
「よかったなー。味わって食べろよー」
ダークちゃんが棒読みで言いながら、自分も大きな口を開けてオムライスを掻きこんでいく。
ロシータちゃんがチェリーちゃんの優しさに感動しながら、パクリとパンケーキを口に運び、チェリーちゃんの頭をよしよしと撫でる。
「まま。たりゆ?」
「うん! ちぇりー、ありがとー!」
頭を撫でられたチェリーちゃんも、いい子いい子するようにロシータちゃんの頭を撫で返している。
ロシータちゃんも成長したけど、なんだかチェリーちゃんの方が大人になってきてるような?
二人で成長し合えるって素敵なことよね。
私もシルビア様と一緒に成長していきたいなぁ……なんて。
今はまだ足並みを揃えてもらってばかりだけど。
もっと、出来ることを増やしていかなきゃっ……
チラリとシルビア様を見ると、細切れのステーキを刺したフォークを向けられた。
……これは、もしかして……。
「ユミィ。あーん」
「シ、シルビア様……ここ、お店ですよ……」
「うん。だから?」
「皆が見てますよ……」
先ほどから、他の獣人のお客さんがシルビア様を見ているのがわかる。
「ふむ……」
シルビア様が指を鳴らす音で、認識阻害魔法のキラキラした光が私とシルビア様を包んでいく。
「これならアリアとコリス以外には見られないよ」
「えっ……あのっ……」
「はい、あ~ん!」
仕方なく口を開けると、お肉の旨味が口いっぱいに広がった。
……なんだか、自分で食べるよりもすごく美味しいわ……ニコニコ笑ってるシルビア様に見られていても、頬が緩んでしまうわ。
シルビア様に見つめられているのが恥ずかしくて、フィーちゃんに目を向ける。
串から外したミノタウロス肉を幸せそうに頬張ったフィーちゃんは、私に見られていることに気づくと真っ赤になっていた。
ミノタウロスのお肉、とろけるように美味しいもんね……
きっと私も今、同じような顔になってるんだろうな……
私が食べ終えるのを待っていたシルビア様が、鳥の雛が餌をねだる様に口を開いた。
「ちょーだい、ユミィ」
「……一口だけですよ」
シルビア様の口にミノタウロスのステーキを刺したフォークを運ぶと、唇に少しついた肉汁をシルビア様が蠱惑的にペロリと舐めた。
その途端、ゾクリとした感覚に全身の毛が逆立ち、顔に熱が集まってくる。
「ユミィに食べさせてもらうと美味しいね。ありがとう」
「い……いえ……」
もぅ……どこに行っても、マイペースなんだからっ……
そう思いながらも、変わらないシルビア様が嬉しかった。