第87話 街歩き3
頬を染めたシルビア様は、まるで絵物語から抜け出たようで。
私の指と絡まるシルビア様の細長い指から熱が伝わって、身体中が火照っていくような気がする。
美酒に陶酔してしまうというのは、こんな気持ちなのかしら……?
「……ユミィは、どこか行きたいところはあるかい?」
唐突にシルビア様が呟いた。
それはなんとなく照れてるのをごまかしているようにも見えて。
きっと勘違いなんだろうけど、問いかけてくれたことが嬉しい。
「行きたい場所……わ、私……」
行きたい場所といえば一つ思い浮かぶところはあるけれど……
言い淀んでいると、シルビア様が微笑んだ。
「もしよかったら、以前に話した、私の行きつけのカフェに行かないかい?」
「カ、カフェ、ですか?」
思わず大きな声を出してしまった。
まさか、私が一番行ってみたい場所を提案されるなんて!
パタパタパタパタパタパタパタパタパタパタ――
私の気持ちを表す様に、尻尾がうるさいほどに揺れてしまう。
尻尾が高速で動くのを、シルビア様が嬉しそうな顔でじっと見つめている。
は……恥ずかしいっ……
止めようとしても、止まらない……
だって……だって……
カフェ……それは私の憧れの場所だから……
ワクワクする気持ちがこみ上げて胸が温かくなる。
実家の山間の集落から近いナリスの街では、カフェに“獣人お断り”と張り紙がしてあって、絶対に入る事ができなかったのよね。
あの町はわりと獣人に寛容だったけど、獣人が入ってはいけないお店や就いてはいけない職種なんかの差別があったのがとても悲しかった。
だから私にとってカフェとは未知の場所であり、一生入れるかわからない場所だったんだけど。
きっと、とても美味しいお菓子や、珍しい飲み物なんかも沢山あるんだろうな……
「この街は、獣人もカフェに入れるんでしょうか……入れると嬉しいですけど……」
「うん。この街は、大丈夫だよ。そこで昼食を取ろう」
夢が叶うことが嬉しくて、獣化してシルビア様に飛びついてしまいたい。
そうやって、こんなにも嬉しくてたまらないことを伝えたいけど、流石に迷惑ね。
「色んなものを沢山食べようね」
「はいっ!」
シルビア様の呼びかけに、私は元気よく頷いた。
***
私との買い物で、シルビア様は新たな価値観を見出してくれたようだった。
魔法の鞄は肌身離さず身に着け、お店の人には触らせない。
支払いの時に出すのは銅貨か銀貨を。金貨を出す必要があるのなら、1枚だけ、必ずお釣りを返してくれそうなしっかりしたお店で。
そういった基本的なことしか言ってないはずだけど、シルビア様は私を尊敬の眼差しで見つめてくれる。
何か指摘する度に、「先生」と言われてしまうのはこそばゆかったけど、何となく距離が近づいたような気がして。
シルビア様と穀物や保存食が売っているお店を回って、必要な食料や調味料は大体揃えることができた。
流石に王都に近い街だけあって、品ぞろえも豊富なのが嬉しい。
(なんだか……すごく幸せ……)
シルビア様が手を繋いでくれるのは、きっと、私がはぐれない様に気をつかってくれているからよね。
だけど、シルビア様の手、温かくて……心地よくて……ふわふわした気持ちになってしまう。
私ってば……この心地よさに慣れると、いつもシルビア様に引っ付いていたくなっちゃうじゃない……
そんなことを考えていると、私達はいつの間にか街の広場の噴水の前へと行きついていた。
初夏の光を反射した水しぶきがキラキラと輝いて、その煌めきが眩しくて気持ちいい。
「……あ、あのっ、買い出しも終わったし、そろそろフィーちゃん達を探しましょうか?」
「……」
「確か、みんなあっちの方に行きましたよね? ……あ……あれ? 手が、離れない……? な、なんでっ……?」
シルビア様の手は力が入ってないのに、私は何故かシルビア様の指をほどく事ができなかった。
「手が離れないように、接着の魔法を使ったんだよ。……いいでしょ?」
「えええっっっ⁉ ど、どうしてですか~~⁉」
シルビア様は何故か得意げに笑った。
絶対離れないとでも言うように、手はぴたりとくっついた。
「もう少し……このままでいたくてさ。……駄目、かな?」
「シルビア様……」
もしかすると、シルビア様は私が思うよりもずっと寂しがり屋なのかもしれない。
だからと言って身分があまりにも違う私が、このままずっと一緒にいていいのかしら。
シルビア様に出会うまでは、自分が何をしたいのかよくわからなかったのに、今では次から次へとしたいことが増えていく。
許されるのなら、ずっとずっと傍を歩いていたいなぁ、甘えられていたいなぁ、なんて……
「……私は……欲張りだなぁ……」
気づいたら言葉がこぼれてしまい、慌てて口元を押さえる。
「欲張り? ユミィが?」
呟いた言葉がシルビア様に拾われて胸がドキリとする。
「いえ……なっ、何でもないです……」
「そう?」
再び聞かれて、私は項垂れながら答える。
「……私、無いものねだりしてるなって思って……」
改めて口にすると、情けなさで自分に呆れてしまった。
それ以上はシルビア様に嫌われたくなくて、話す事ができない。
「……ユミィは私と比べたら、欲なんて一つもない様に見えるけどね……」
「え……? シルビア様は何か欲しいものがあるんですか?」
私から見れば、シルビア様は色んなものを持っているように見えるけど、シルビア様でも手に入らないものなんてあるのかな?
「……欲しい……か……。うん。そうなのかもしれない」
シルビア様がポツリと呟いた。
「あるよ……何よりも欲しいもの」
「何よりも?」
「ああ。……ユミィが目を閉じてくれたら、一瞬だけ手に入るかもしれない……」
「私が、目を?」
私に向き直ったシルビア様が、繋いでない方の手で私の髪を優しく梳かしてくれる。
夜空の様な瞳には私の姿だけが映っていて、その心地よさが、私の心をほぐしていく。
広場でくつろぐ人達も、ざわめきも風の音のように気にならなくて。
シルビア様の瞳を見ていると、まるでこの世界に私とシルビア様しかいないみたいに感じるわ……
シルビア様の端正な顔が近づいて、そっと耳元で囁いた。
「目を……閉じてくれないか……。少しの間でいいから……」
その瞳に抗えられない力を感じて、ゆっくりと目を閉じる。
「そう。……いい子だ、ユミィ……」
薄紅色の形のいい唇が私の名前を呼ぶ。
シルビア様の指が私の顎に触れ、そっと持ち上げられる。
薫衣草の香りが濃くなり、シルビア様の顔が私の顔の近くにある事がわかった。
温かな息遣いが、目の前に――
「ゆみぃ~~~~~~!!! み――――つけた――――!!!」
弾丸の様に駆け寄る足音が聞こえて、ロシータちゃんが私に勢いよく飛びついた。
「ロ、ロシータちゃんっ⁉」
「ゆみぃ、あいたかったぞ――! ただいま――――! へへへ――! すりすり~~! ちゅっちゅ~~~~♡」
体勢を崩しながらロシータちゃんを受け止めた私の頬に、ロシータちゃんが元気よく何度も口づける。
柔らかな髪の毛と緑のリボンがくすぐったくて笑っちゃう。
ロシータちゃんを追ってきたダークちゃんは、私達を見て呆れた顔をしていたけど、シルビア様に目を向けるなり真っ青になった。
「ひっ……ひぃっ! ご、ご主人様っ⁉ ……ト、トカゲっ! にっ、逃げろっ! 逃げるんだっ!!」
「はぁー? どしたー、だーく? つかれたのか? ねんね、したくなったのか?」
ロシータちゃんは、服を引っ張るダークちゃんを気にもせず、私の頬をベロりと舐め出した。
「ロ、ロシータちゃん、くすぐったいよ!」
「えへへ~~♡ ゆみぃ、だーーいすきーー!!」
もしかして、ロシータちゃんは寂しかったのかもしれない。
シルビア様と一緒に居たのが楽しすぎて、合流するのが遅くなってしまったわね。
「ばっ、馬鹿! 大馬鹿! 超馬鹿! すごい馬鹿!」
「だーく、めっ! だぞ! ばかっていったほうが、ばか、なんだぞ! だーくは、こどもだなー!」
「うっ、うるさい! うるさいっ‼」
ダークちゃんがロシータちゃんを振り切るように逃げ出した。
チェリーちゃんを頭に載せたフィーちゃんがこっちに来ようとするのを、ダークちゃんが必死に止めているのが見える。
「……ロシータァ……よくも……よくもぉ……」
シルビア様の背後から闇のオーラが渦巻いて空間を漆黒に侵食していく。
ロシータちゃんの体が、シルビア様の闇のオーラに包まれ始めている。
あれっ⁉ いつの間に、こんなことにっ⁉
「シ……シルビア様……?」
い、一体、何が起こっているのっ??
「ゆみぃ! よるになったぞー! まわりが、まっくまっくだ! なんにも、みえないぞー!」
ロシータちゃんは取り巻く黒い霧にモガモガと抵抗するも、振り払う事ができないようだった。
真っ黒な霧が、ロシータちゃんを完全に飲み込んでしまう。
ゆっくりと手を振り上げたシルビア様の瞳が、黄金色に光った。
「(暗黒魔――――)」
「姉さん……何、してるの?」
振り上げたシルビア様の手を止めたのは、淡紅色の髪の少女だった。