第86話 街歩き2
生き生きとした活気が市場を包んでいて、まるでお祭りのようだった。
どの人もどこか高揚し波のような往来に身をまかせる中で、笑い声を響かせた子供達が楽し気に駆けていく。
街のざわめきの中で、このままシルビア様とどこかへ駆け出したくなる。
シルビア様の周りだけ空気がキラキラと輝いているように感じていると、ふいに街行く人が私達の繋いだ手を見ているような気になり我に返って急に恥ずかしくなってしまった。
「ユミィ、どうかした?」
「い……いえ……そういえば、手を繋いでいるのに人にぶつからないな~……なんて……」
「弱くだけれど、回避魔法と認識阻害魔法をかけている。人にぶつかる事はないし、こちらから話しかけない限り私達に気づかれる事もないから大丈夫だよ。気づくのは魔力が高い人だけさ」
「そ、そうだったんですね。あの、ロシータちゃん達にもですか?」
「もちろん。みんな何かと目立つし、危なっかしいからね。だから心配無用だよ。認識阻害魔法をかけていないと、何故だか人に絡まれることが多いからね」
それは、シルビア様が美しすぎるからなんじゃあ……
長いまつ毛に縁どられた黒曜石の瞳は、一瞬で見た人の心を奪ってしまうもの。
「シ、シルビア様、お店を何件か回って、品物を少しずつ買っていきませんか?」
「うん、わかっ……はい、わかりました」
なんだか改まってしまったシルビア様が幼い子のように思えた。
一回の買い物で大量に買うのは、どうしても注目されるから、手間はかかるけどお店を何件も回る方がいいんじゃないかと思うのよね。
そうすれば、魔法の鞄があっても、気づく人はいないんじゃないかしら?
ずっと見られていたら気づかれてしまうだろうけど、シルビア様の認識阻害魔法もあることだし、その心配はなさそうだわ。お店の人の記憶を消さなくてよくなったことにホッとする。
シルビア様とお店を回るうちに、お馴染みのお野菜や珍しい果物をお手頃価格で何種類も買うことができた。
もちろん、そのお店で一番鮮度のいいものを選ぶのも忘れなかった。
「見慣れた店ばかりだと思っていたけど、野菜を取り扱ってる店だけでもこんなにあるなんて知らなかったよ」
シルビア様が私の買い物の様子を見て、感心した様にフムフムと頷く。
お野菜のお店で買い物を終えると、お魚屋さんで鮮魚を、その次はお肉屋さんを。
お魚もお肉も、上手く血抜きができていると、血の臭いがあまりしないのよね。
そういうお店を中心に回っていくと、鮮度の良いものが沢山買えた。
鮮魚店では海老、魚や貝などの定番から、焼いて真夜不眠と絡めたらたまらない美味しさの巨大烏賊まであって、思わず喉を鳴らしてしまった。
精肉店では鳥肉や魔猪から、ミノタウロス等の高級なお肉まで種類は様々だ。
弟のルネやシルビア様が魔猪のお肉を食べさせてくれるから麻痺してるけど、いいお値段のする食材なのよね。
魔猪肉はサシと呼ばれる網目状の脂身が入っているものの方が美味しい。
焼いて食べると舌の上で溶けるような食感がして、狼獣人の私はいくらでも食べられるんだけど……獣人だから、仕方ないのよ……
決して、私が大食いというわけじゃ……ないはず……!
「やっぱり、いいお値段するなぁ……」
「値段は気にしなくていいよ。いくらでも買ってね」
シルビア様のお言葉に甘えて多めに注文し、シルビア様が金貨を出そうとする手を押し止め、銅貨と交換し支払いをする。
シルビア様と買い物を繰り返して、気になったことが。
入ったお店によっては、店主さんがシルビア様の顔を見るやいなや、態度を変える事があるのよね。
ほとんどの人はシルビア様の美しさに見とれて、オマケしてくれたりするんだけど、時々嫌悪と言っていいほど不快感を浮かべた表情になってしまう人がいるのは面食らったわ。
そういう人が私達を追い払おうとしてくる原因は……
「この商品をもらえるかい?」
「いらっしゃい……あんた……」
穀物などの食料品全般を扱うお店のおじさんは、シルビア様を見てあからさまに表情を変えた。
「……闇属性だね? 悪いけど……」と言われたシルビア様は、気にもかけずにあっさりと他のお店へと移った。
この街では獣人の差別はあまりないようだったから、優しい人たちだなって思ったのに、闇属性を差別するなんて……
胸に苦いものが込み上げてきて、泣いてしまいたくなる。
唇を引き結んだ私を見て、シルビア様が問いかける。
「……どうしたの、ユミィ? 疲れたかい?」
シルビア様の黒髪がサラサラと風に揺れる様は、まるで絵画のようだった。
認識阻害の魔法が無かったら、きっと街行く人達の目線を釘付けにしてるんだと思う。
こんなに美しくて優しい人が、どうして差別されなければならないの?
「……なんだか、悔しいんです」
「悔しい? どうして?」
シルビア様の指が、握っている私の手の甲を柔らかく撫でる。
「……だって、シルビア様はこんなに素敵なのに、闇属性っていうだけで嫌う人がいるなんて……」
「ユミィ、闇属性は嫌悪されて当然なんだよ。厄介な闇属性の魔物への嫌悪は、闇属性の人間へと向かってしまうものさ」
「でも……悪いのは、襲ってきた魔物で、闇属性のシルビア様じゃないのにっ……!」
憤りが胸の中で渦巻いて、昂った気持ちに涙が出そうになる。
俯いていると、繋いでいない方のシルビア様の手が私の頭をそっと撫で、人差し指に私の髪をクルンと巻きつけた。
「そんなこと、どうだっていいんだよ」
「よくありません……! 皆、シルビア様がどれだけ素晴らしいか知らないんです!」
街行く人にシルビア様の事を知ってもらう為なら、声が枯れるくらいに人混みの中で叫んだってかまわない。
「私、シルビア様のこと、街の人にわかってほしくて。沢山の命を救っているってこと、知ってほしくて……優しくしてほしくて……ありがとう、凄いね、って……」
上手く言葉を紡げないことがもどかしい。
シルビア様の指が、そっと私の頬を撫でた。
「いいんだよ……だって、ユミィが褒めてくれるもの。……そうでしょ?」
「シルビア様……でも……私なんかが言っても……」
こんな落ちこぼれ獣人の私がシルビア様を褒めても、なんの足しにもならないよ……
「ううん。ユミィに褒めてもらうと、誰に褒めてもらうよりも嬉しいよ……私のいいところ、言ってみて」
「え……」
シルビア様は甘えるように私の肩に額を載せる。
温かくて、薫衣草のいい香りがして、サラサラの髪が私の顔に触れて――
「ねぇ、早く~!」
「え、ええと……」
密接している恥ずかしさに混乱しながら、私は慌てて言葉を探していく。
「シ……シルビア様は、か……賢いです……」
「うん、他には?」
言われ慣れてる事なのか、サラッと流されてしまった。
「き、綺麗です……」
「う――ん……あとは?」
これも聞き慣れてるのか、本人が理解していないのか、なんだか納得いかないような声だわ。
私はヤケになった。
「おっちょこちょいな所もあって、料理が苦手で……」
「……あれっ?」
「綺麗好きだけど、意外と面倒臭がりでっ……」
「ユ、ユミィ……? そ、それは悪いところじゃないかい?」
タジタジになったシルビア様が、私の肩から顔を上げる。
「それに、意外と短気で、子どもっぽくて――」
「ユ……ユミィ……もぅ……いいよ……」
シュンと縮こまってしまったシルビア様の手を、私は強く握り返した。
項垂れて、肩を落とすシルビア様の耳元に、そっと囁く。
「――可愛い……です……」
「……」
ダークちゃんにはサラッと言えたのに、本人に向かって言うのはなんでこんなに緊張するんだろう……
「シルビア様……?」
何故か俯いてしまったシルビア様の顔を覗き込もうとすると、周囲の様子がおかしい事に気づいた。
街の喧騒が消え、人々は皆動きを止めている。
あれ……これって……
「シルビア様、もしかして、時魔法を――?」
「……ユミィ、よく聞こえなかったから、もう一回言ってくれないか……? 大きな声で」
顔を上げて真っ直ぐに私を見るシルビア様の瞳が、期待に満ちている気がする。
「え……、あ、あのっ……?」
「もう一度、ね?」
さ、囁いたから、聞こえなかったのかな?
だけど、その為だけに、こんなに大規模な時魔法を……?
ざわめいた街の人達は皆動きを止めて、市場の通りは静まり返っている。
駆け出した子供たちが前のめりの体勢で固まり、袋から袋へと移される穀物は空中で曲線を描いたまま零れ落ちずに止まっていた。
シルビア様の息遣いの音だけが、大きく聞こえてくる。
息にこもった熱が私の頬も熱くさせていく。
こんな無音の中で、もう一度言うの……?
「かっ……か、か……」
「か?」
深呼吸するけれど、早鐘のように鳴る心臓が苦しくてたまらない。
「か、賢い、です……」
「あれ? 先程と違うようだね、ユミィ……」
「な、何でさっきと違うってわかるんですかっ?」
「それはっ……、とにかく、違うってことはわかるんだ……」
「きっ、聞こえてたんでしょ? もういいじゃないですかっ……!」
「よくはないよ。もう一度……もう一度、聞かせてくれないかい?」
シルビア様が私に密着するように耳元で囁いた。
その吐息がくすぐったくて、恥ずかしくて、思わず笑い出したいような気持になる。
「だっ、駄目です! そういうところが子どもっぽいんですよ!」
「~~~~‼」
シルビア様がぷっくらと頬を膨らませる様子は、いつもと違ってとてもあどけなかった。
その顔に何故か懐かしさと、愛しさを感じて、私は反応に困り静止してしまう。
「……ユ、ユミィ……? ……ユミィの時も止まっちゃった……⁉ そ、そんなはずは――」
焦りだしたシルビア様が、私の手を離しそうになる。その瞬間、
「可愛いですよ……とっても」
と言って、私はシルビア様の頬っぺたをつついた。
驚いたシルビア様の目が見開かれて、止まっていた時が動き出す。
戻ってきた喧騒の中で、私たちはお互いだけを見つめ合っていた。
シルビア様の顔が耳まで赤く染まると、耐えられなくなったように視線は逸らされ、繋いだままの手を引かれる。
街の中を歩くシルビア様の足取りが、心なしか軽くなったような気がした。
「……ありがとう……」
シルビア様が呟いた声が、柔らかく耳に響いた。