第85話 街歩き
シルビア様と手を繋いだだけで、賑わう街の音が楽し気な音楽のように聞こえてくる。
今すぐに駆け出したいような気持になって、自然と顔がニヤけてしまうのは何故だろう?
ブンブンと大きく振れる尻尾を片手で抑えているのがバレませんように……
「ふふ。楽しいね」
「はい! シルビア様は、街がお好きなんですね」
「え? 普通だよ。何度も来ているし、見慣れた店ばかりだ。……でも、今は……」
「今は?」
「何もかもが新鮮だ。ユミィと一緒だと、こんなにも……」
シルビア様がとても嬉しそうに笑う。
その言わんとしてることが、なんとなくわかる気がする。
シルビア様と街を歩いていると、一つ一つの物が煌めいて見えるもの。不思議だわ。
「ふふっ。二人で回れるなんて、夢のようだな」
えっ、それって……シルビア様、そんな風に思ってくれてたんだ……
シルビア様の気持ちを知って、心臓が激しく鼓動した。
「こんなにユミィを独り占めできるなんて……ロシータに羨ましがられるだろうなぁ」
「……で、でも……私は、ダークちゃんが羨ましいです……」
「どうして? もしかして、ユミィは皆と街を回りたかったのかい……?」
シルビア様が残念そうな顔をすると握ってくれる手が強張るのがわかった。
私は首を左右に振って、その手を強く握り返す。
「いいえ、違うんです……私もシルビア様の眷属になりたかったなって……」
「眷属に……? ……どうしてだい?」
シルビア様が首を傾げるのを見て、勢いで言ってしまった言葉に少しだけ後悔が込み上げてきた。
あまりに子供じみている気持ちを話すのは恥ずかしいわ……
「……だって……眷属になれば……お互いに居る場所がわかるから……」
俯きながら呟いた言葉は、喧騒の中へと消えていく。
『眷属だから、お互いに居る場所がわかる』と言ったシルビア様の言葉で、ダークちゃんがとても羨ましくなってしまったのよね。
だって……私にとって、シルビア様に会えたことは奇跡だから……
シルビア様が傍にいて、私に微笑みかけてくれる度に、夢なんじゃないかなと疑っている自分がいる。
たとえこの先、シルビア様と離れ離れになってしまっても、お互いに居場所がわかるならまた会う事ができるから……
でも、こんな気持ち、シルビア様にとっては迷惑なだけだと思うから言えないけど。
ふいに強い力で手を握られる。
私の右手の指と、シルビア様の左手の指がしっかりと絡まって結ばれていた。
「……ずるいよ……? ユミィ……」
「えっ……?」
見上げたシルビア様の顔は赤くて、熱のこもった目が潤んでいる。
「……不意打ち、なんて……」
シルビア様の妙に色っぽい表情にドキドキするけど、何のことを言ってるのかわからない。
「不意打ち? 何のことですか?」
誰か攻撃でもしたのかしら? でも、誰が?
考えあぐねていると、シルビア様がため息を吐いた。
「自覚がないのか……(眷属か……悪くはないが、対等ではなくなるな。もっと別の方法で――)」
「シルビア様? どうしたんですか?」
「い、いや、何でもない……その件は別の方法で前向きに検討させていただく……」
「は、はぁ……?」
何やら呟いて真剣に考えてたみたいだけど、私、シルビア様を困らせちゃったんだろうか?
「さ、さぁ、買い物をしようか。ユミィ、食品を見立ててくれないか? 私は鮮度を見分けることが不得手でね。色や何かで見極めればいいと知ってはいるんだが……」
「食品の鮮度……そ、それなら得意です。私に任せてください!」
「わかるのかい、ユミィ。では、お願いするよ」
「はい!」と元気に言うと、私は鼻をヒクヒクさせた。
突然、周囲の匂いを嗅ぎだした私の様子に、シルビア様が驚いているような気がする。
鼻を動かすと抑え切れなくなった尻尾がパタパタと激しく揺れた。
素敵なドレスを着ている時にするのはちょっと恥ずかしいけど、今はそんなこと言ってられないわ。
クンクンと新鮮な匂いをかぎ分けると、一軒のお店からどのお店よりも新鮮な果物の香りが漂ってくるのがわかった。
「果物はこの左側のお店がおススメです! お野菜はお向いのお店で、お肉とお魚は右の奥のお店が一番新鮮です!」
一生懸命匂いを嗅ぐ私を、シルビア様が優しく微笑みながら見つめていた。
「すごい! 流石ユミィだ。可愛い上に、バッチリだよ!」
シルビア様がとても喜んでくれたので、私も嬉しくなる。
だけど、可愛い? 何でだろ?
なんだかシルビア様の視線が私の尻尾に行ってる気がするけど、きっと気のせいよね。
街の市場はどのお店も四角い簡易式の日よけテントの下に、腰の高さの広い台が置いてあって、品物をよく見られる作りになっていた。
お目当ての果物屋さんの前でその種類の豊富さと新鮮な果物の香りに目を輝かせていると、お店のおばさんに呼びかけられる。
「いらっしゃい。うちの商品は新鮮、採れたてだよ!」
「そのようだね。どれも美味しそうだ」
しげしげと果物を眺めていたシルビア様が、納得したように頷いた。
「この店にある物、全部いただこうか」
シルビア様がどの果物を選ぶのかワクワクしていた私は、その発言に耳を疑う。
「ぜ、全部だって⁉ 本気かい、綺麗なお嬢ちゃん?」
面食らった店のおばさんがシルビア様を咎める。
「シ、シルビア様っ⁉」
「うん、そうだよ。どれくらい払えばいいかな。白金貨一枚で足り――」
握っていたシルビア様の手を引っ張って、お店から遠ざけると、私はコソコソと耳打ちする。
「シ、シルビア様っ! 駄目ですよ!」
「いけない? どうしてだい?? 沢山買っておけば、食べ物の心配をしなくて済むだろう? お店だって早く商売を切り上げられるわけだし……」
シルビア様は純粋な瞳で、ただただ不思議そうな顔をした。
「……その、なんて言ったらいいのか……例えば、私達が品物を全部買ってしまうと他にそれを必要とされている方が買えなくなってしまいます……」
「他の人……?」
シルビア様は考えてもしなかった、と言わんばかりに目を見開いた。
「それに、お金があることは、あまり他の人に見せない方がいいと思うんです。お金に困っている人には不快感を与えてしまいますし、何より、悪い人に狙われます」
「なるほど……ユミィ、君はすごいね!」
子どもに称賛を送られた様で、何とも言えない気分になる。
平民育ちの私との違いを痛感してしまうわ。
「困らせてしまったね、謝るよ。注文をやり直していいかな?」
シルビア様はお店のおばさんに向き直ると、ずっしりと果物が並べられた棚を指さした。
「この棚にあるものを、この鞄に入るだけください」
いつの間にか大きめの鞄を準備して、シルビア様が指差した一画には、メロンやマンゴーや苺などの旬な果物たち数十点が並んでいた。
お店のおばさんは、また何かの冗談ではないだろうか、と訝しむような顔をしていたけど、シルビア様が2枚の銀貨(私が白金貨と差し替えた)を差し出すと、果物を次々と詰めてくれる。
しかし、いつまで経っても満杯にならない鞄に、おばさんの顔が強張ってくるのがわかった。
「……あんたたち、この鞄はもしかして――」
シルビア様が指を鳴らすと、おばさんは虚ろな表情をして呆けてしまう。
「シ……シルビア様……何を……?」
「魔法の鞄だって、バレそうになったからね。記憶を消させてもらったんだ」
魔法の鞄――
魔猪100匹くらいの体積までなら、なんでも入るらしい魔法の鞄――
入手方法も、作り出せる者も、全てが謎に包まれているトレジャー品だって、弟のルネが言ってたっけ。
皆喉から手が出るほど欲しがってるから、みつけても他言無用の品物だって……
そうか……この鞄、魔法の鞄だったんだ。
見た目の容量に対して、入る物が多すぎたんだ……気づくのが遅かったわ……
「注文した物は全部いただいたよ。ありがとう」
シルビア様がにこやかに声をかけると、正気に戻ったおばさんは「ま、毎度あり?」と言って不思議そうに首を傾げた。
シルビア様に手を引かれ、お店から離れると、全身から冷や汗が噴き出すのがわかった。
「危ないところだったね。無事に買い物できてよかったよ」
満足気に私に微笑むシルビア様に、頭を抱えたい気持ちがこみ上げてくる。
「……シルビア様、もしかして……今までの買い物もこのように……?」
「え……? いつもこんな感じだけど、何かいけなかったかい?」
ガックリと肩を落とす私を見て、シルビア様がオロオロしだす。
「あの……ユミィ……?」
「……シルビア様……あのですね……」
私は小さな子に言い聞かせるように、シルビア様に説明する。
どんな時も、相手の気持ちを考えることが大切だということを。
記憶を消してはいけません。お店の品物が突然消えて、お金だけが目の前に残されると、売り上げを計算して帳簿をつける店員さんはどうなりますか。誰に何を売ったかわからないと、店員さんやお店の信用問題にも関わるとは思いませんか……
私が懇々と説明すると、シルビア様の顔がどんどん青ざめていくのが分かった。
「どどど……どうしよう、ユミィ……私、今まで迷惑かけたお店に謝りに行かなくちゃ。だから、アリアは……妹は、私に買い物させることを渋っていたのか……」
シルビア様が挙動不審に周囲を見回す様子が、なんだか迷子になった幼い子のように見えた。
今までどんな買い物をしていたのかはわからないけれど、該当するお店は一軒や二軒じゃすまないと思うのよね……
シルビア様……よく今まで無事だったわね……悪い人に狙われなくて、本当によかった……
今更、「以前、お店の物を全部買っていったのは私です」なんて人が現れても、皆が混乱するだけだと思うわ……
「シルビア様……過ぎてしまったことは仕方がありません。お店側も混乱するだけでしょうし……これから気を付けましょう。……もしよかったら、今日は私と買い物を練習しませんか?」
「ユミィと、買い物を練習?」
「嫌、ですか?」
「……いえ……お願いします、ユミィ……先生……」
項垂れたシルビア様は、私に手を引かれてしょんぼりと歩いている。
その姿に不思議な既視感が込み上げてきた。
こんな事、昔にもあったような――
道がわからないと言った可愛い女の子……どうにも放っておけない迷子のその子と手を繋いで歩いたような――
『ずっと、一緒にいようね』
胸の中で誰かの声がこだまする。
「ユミィ……?」
私の顔を覗き込むシルビア様の表情が、消えていく記憶の中の誰かの顔と重なっていく――
「……っ! どこにもっ……! 行っちゃ……駄目、ですよ……?」
無意識に呟いた声は、自然と大きくなっていた。
「……え?」
不思議そうな顔をするシルビア様が、いつ離れて行ってもおかしくない存在なのだと何故だか痛感した。
シルビア様の傍を、絶対に離れたくない……
そんな気持ちが急に湧き上がってきて戸惑ってしまう。
(この気持ちは、一体何なんだろう……)
溢れ出そうになる思いは、とどまる所を知らないみたいで、どんどん大きくなっていく……
「うん……どこにも、行かないよ? ……ユミィが、そう望んでくれるなら」
シルビア様が握り返してくれる手の熱が、私の心を落ち着かせてくれた。