第84話 ルヴァインの街
街の入り口は行商人や冒険者が列を作っていて、荷物を積んだ竜鳥車が沢山行き来している。
私達の住むルビスティアでは、竜鳥という竜と鳥の間のような魔物が交通の手段として使われていた。
魔物と言っても、扱いやすく大人しい性質の竜鳥は、騎獣にすることも運搬車を引かせることもできるのだ。
だから、人間に可愛がられて上手に共存できているのよね。
小さな町では滅多に見ない大きな竜鳥車に気圧されながらも、その賑やかな人込みは私の心をワクワクさせた。
「あっちから、うまうま~~な、においするぞーっ!!」
涎を垂らしたロシータちゃんが、外壁に手をかけ今にもよじ登ろうとすると、その襟首の後ろをシルビア様が子猫を捕まえるように持ち上げた。
「ここは大きな街だから、街に入る為の許可を門の所でもらわなくてはいけないんだ。だから、大人しく列に並んで待つんだよ」
「めんどうだぞー! ろしーた、かべのぼってはいる~!」
「いい子にしてないと、ロシータだけ家に帰ってもらうよ」
「えーっ! やだやだ! おなかへったぞ! ろしーた、にくたべた~~い!!」
「ロシータさん、口を開けてくれませんか?」
ロシータちゃんが「ん?」と言って開けた口に、フィーちゃんが自分のポケットからハンカチに包まれたクッキーを出して、その一つを押し込んだ。
フィーちゃんからもらったクッキーを私もチェリーちゃんの口に入れると、二人の顔が嬉しそうに輝いたので、フィーちゃんと顔を見合わせて笑ってしまった。とっても素晴らしいよ、フィーちゃん!
「ここはルヴァインという街だよ。王都に近くて、色々な物が手ごろな値段で揃うんだ。列に並ぶ前に、これを渡しておくよ」
シルビア様が私とフィーちゃんに渡してくれたのは、小さな肩掛けのバッグだった。
「食料品なんかは私が買うから、皆好きな物を買うといいよ。中は異空間収納になっていて、金貨が500枚ほど入っている」
「あ、ありが……金貨っ⁉」
バッグの中の皮の袋を開けると、黄金色の貨幣が目にも眩しく輝いた。
「わっ……こっ、これっ、全部っ……金貨です……よね? ……し、白い金貨もありますけど……」
「うん。金貨と白金貨だよ。好きなものを買ってね」
シルビア様は笑っているけど、私はバッグを持つ手がブルブルと震えてしまう。
この国の貨幣は七種類あって、主に陶貨・鉄貨・銅貨・銀貨・金貨に分けられる。
陶貨 1枚 10 ルビス
鉄貨 1枚 100 ルビス
銅貨 1枚 1000 ルビス
銀貨 1枚 10,000 ルビス
金貨 1枚 100,000 ルビス
白金貨 1枚 1,000,000 ルビス
純黒金貨 1枚 10,000,000 ルビス
単位はルビスティアの国名からルビスになっているけど、他の国は金、銀、銅の様に、そのままの呼び方でお金を使っているところもあるらしい。
金貨が10枚で白金貨1枚になるけど、白金貨なんて普通の庶民は目にしないお金だ。
私は弟のルネと二人暮らしをしてたけど、食糧は山で採れたから、銀貨5枚もあればひと月暮らすのには事足りたのよね……だから、どう考えてもこの金額はもらいすぎだと思うわ……
「シルビア様っ、こっ、こんなにいただけません!!」
「どうして? これは、君たちが日々してくれる労働への対価だよ? これでも、とても少ない方だと思うのだけれど……」
「た、対価、と言われても……」
オロオロする私を見て、シルビア様が不思議そうな顔をした。
シルビア様のお手伝いをして、尚且つお金がいただけるのは本当に有り難いのだけど、私のしている労働はほぼ炊事だけだし、どう考えてもこの金額には見合わない。
このバッグに入った革袋一つで、平民なら一生楽に暮らしていける金額じゃないのかしら……
うううう~~~~こんな時は、何て言えばいいんだろう……⁇
「シルビアさん、そのように考えてくださって、とても嬉しいです。けれども、対価と呼ぶには身に余ります。せめてユミィさんと分けさせてください。私たち、そんなに買い物しませんし、これ一つで充分です。ね? ユミィさん」
フィーちゃんは微笑みながら、受け取ったバッグ一つをシルビア様にそっと返却してくれる。
おおおおお、そうそう、そんな感じの事を言いたかったんだよ……!
相手を嫌な気持ちにさせない言い回しの出来るフィーちゃんはすごいと思う。
「う、うん! フィーちゃんの言う通りです、シルビア様」
「……そうかい? 足りなくなったらすぐに言うんだよ?」
足りなくなる事なんて絶対に無いと思うんだけど……とにかく、バッグを無くさないように気を付けなくっちゃ。
「ロシータたちにもお小遣いをあげようと思うんだ。白金貨5枚ずつくらいで――」
「「多すぎます!」」
私とフィーちゃんの声が重なった。
シルビア様は納得いかなそうな顔をしながらも、フィーちゃんと私に金貨1枚ずつ、子供たちには銅貨を3枚ずつ渡してくれた。
「好きなものを買いなさい」と言われてお小遣いをもらったロシータちゃん、ダークちゃんは目をキラキラさせて可愛かった。
私達がお金のやり取りを終えた頃には、街へ入る為の人混みも落ち着き、十人くらいの列になっていた。皆と列に並ぶと、順番が近づいてきたのに興奮したロシータちゃんがはしゃぎだした。
「ろしーた、まちでおいしいのたべるんだー! みんなでいっしょにたべようなー!」
ロシータちゃんがピョンピョン飛び跳ねると、ポケットの中の銅貨がチャリチャリと揺れた。
「落とすなよ!」と隣にいるダークちゃんに言われているけど、ロシータちゃんはなんだか風のように消えてしまいそうで少し心配になってくる。
「ロシータちゃん、街の中では、舌とか炎とか、出しちゃ駄目だよ。それに……迷子になったら悪い人にさらわれちゃうからね」
「ろしーた、まいごにならないぞ! ゆみぃは、しんぱいしょーだなー」
「……ご主人様、別行動は許されるんでしょうか?」
ロシータちゃんに掴まれた腕を振りほどきながら、ダークちゃんがシルビア様に尋ねた。
「お好きにどうぞ。私が買い出ししてる間に、好きな場所を見に行くといいよ」
「ボクはご主人様と別行動したいというわけではなく、トカゲと離れた――」
「だーく、いっしょにまわろーな!」
ロシータちゃんがダークちゃんと腕を組むと、胸のポケットから這い出たチェリーちゃんがダークちゃんの頭へとよじ登り抱きついて、ダークちゃんが諦めたように溜息を吐いた。
ダークちゃんも、何か買いたい物があるのかなぁ……男の子の必要な物かぁ……
弟の部屋を思い浮かべてみるけど、そういえばベッドの下に厳重に密封された箱があったわね。掃除の時に開けてしまったけど、たしか可愛い女の子たちが薄着でアイスを舐めている絵なんかが描かれていたような気がするわ。
何が面白いのかサッパリわからない絵だったけど、ああいうのが芸術っていうのかな?
途中で慌てて部屋に入ってきたルネに取り上げられたからあまり見られなかったけれど、あんなに真っ赤な顔をしているルネを初めてみたっけ……
よくわからないけれど男の子にはああいう本が必要なのかも……女の子もキラキラした物や洋服が載った本が大好きだもんね。
ということは、ダークちゃんの欲しいものは、きっと……!
「ダークちゃん……本屋さんに行きたいのよね! 男の子だけしか読まない本が欲しいんでしょ? 大丈夫、私はダークちゃんの部屋に不思議な本があっても、探ったりしないから安心してね!」
私がコッソリと、だけど力強く囁くと、ダークちゃんが怪訝な顔をする。
「はぁっ? 何言ってるんだ?」
「男の子しか読まない本? そんなものがあるんですか?」
フィーちゃんも不思議そうに聞いてくるので、私にもフィーちゃんに教えられる事があったんだと嬉しくなった。
ゴニョゴニョと大まかに概要を説明すると、フィーちゃんの笑顔が何故か固まった。
「ゆみぃ、ないしょばなし、だめー! おとこのこだけの、ほんって、なんだ――?」
いつの間にか、ロシータちゃんが間に入って話を聞いていた。
「わ、ロ、ロシータちゃん、大声で言っちゃ……!」
「しるびー、うすぎ? の、おんなのこが、あいすなめてる、えほん、だーく、ほしいんだってー!」
ロシータちゃんの言葉を聞いて、フィーちゃんに続き、ダークちゃんも固まる。
「へぇ……ダークは、そういうのが欲しいのかい?」
凍えるようなシルビア様の視線を向けられたダークちゃんは、青ざめながら慌てて首を振って否定した。
「ち、違いますっ! ご、ご主人様っ……誤解ですっ!!」
「大丈夫だよ~、ダークちゃん。シルビア様はきっとわかってくれるよ!」
私はダークちゃんの肩に手を置いて、うんうんと頷いた。
弟がいたお陰か、ダークちゃんの心が手に取るようにわかってよかったわ。
「なっ、何か勘違いしてるだろう⁉ バカ犬っ‼」
「あっ! せっかく人が理解を示してるのにっ……!」
ダークちゃんの頭の上でまどろんでいたチェリーちゃんの尻尾を借りて、ダークちゃんの首の後ろをくすぐる。
半分夢の中にいたチェリーちゃんが「きゅ?」と言って寝ぼけた顔をしながら、小さなクリームパンみたいなお手々でダークちゃんの角をグリグリといじり出した。
「やっ、やめろっ、バカっ! 犬っ! ネズミっ!!」
「あっ! だーくばっかりずるーい! ろしーたも、かまってー!」
「もちろんだよ~~。可愛い可愛い♪」
チェリーちゃんを抱き上げ、その尻尾でロシータちゃんのポニーテールのうなじを撫でると、「くすぐったいぞ~♪」と言ってケラケラと笑い出した。
「ユミィさん……私……」
「フィーちゃん、わかっているよ!」
フィーちゃんのうなじも、チェリーちゃんの尻尾でくすぐると「うふふ」と幸せそうに笑ってくれる。
ほんのりと顔を赤くしたフィーちゃんは夢心地になっていた。
「チェリーちゃんの尻尾、とっても気持ちいいです。シルビアさんもどうですか?」
「……いや、私は……」
シルビア様に手で止められて、冷静になってくる。
街に入る前とは言っても、こんな風におふざけするのはよくなかったわね……
少しはしゃぎすぎちゃったなと思っていたら。
「……帰ったら、ユミィの尻尾でお願いするよ」
何を言われたのか理解できずに「えっ?」と返す私を見て、ダークちゃんが「馬鹿犬……」と溜息を吐いた。
***
私達の番が来ると、先頭のシルビア様が腰ベルトの鎖に繋がった漆黒のプレートを取り出し衛兵に差し出す。不思議に思って、シルビア様に問いかけると、『街に入る為には一つの団体につき一つ、何かの身分証を見せる事が必要』ということを教えてくれた。
漆黒のプレートは、シルビア様のギルドカードだったんだ。
シルビア様なら転移魔法で町の中へ直接入る事ができただろうけど、もしかすると今日は私達に社会科見学させる為にわざわざ外から街の門を通って入ってくれたのかもしれない。
なんだか申し訳ない気持ちになりながら、さり気ない気遣いをありがたく思うわ。
入口の門を抜けると、ルヴァインの街は石畳の広い道沿いに活気ある市場が連なっていた。
「少し街の中を見てから、食事にしようね」
「は、はい!」
見知らぬ街を歩く事にワクワクしてしていると、「らっしゃい! 寄ってってくんな!」と市場の人が元気に声をかけてくれる。
新鮮な野菜や果物店、鮮魚店に精肉店が、お祭りの様に屋台を出し競うように声を張り上げていてとても楽しい。
元からあるであろう街のお店屋さんの前のスペースは開けられて、そちらの方も人々で賑わっていた。
ウィンドーに可愛い洋服や雑貨が飾られているのがえてウキウキしていると、迷子にならないようにと繋いでいたロシータちゃんの手が離れる感覚がした。
「ろしーた、まち、みてくるぞー!」
「お、おい、トカゲッ! 待てっ……! 迷うだろっ!」
とんでもない勢いで駆け出してしまったロシータちゃんをダークちゃんが追いかける。
「た、大変っ! ロシータちゃん! 待って!」
慌てて追いかけようとすると、フィーちゃんが私の肩に手をかけて引き止められた。
「ユミィさん、私は母とこの街に来たことがあるので、道を知っています。私が二人を追いかけますので、シルビアさんとゆっくり街を見ていてください」
「フィーちゃん! でっ、でもっ……!」
「大丈夫です。その間にシルビアさんとユミィさんで買い出しを済ませてくださると助かります。後で合流しましょう?」
フィーちゃんは私とシルビア様ににっこりと微笑んだ。
「ありがとう、フィー。もし私達の場所がわからなくなったらダークに聞くといい。ダークは私の眷属だから、お互いに居る場所がわかるんだ」
「わかりました。ありがとうございます。では、また後で」
「こっちこそありがとう。後で会おうね!」
フィーちゃんに小さく手を振り返し、その姿が見えなくなると、シルビア様と二人きりになってしまったことに気づいた。
こ……これは……所謂、デートというやつなのでは……?
いいえ、お付き合いしてる恋人たちが楽しむ事をデートというのであって、私とシルビア様はそういう関係ではないはず……
……とは言っても……
一旦意識してしまうと、急に顔に熱が集まってくる。
「お手をどうぞ、お姫様」
「!」
私の気持ちを知ってか知らずか、シルビア様がほっそりとした手を差し出してくれる。
重ねた手がシルビア様に強く握られると、心臓が大きく跳ねた。