第80話 診療所の朝
シルビア様が部屋を出た後も彼女の残り香が体全体を包んでいるようで、なんとか人化したものの眠ることができなかった。
シルビア様は私に甘えてくれる……なぜなんだろう……?
私がシルビア様にしてあげられることなんて、片手で数えられるくらいの事で、その全てが私じゃない人が担っても全く支障はない。
私なんかよりも賢くて、優れていて、しっかりしてる人は沢山いるのに……
とても不思議に思うけど、シルビア様が他の人に甘えたら……
……うーん、なんだかモヤモヤする……かも……?
寝台の中で足元の違和感に気づき身を起こすと、窓際の魔道ランプが自動的に部屋の中を柔らかく照らしてくれた。
「ゴーレムちゃん⁉」
いつの間にか寝台に潜り込んだシルビアゴーレムは、私にすり寄って甘えてくる。
家作りの為にシルビア様に命を吹き込まれたゴーレムちゃんが、何故ここにいるのかな?
「お仕事は終わったの?」
シルビアゴーレムが元気に頷いて私に引っ付いた。
「貴女はシルビア様そっくりね……」
ギュッとしながら撫でる……だったわよね……
左腕に少し力を込めてゴーレムちゃんを抱きしめ、右手でその頭を撫でると、ゴーレムちゃんは「キャ――♡」と言って恥ずかしそうに自分の顔を手で覆った。
ゴーレムちゃんを抱きしめて横になっていると、ゴーレムちゃんが私の腕をトントンと優しく叩いて寝かしつけてくれる。
今度は、私が甘やかされているみたいね……
こそばゆくてクスクス笑いながら、安心感に包まれていた。
「ありがとう……」
私に甘えてくれて、ありがとう……
優しく腕を叩くリズムが心地よくて、私はいつの間にか眠りの中に落ちていた。
***
朝起きると寝かしつけてもらったお陰か、とてもスッキリと目覚める事ができた。
「(ありがとう、ゴーレムちゃん)」
まだ眠っているシルビアゴーレムに上掛けをかけ直して身支度をし、廊下に出ると不思議といい匂いが漂ってきた。
「フィ―ちゃん……?」
「ユミィさん、おはようございます……あれ? ユミィさんがお料理されてるんじゃなかったんですか?」
「ううん。私、今起きたところだよ」
丁度部屋から出てきたフィ―ちゃんと広間に向かうと、キッチンで忙しく料理をしていたのはカレンデュラさんだった。
「えっ⁉ あ……お、おはようございます、カレンデュラさん」
「…………おはよ……」
私の声にぶっきらぼうな返事をしたカレンデュラさんは、シンプルな白いシャツと青い脚衣を着て、その上に白いフリルの沢山ついたエプロンを身につけていた。
オレンジの波打った髪は後ろでお団子に結われている。
髪のまとめ方がとても上手なことに感心しつつ、軍服とはかけ離れている格好に驚いてしまう。
食台には朝食の準備が完璧に整っていた。
銘々のお皿には、木の実のサラダが可愛く盛り付けられ、大きな水差し一杯に果物のジュースがたっぷりと入っている。
籠に沢山入ったパンはフワフワしていて温かく、今朝焼いたもののようだった。
魔道コンロにかけられたポタージュのスープからいい匂いがしてくるわ。
こ……これ、全部、カレンデュラさんが作ったのよね?
「カレンデュラさん、凄いです!」
「きゃーきゃー騒ぐんじゃないわよっ! ルー様、まだ眠ってるのよ!」
「でもこの人参、ハート形になってますよね、すごく上手です!」
「べっ……別に……こんなの、なんでもないわよ! いつまでも作ってもらってばっかりじゃ……つまらないから、今日は自分で作ってみただけよっ」
カレンデュラさんの頬が少し赤く見える。
別に機嫌が悪いわけじゃなくて……もしかして、恥ずかしいだけなのかな?
サラダの盛られたプレートの上には、ハート型に薄切りにされた人参が四枚組み合わさって四葉のクローバーの形をしている。
その下にはお芋のサラダがウサギの型に盛られていて、上に炒って細かく砕かれた木の実がかかっていた。
ウサギの目にはゴジベリーが使われていて、側に木苺や山葡萄などが可愛く盛り付けられている。
ロシータちゃんやチェリーちゃんが喜びそうな可愛い盛り付けに、見ている私も嬉しくなってしまう。
カレンデュラさんが指を振ると、どこからともなく集まって来た精霊ちゃん達が、それぞれに小さなスプーンを持ちながら、目玉焼きが載せられたお皿に何やら描き始めた。
色から見るとどうやらバジルソースで私達それぞれの似顔絵を描いてくれているらしい。
皆の顔を描き終えた精霊ちゃん達は、半分に切ったミニトマトを目玉焼きの横に盛り付けてくれる。
これならチェリーちゃんも食べやすいし、とっても助かるわ。
「ふんっ、完成よっ! 好きにしたらいいわっ!」
「あの……もしよかったら……一緒に食事しませんか?」
フィ―ちゃんの声に、カレンデュラさんが固まった。
「そ、そうですよ! 一緒に食べましょう!」
私の声に賛同するように精霊ちゃん達も頷いている。
「い……いやよっ……私は……ルー様と一緒がいいのっ!」
真っ赤になったカレンデュラさんは、ハートマークの描かれたお皿をトレイに載せて部屋に戻っていった。
皆で一緒に食卓を囲むのは、もう少しかかるかな?
***
診療所の魔力窓から、外の雨が見える。
雨粒は魔力硝子にはじかれ、瑞々しい優しい空気だけが室内に流れ込んできた。
「ゆみぃ~~、ふぃ~~、おはよ~~!」
頭に人化したチェリーちゃんを載せたロシータちゃんは、今日も同じエプロンドレスを着ていた。
「ロシータちゃん、そのお洋服気に入ったの?」
「うん! ろしーた、このふく、すきー! じょうかまほーで、ふくと、ちぇりーのおしりきれーにしてるんだぞ!」
「きぇーのー♪」
ピンクのカボチャパンツの赤ちゃん服を身に着けたチェリーちゃんは、オムツが綺麗なことが嬉しいようでお尻をフリフリしている。
胸元にある涎掛けや、ぷっくらとした手足と頬っぺた、どこもかしこも本当に可愛いくて仕方がないわ……
「ロシータちゃん、すごい! チェリーちゃん、きれいにしてもらってよかったね♡」
思わずチェリーちゃんのほっぺたをツンツンすると、「きゅ~」と柔らかく微笑んでくれる。
いいな。赤ちゃん。
私も一緒にお風呂に入りたいな。
「ねぇ、ロシータちゃん。今度、私も一緒にチェリーちゃんをお風呂に入れてもいいかな?」
「うん! いいぞー! ゆみぃも、いっしょだ!」
「やったー!」
「……ユミィ……おはよう。楽しそうな話を……しているね……」
振り返ると、青ざめたダークちゃんとニコニコ笑ったシルビア様がいた。
「シ……シルビア様……!」
「……ユミィ……私とは一緒にお風呂に入らないのに、ロシータとは入るのかい?」
「そっ……それは……ギュー、か、お風呂か……どっちかだって、昨日言ったじゃないですか」
ギュッとだけでもあんなに刺激が強いのに、一緒にお風呂に入ったら私の頭はパンクしてしまう……
「……じゃあ、ゴーレムのことは? ゴーレムにはギュッとしてナデナデしてくれるのに、どうして私は駄目なんだい?」
納得いかなそうな顔のシルビア様が、更に私に詰め寄った。
シルビア様の首の後ろからシルビアゴーレムがひょっこりと顔を覗かせ、「ごめんね」とでもいう様に両手を合わせている。
あ、そういうことだったのね……!
「いえ……あれは……その……」
「その……?」
シルビア様の射抜くような黒曜石の瞳が、尻尾をフリフリ言い訳を考える私に向けられる。
「……練習……と……いいますか……」
「練習……? ユミィは、練習をしていたのかい?」
私の苦し紛れな呟きは、意外にもシルビア様の表情を明るくした。
「……ふふっ。そうか……練習かぁ……ふふっ。楽しみだなぁ~~~~♪」
上機嫌に席に着いたシルビア様が、皆のゴブレットに果物ジュースを魔法で注ぎ始めた。
鼻歌を歌い始めたシルビア様を見て、ダークちゃんが私にそっと耳打ちする。
「(……おいっ! ウサ犬! あまり適当な事を言うなよっ!)」
「(あっ! また悪口言った! 私はウサギでも犬でもなくて狼だよ! それに、ダークちゃんこそ、昨日適当な事言って逃げたくせに~!)」
「(ばっ、馬鹿っ! ご主人様に逆らえる訳ないじゃないかっ! ……むしろ、お前はどうしてそんなに、ご主人様に言いたい事が言えるんだ! 命が惜しくないのかっ⁉)」
冷や汗をかきながら、ダークちゃんは気まずそうに目を逸らした。
え……? 何で……?
確かに、シルビア様は時魔法師で薬師で魔族の末裔で、とてもすごい人なのかもしれないけれど……そんなこと表面上だけのことだと思う。
本当のシルビア様は――
「……だって……シルビア様は、可愛い女の子じゃない」
そりぁあ、少し気難しいところはあるかもしれないけど、その笑顔はびっくりするほど美しい。
植物が大好きで、ちょっと変わった不思議な子。
それが、シルビア様だ。
一体、何をそんなに恐れているんだろう?
私が言うと、後ろのテーブルでゴトッと音がする。
振り返ると、シルビア様がゴブレットを落としてテーブルの上にジュースをこぼしてしまっていた。
顔を真っ赤にして手がブルブルと震えている。
「だっ、大丈夫ですか⁉」
「ふふっ。ちょっと驚いてしまったんですよね、シルビアさん」
「……うん……なんでも……ない……」
フィ―ちゃんが硬直しているシルビア様を席に着かせ浄化魔法をかけると、水色のキラキラした光が辺りを包み込んだ。
「フィーちゃん、ありがとう。シルビア様、綺麗になりましたね」
「ん……」
シルビア様は何故か顔を赤くしてモジモジと目線を下に向けている。
シルビア様の肩に座ったゴーレムちゃんは、私と目が合うと「キャー♡」と言ってシルビア様の髪の毛の中に隠れてしまう。
時折、髪の毛の中から出て来てはこちらをチラッと見て、恥ずかしそうに隠れるのを繰り返していた。
何だか……恥ずかしいのかな……? 私、何か悪い事言ったかなぁ……?
「きょうのごはん、かわいいなぁ! だれがつくったのー?」
赤ちゃん用の椅子を準備し終えたロシータちゃんが、チェリーちゃんを椅子の上に座らせる。
「カレンデュラさんだよ。とっても可愛いよね!」
「きゅう!」
チェリーちゃんが顔を下に向けて、お皿にバジルソースで描かれた自分の似顔絵をペロリと舐めた。
「あ、お皿を舐めちゃ駄目だよ、チェリーちゃん」
「そうだぞ、ちぇりー。たべおわってから、なめるんだぞ!」
「皿を舐めるな、トカゲ。舐める事自体が駄目なんだぞ!」
ダークちゃんの言葉にロシータちゃんが目を大きく見開いた。
「おさら……ぺろぺろ……だめ……!? これ、たべられないのか……」
ガックリするロシータちゃんに、フィ―ちゃんが千切ったパンを差し出した。
「パンにつける方法もありますよ、ロシータさん」
「おおお! やったー! ありがと、ふぃー!」
早速パンにバジルソースをつけて、ロシータちゃんがチェリーちゃんに差し出す。
「いっただきまーす! ちぇりー、あーん!」
「きゅうー♪」
チェリーちゃんがモグモグとパンを食べる様子を見て、ロシータちゃんもスープを口に運ぶ。
「ロシータちゃんはしっかりお姉さんしてて偉いね」
「へへ~♪ おねーさんじゃないぞー、ままだぞー!」
「ままぁ~」
チェリーちゃんに呼ばれたロシータちゃんは、嬉しそうにチェリーちゃんの頬を長い舌で舐めた。
とても微笑ましい光景に、フィ―ちゃんも私も思わず声が出てしまう。
ダークちゃんがモリモリ食べて、フィ―ちゃんがさり気なくお替りのスープを皆によそってくれる。
私も果物ジュースを皆に注ごうとしたら、シルビア様の手が全く動いていない事に気づいた。
「シ……シルビア様……た、食べないんですか? ……お顔が耳まで真っ赤ですけど、どこかお加減が……お熱でしょうか?」
「ユ……ユミィ……い、いや、そういうことじゃない……た、食べるよ……大丈夫……」
下を向いていたシルビア様は、食事が始まっている事にやっと気づいたみたいだった。
慌ててパンを口に入れたシルビア様が、盛大に喉を詰まらせる。
ゲホゲホするシルビア様の背中をさすってジュースを飲ませると、涙目になりながらもやっと目を合わせてくれた。
だ、大丈夫かな……?
「(ウサ犬、お前のせいだぞ!)」
「(何がよー)」
シルビア様が落ち着くのを待って私も席に戻ると、ポタージュスープを飲んでいたダークちゃんに小声で文句を言われる。
「(ご主人様がむせるのも、外の天気がすぐに変わるのも、全部お前のせいだ!)」
「(何よ! そんなわけないじゃない! ダークちゃんの意地悪―!」」
外の天気はさっきまで雨だったけど、今は晴れて太陽が燦々と輝いていた。
ダークちゃんは何を見てそんなことを言ってるんだろう?
ウサ犬呼ばわりといい、ちょっと酷いんじゃないかな?
私がダークちゃんにベーっとすると、シルビア様がにっこり笑いながらダークちゃんを見つめる。
「……ダーク……余計な事は言わなくてもいいよ。ね?」
「は、はいぃ……」
シルビア様、今の話聞こえてたのかな?
「食べ終わったら、みんなで着替えて街へ行こうか」
咳払いをして宣言したシルビア様の提案に、私達は浮き立つ。
いつの間にか雨は止み、窓から流れてきたそよ風から爽やかな初夏の香りがした。