第7話 檻の中で ☆
貴族の屋敷の檻の中で、わたしは膝を抱えていた。
周りを見回してみると、同じように捕まった獣人たちが絶望したように力なく打ちひしがれている。
一体、どうすればいいんだろう……?
怖いのに、苦しいのに、隷属の首輪のせいで逃げる事はできない。
なんとなく頭もぼんやりしているような気がして気持ちが悪かった。
足の傷がズキズキと痛んで仕方がない。冷え切った体が震える。
怖い……
これから、わたしたちはどうなってしまうんだろう。
捕まった獣人の誰もに傷があって痛ましい。
泣いている獣人、放心している獣人の中で、キッと前を睨んでいる豹獣人のお姉さんがいた。
わたしが見つめていると豹獣人のお姉さんはこちらに気がついたみたいだった。
豹獣人のお姉さんはわたしとは違う方法で捕まったのか、全身ボロボロになった服からだいぶ抵抗したのがわかった。
「あの奴隷商人、ゴルズだよ」
豹獣人のお姉さんが押し殺した声で言う。
ゴルズ……ゴルズって、あの……?
わたしが声を出せないのを察してくれたのか、豹のお姉さんは構わず話を続けた。
「奴隷商人ゴルズ。獣人を捕らえて、闇オ―クションにかける冷酷な輩さ。あいつに捕まるくらいなら、死んだ方がましだった……」
そう言ったお姉さんの声が震えている。ポロリと涙を流したその様子から、怖くて話さずにはいられなかったんだとわかった。
ここ、闇オ―クションに出される獣人たちの檻なんだ……
ようやくわかりかけてきた現実に絶望がこみ上げてくる。
奴隷商人ゴルズ……獣人の間で有名な、死をもたらす商人の名前。
捕まった獣人は闇オ―クションにかけられて、悪魔のような人間たちに買われて玩具にされるって、聞いた事がある……
まさか、そんな恐ろしい人間に捕まってしまうなんて。
わたし……殺されるの……?
恐怖が足の底から這い上ってきて全身を震わせる。涙が止めどなく溢れた。
死にたく、ない……
まだ、やりたいことが沢山あるのに……
何故こんな目に遭うのだろう。
どうしてわたしには何の力も無いんだろう……
答えの出ない問いに胸がつぶれそうになる。
泣いたってどうにもならない。
だけど、他に何もできない。
声を出すことすらできないのだから……
零れ落ちる涙が足を伝って傷口に棘のように染み込んだ。
しばらく泣いていると、右足に痛み以外のものを感じる。温かい……
ふと顔を上げると、赤い髪の女の子がわたしに寄り添うようにくっついてくれていた。
5歳くらいの燃えるような赤毛の女の子は少し怯えた様な表情で、上目遣いにこちらを見ていた。
こんなに小さな子も、捕まってしまったのね……
あなたは、何の獣人なの?
問いかけたいのにできなくて。声を封じられるってなんて不便なんだろう。
女の子は床に横になるとわたしの右足を両手で包み、傷に触れないように優しくさすってくれた。
その動作がくすぐったくて目を見開くと、女の子の小さな口から真っ赤な細長い舌が伸びていくのが見えた。何をするの?
女の子の赤い舌がチロチロとわたしの右足の傷を舐めあげる。
「!」
驚きすぎて無反応になってしまう。声が出せたなら大声を出していたと思う。
え? え? 汚いよ?
わたしは首を横に振って女の子にやめるように促す。
けれど、きょとんとした顔をした女の子は決して手を離すことはなかった。
一般的に獣人は家族間か、よほど親しい人同士でしか舐め合いをしない。
小さなころはわたしもルネと顔を舐め合ったり匂いを嗅ぎ合ったりしたけど、10歳になる頃には『そろそろやめようね』って母さんに言われたっけ……
他の獣人はみんな幼児の頃に舐め合いをやめるらしいし……
今では座ってるルネの首の後ろを驚かせる為にたまに軽く舐めるくらいしかしてないけれど、やると普通に怒られるもの。
だから、女の子の行動にひどく驚いてしまう。
罠にかかって山道を無理に歩かされたわたしの右足は血まみれで腫れていた。放っておけば膿んでしまうかもしれない。
そんな傷口の固まった血を、女の子の舌は丁寧に舐めとってくれる。
女の子が舐める度、足の痛みが取れていく。
腫れも引いて、不思議と楽になってきたような気がした。
痛みが……無くなった……?
舐められたところが熱くなって、そこから痛みが引いていくような気がする。
傷口に目を向ければ、怪我する前の綺麗な足になっていて。
……うそっ…… 傷がっ……!
あれほど酷かった傷が、きれいさっぱり無くなっている。
信じられない驚きでいっぱいになりながら、なんとか冷静に考える。
この子の唾液は浄化と回復の効果があるのかもしれない。
傷が治った嬉しさと、傷口を舐められた恥ずかしさで顔が火照るのがわかった。
暗くて怖い檻の中で、女の子の優しさはわたしの心を温めてくれた。
ありがとう……
出ない声の代わりに、気持ちを込めて女の子の頭を撫でる。
一瞬ビクッと驚いてわたしをみた女の子の瞳はリンゴのように紅かった。
女の子は不思議そうな顔をしながらも、大人しく頭を撫でさせてくれる。
意外に柔らかくサラサラとした髪の毛が心地よい。
この子も不安で寂しいのかもしれないな……
こんなに小さいのに捕まってしまったんだから当たり前よね。
一緒にいてくれる?
そう思いながら女の子を見つめれば、じっと目を見返した女の子は、わかったと言うように頷いてくれた。
嬉しくて抱きしめると、女の子が小柄なわたしの腕の中にすっぽりとおさまるほど小さいことがわかった。
彼女の体温が伝わってきて、ほっとして気がゆるんでしまう。
髪の毛からはお日様の匂いがして。
捕まった恐怖が再び押し寄せて、わたしの心もついに限界になる。
わたしが泣き始めたのに気づいた女の子がびっくりして固まった。
おずおずと気づかうように背中をさすってくれる様子は、ぎこちないけどとても優しい。
大人なのに泣いてしまってごめんね……
自分の力で生きたいだなんて、無理な事だったのかもしれない……
ルネの忠告を素直に聞いておけばよかった。
調子に乗った挙句に捕まってしまうなんて、なんて情けないんだろう。
いつだって足手まといで、迷惑ばかりかけてしまう……
悔しさと悲しさで、ポロポロと涙が零れ続けた。