第75話 新しい住処(すみか)
森を抜け屋敷に戻った私達が見たのは、無残な焼け跡だった。
炭になった木々が積み重なり、ここで生活していたことが信じられなくなる。
涙を堪える私の背中を、フィ―ちゃんが気遣わしそうに撫でてくれる。
そのフィーちゃんもまた、とても辛そうな顔をしていた。
ロシータちゃんがオロオロと私の周囲を跳び回り、フィーちゃんと一緒に背中を撫でてくれた。
「ウサ犬、泣くんじゃない!」
ダークちゃんが私を叱ってくれるけど、その目が赤いことに気づく。
「……ボクにとっても、ここは家だったんだ……」
魔界で生きるのが辛かったダークちゃんは、こちらでの生活をとても大切に思っていてくれたのかもしれない。
普段はぶっきらぼうだけど、シルビア様の言った通り、私達は“家族”になりつつあるんだわ。
シルビア様の元に来て数日しか経っていないけど、私達にとってここがどれだけ大事な居場所になっていたかを思い知る。
じんわりと込み上げてきた悲しみを必死に堪えていたら、シルビア様が「大丈夫だよ」とでも言うように強く手を握ってくれた。
「住処は新しく作ればいい。皆が無事だったことが重要なんだ」
「……シルビア様……」
シルビア様はまるで何事も無かったかのように穏やかに微笑む。
「皆にとって、ここが大切な場所になっていたことを嬉しく思う。時魔法で、燃える前の状態に修復することはできるよ」
「えっ! そっ、そんなことがっ⁉」
驚く私に向かってシルビア様が頷いたことで、皆の顔にも喜色が浮かんでいく。
なんだか希望の輪が広がっていくような光景だった。
真っ黒に焼けて炭になってしまった大きな木の柱や、家具や道具が熱で溶けてしまった鉄の塊……
辺り一面、燃えた木の炭と灰ばかりで、撤去するだけでもどれだけ時間がかかるのだろうと思っていたけど……
時魔法って、どれだけ凄いのかしら……?
「しるびー、ほんとー? ろしーたとちぇりーの、おへや、もどせるー?」
「シルビアさん……素晴らしいです!」
ロシータちゃんとフィーちゃんが、眠っているチェリーちゃんを挟んで喜び合っている。
ダークちゃんだけが信じられないといった顔つきで佇んでいた。
私達よりも魔法に詳しいダークちゃんには、お屋敷を元通りにする大変さがよくわかるのかもしれない。
「ご……ご主人様……ほ、本当にっ……?」
「うん、可能だよ。……でもね――」
私達に救いの手を差し伸べてくれたシルビア様は、何か思案しているようだった。
もしかして、大きな物を直すには、何か代償がいるのかもしれない……
私に出来る事だったら、何だってしたいけど――……
“毎日ギュッとする”こと以上のものが必要……なのかな……
……一体、なんだろう……?
ギュッとするって、手を繋ぐよりも難易度が高いような……
それ以上のことっていうと、恋人同士のように、口付けを――
え……いやいやいや……そんなまさか……まさかそんな……?
いやいやいやいや……落ち着け……落ち着くのよ、ユミィ……
「それだけだと、面白くないよね……この焼け跡を浄化して、新しい屋敷を建てないかい?」
シルビア様の言葉は、私の想像とは全く違うものだった。
「えっ? 新しいお家ですか?」
「そう。皆の要望を取り入れた、全く新しい住処だ」
ダークちゃんとシルビア様の話を聞いて、自分の考えがひどく的を外れていたと気づく。
そ……そういうことだったんだ……
何も言わなくてよかった……
何故かフリフリと揺れてしまう尻尾を掴んでいた私を、シルビア様が不思議そうな顔で見ていた。
「す……すごい……けど、シルビアさん、そんな贅沢……いいんでしょうか……?」
「もちろんだよ。皆、どんどん要望を言ってごらん?」
「はーい! はい! はい! ろしーた! ろしーた!」
ロシータちゃんがダークちゃんの手を掴み、そのまま挙手していた。
「しるびー、おっきーい“おふろ”つくってー! ろしーた、みんなと、はいるんだぞー!」
「……ボ、ボクは、いやだっ!」
ロシータちゃんの手を振り払ったダークちゃんが、フィーちゃんの後ろに隠れ、チラリと顔を出す。
「……できれば……自室に風呂を……」
シルビア様がクスっと笑って頷いた。
要望か……私もなにかお願いしようかな……でも……う――ん。前のままでも、最高すぎたしなぁ……
考えを巡らせてみるけど、こういう時って意外と何も浮かばないものなのかもしれない。
ただ、子供たちや皆が喜ぶ事がしたいなとは思うんだけど……
「フィーちゃんは何かある?」
「特には……前のままでも、充分だったので……ロシータさん、他には何かありませんか?」
フィーちゃんも私と同じ考えだったのね。
なんだか、私達って似てるんだなぁ。
「ろしーたなぁ、みんなで、あそぶ“おへや”ほしー。あかちゃんのちぇりーも、あそべる“おへや”がいいぞー!」
「あ、ロシータちゃん、それいいね!」
「とてもいい考えですね」
ロシータちゃんの言う赤ちゃんのほふく室のように、皆でゴロゴロできるお部屋があると素敵だわ。
お外で結界を張ったお昼寝もいいけど、実家では暖炉の前で狼の姿に戻ってお昼寝するのが大好きだったのよね。
冬の寒い日なんか本当に気持ちよくて、弟と場所を取り合ったものだ……
あのぬくぬくさを皆で味わいたいなぁ……なんて……
「ユミィも、フィ―も……。君たち、もっと自分のことを考えてもいいんだよ」
「考えてますよ?」
「私も……」
不思議そうに顔を見合わせる私達に、シルビア様が苦笑する。
「君たちは欲が無さすぎるね。今までよりもっと広い自室や、書斎に衣裳部屋、図書室、食堂、食品庫なんかもどうだい?」
「えっ! そんな、お城みたいに⁉」
「……豪華すぎませんか……?」
恐れ多いような気がして、縮こまっていると、シルビア様が「いいんだよ」と言ってくれる。
「だって、私達の城じゃないか。大好きなものは、全部詰め込んだ方がいい」
その言葉に嬉しくなって、私の尻尾は止まらない程揺れてしまう。
「それは……とっても、わくわくしますね」
「わーい! じゃあおかしのおへやと、ひのたまたくさんの、しゅぎょーのおへやとー、もんすたーがたくさんでるおへやとー――――」
「……ロシータのお願いはもう終わりだよ」
シルビア様がロシータちゃんの鼻を軽く指ではじいた。
「ふぎゃっ! ……しるびーめー!」
「んきゅ……。ままぁ」
いつの間にか、ロシータちゃんのポケットの中でチェリーちゃんが目を覚ましていた。
人化したチェリーちゃんが、ロシータちゃんの顔をペロリと舐める。
「ちぇりー! おきたか! いいこいいこ! かわいいぞ!」
ロシータちゃんもチェリーちゃんに返すように、そのまん丸な頬っぺたを長い舌でベロンと舐めた。
皆が落ち着いたのを見て、シルビア様が焼け跡の炭になった木に右手を向けると、水色のキラキラした光が焼け跡を包んで、光が触れた場所がただの真っ新な地面になっていった。
「おっ! じょうかまほーかっ? ろしーた、いっしょにやるぞ! がんばって、おぼえるー!」
「ボ、ボクだって、負けないぞっ!」
ダークちゃんとロシータちゃんが競う様に、シルビア様を真似て浄化魔法を焼け跡にかけていった。
焼け跡が綺麗になるにつれて、暗い雰囲気も一緒に払拭されていくのがわかって嬉しかった。
***
子供たちが焼け跡を浄化してくれている間に、私とフィーちゃんとシルビア様は診療所の中へと入る。
病室の中はシンプルで、大きめの寝台と椅子、サイドテーブルが一つずつあるだけだった。
寝台の上の空間が歪んだと思ったら、シルビア様が異空間収納を展開させたのだと気づいた。
「ブルーベル、ここは診療所の病室だよ。新しい屋敷ができるまで、カレンデュラとここで生活してもらうことになる。先程も言ったが、君とカレンデュラは虜囚ではなく、これから共に暮らしていく仲間で、今はただの患者だ。気を張る事は無いよ」
寝台に横たえたブルーベルさんに、シルビア様が淡々と告げる。
「……人間に助けられるとは……無様だな……」
ブルーベルさんが自嘲するのと同時に、息を切らせたカレンデュラさんが病室に飛び込んできた。
「無事に……送り届けてきたわ……アンタ……シルビア……よね?」
「そうだとも。お疲れ様、カレンデュラ」
カレンデュラさんは心配そうに、寝台に横たわるブルーベルさんに寄り添う。
「毒は無効化されたけれど、回復には時間が必要だ。念のために少し体を診ておこう」
シルビア様がブルーベルさんに左手を向けると、白い光がキラキラとブルーベルさんを包んだ。
色からすると、鑑定の魔法かな?
「……そうか……だから……」
シルビア様が小さな声で独り言を呟くと、カレンデュラさんの表情が険しくなった。
「なっ……なによ。ルー様のお体に何かおかしいところでもあるわけっ……⁉」
「……別に、何でもないよ。ブルーベルはもう少し治療が必要だね。ゆっくりと体を休めるといいよ」
「……」
ブルーベルさんとカレンデュラさんは顔を見合わせ眉根を寄せていた。
シルビア様的には何か気になる事があったのかもしれないけれど、一見するとブルーベルさんには特に変わった様子は見られない。
先程の威圧感は全くと言っていいほど感じず、カレンデュラさんもブルーベルさんも以前より角が取れたような気がする。
「君の体が良くなったら、カレンデュラと一緒に森の番人をしてもらう。屋敷が完成するまでは私たちと一緒に診療所に寝泊まりしてもらうけど、君たちの住処は後で別に作ろう」
「……気遣い感謝する……」
戦いの最中、あれだけ酷い事を言っていたブルーベルさんが素直にお礼を言う。
さっきまでの態度とは180度違うけど、冷静な人だから圧倒的に不利な状況を受け入れることにしたのかもしれない。
シルビア様が命を助けて、フィ―ちゃんが手を貸してることも大きいんだろうな。
ブルーベルさんの気持ちはまだ複雑かもしれないけれど、いつか打ち解けられる日が来るといいな……
「さぁ、後始末をしなくては。君も一緒に外に出て、手伝ってもらうよ」
「えっ……ち、ちょっと……!」
カレンデュラさんがシルビア様によって病室の外に押し出される。
診療所の待合室では、シルビア様が認識阻害の魔法を解いた精霊の木がキラキラと輝いていた。
待合室に入ったカレンデュラさんは、精霊の木に釘付けになったように動きを止める。
「精霊の木……こっちの診療所だけ、防御魔術が常時展開されてたのは、これがあったからなのね……」
「その通り。妖精の国には、精霊の木はないのかな?」
「……ないわ……残念ながらね。ここに精霊が多いのは、森の自然力が多いからだと思ってたけど、まさか精霊の木があったからなんてね……」
精霊の木にいた幼い精霊ちゃんたちが、カレンデュラさんに気づき、その肩に止まった。
「この木は最近植えたもので、実は森の奥にも精霊の木の大木があるんだ。いつも、認識阻害の魔術で見えないようにしているから、私以外にその場所を知る者はいないけどね」
「とんでもないものが隠されていたのね……」
カレンデュラさんが戸惑った表情で精霊の木を見た。
その表情から、この木は妖精達にとって、とても大切なものなのだろうと思う。
妖精国から失われてしまった宝が、人間界で見つかるのは複雑な心境なんだろうな……
「悪事で手に入れたものではないから安心して。精霊の木は、良い者も悪い者も、惹きつけすぎるから、私の森を隠れ蓑にして保護しているんだよ……」
「……まさか、私達の命の源が、人間に守られていたなんて皮肉ね。……遠い昔は、精霊の木の上で妖精たちは生活していたものだけど、今は人間から身を守る為に、妖精国は地下にあるのよ」
カレンデュラさんの表情が少し哀し気で、この木を取り巻いてきた歴史が楽しいものだけではない事がわかった。
「これから、君とブルーベルがこの森を、精霊の木を守っていくんだ。できるかい?」
カレンデュラさんが静かに頷くと、私達は外に出て屋敷の焼け跡の前に立つ。
子供たちが頑張ってくれたようで、焼け跡は炭や木くずも無く、だいぶ綺麗になっていた。
「ご主人様、大体終わりました」
得意気に駆け寄って来たダークちゃんが、カレンデュラさんを一瞥する。
カレンデュラさんが居たたまれなさそうに目を逸らした。
「悪かったわよ……」
シルビア様が赦すと言っても、戦った相手にわだかまりがあるのは当然よね……
どうすれば打ち解けられるんだろう。
なかなか難しい事ではあると思うけど、協力し合ってこの森を良くして良ければいいな。
「だーくー、しるびー、ゆるしてなー?」
カレンデュラさんに寄り添ったロシータちゃんは、赦しを請うようにダークちゃんたちを見て舌を伸ばした。
「多少の物は燃えてしまったけれど、幸いなことに実質的な被害は無いんだよ。屋敷の中の異空間収納は、私の異空間収納と繋がっているからね。研究したものも毎回全て異空間収納にしまうようにしていたんだ」
「そうだったんですか⁉ シルビア様、すごいです……!」
「……偉い?」
戦いが終わってから、シルビア様の甘え具合がどんどん増しているような気がするわね……
褒めてほしそうに見えるから、頭を撫でればいいのかしら……撫でやすいようになのか、シルビア様の頭がどんどん下がっていくような……
私なんかに撫でられても、シルビア様は本当に嬉しいのかな……?
だけど、このまま頭を垂れさせつづけるわけにはいかないわよね……
私の心配とはよそに、頭を撫でたシルビア様の顔が花の蕾のようにほころんでいく。
笑った顔は子どもの姿の時と全く変わってなくて、その顔を見ていると私の尻尾も自然に揺れてしまう。
「研究が無駄にならなくてよかったですね」
「うん。ありがとう」
私たちの話を聞いてたカレンデュラさんが、少しホッとしたような表情を見せる。
「皆に聞いてほしいんだけど、今度の屋敷は木の上に作ろうと思う」
「……えっ、き、木の上ですかっ?」
「うん。木の上で生活するんだ。気に入らないかい?」
私はブルブルと首を振った。
茶金色の垂れ耳がパタパタ動いてしまうけれど、わくわくする気持ちが止まらない。
「そんなことないです! それって、とっても……とっても……素敵です!」
木の上にお家があるなんて、すっごく楽しそうだ。
屋敷が燃えた事がとても悲しかったけど、その気持ちを消し去るくらいいい考えだと思う。
「ろしーた、きのぼり、とくいだぞ!」
「空に近くなって……素敵なお家になりますね」
「ご主人様……常に高みを目指そうとされる姿勢、素晴らしいです!」
チェリーちゃんも周りの雰囲気に飲まれたのか、手をパチパチと叩いて上機嫌になった。
「カレンデュラの話を聞いて思いついたんだ。ここに精霊の木を植えて、その上が私達の住処だ。ここを、何処よりもいい森にしよう。古代の妖精国、常若の国のように」
その言葉を聞いたカレンデュラさんはハッとしてシルビア様を見つめていたけど、そのうちに唇を引き結んで俯いた。
「カレンデュラさん、常若の国って……?」
「じっ……自分で調べなさいっ!」
怒らせちゃったかな……でも、カレンデュラさんの声は柔らかくて、なんだか嬉しそうなような……?
「……ところで、ロシータ」
「んーなんだー??」
シルビア様はロシータちゃんの姿を、まじまじと見つめている。
「さっきから気になっていたけど、とても可愛い服を着ているね……」
「えへん! かれんでゅらが、つくってくれたんだぞー!」
「えっ! カレンデュラさんがっ⁉」
ロシータちゃんがチェリーちゃんを抱っこしたまま、嬉しそうに一回転する。
フリルたっぷりのエプロンドレスは、まるでロシータちゃんの為にあつらえたように似合っていた。
すごく可愛い服を着ていると思ってたけど、まさかカレンデュラさんが着せてくれたなんて思わなかったわ。
「アンタが素っ裸だったからよ!」
眉をひそめたカレンデュラさんが、つっけんどんに答えた。
「ふーん……精霊力で織った、というわけか……」
ロシータちゃんの服を触ってよく調べていたシルビア様の目が、キラリと光った様な気がした。
不穏な空気を感じたのか、カレンデュラさんが無意識に一歩後退する。
「君、これから少し忙しくなるけど、いいかい?」
「え……?」
シルビア様の言葉に、カレンデュラさんの顔が引きつった。