第74話 取り戻した笑顔
(もう、戦わなくてもいいのね……)
戦いが終わった森の中は、平穏な空気に包まれていた。
虫たちの声や、そよ風に揺れる葉擦れの音が、私の心を穏やかにしてくれる。
ロシータちゃんがシルビア様にしがみつき飛び跳ねる。
「しるびー、ろしーた、ちぇりーにあいたいぞー! ちぇりーだしてー!」
シルビア様は苦笑しながら、異空間収納を展開する。
一瞬、空間が透明に歪み、そこから人化したチェリーちゃんとお婆さんが姿を現した。
フィ―ちゃんと私で眠ったままのお婆さんを引き受け、ロシータちゃんがシルビア様からいそいそとチェリーちゃんを受け取る。
チェリーちゃんもまだすやすやと眠っていた。
「ちぇりー、おかえりー!」
「すぴー」
ロシータちゃんがチェリーちゃんを、真新しいエプロンドレスの大きな胸ポケットに入れる。
いつの間にか、ロシータちゃんの服装が、大きなポケットのついた赤と白のエプロンドレスに変わっていた。
(ロシータちゃんによく似合っているけど……どうしたのかしら?)
「いいこにしてたなー、ちぇりー」
ロシータちゃんが、涎を垂らしながら眠っているチェリーちゃんの頬に、優しく口づけた。
愛おしそうにチェリーちゃんを抱きしめたり、その頭を優しく撫でたり……
(本当に成長したなぁ……)
私も微笑ましくなり、ロシータちゃんの服装の変化など気にならなくなってしまった。
「……ルー様、痛みますか?」
危機が去って緊張の解けたカレンデュラさんがブルーベルさんに寄り添う。
フィ―ちゃんの無属性の魔法石で毒は抜けたけど、ブルーベルさんはまだ完全に回復してないみたいだった。
「カレンデュラ、この方を連れて来た場所までお送りしてきなさい」
シルビア様が、未だに眠り続けるワラビー獣人のお婆さんの肩を抱く。
「私たちは診療所に先に戻っている。羽がある時みたいに強大な精霊力は使えないけど、ある程度の精霊力は使えるようにしてあるからね」
「……わかったわ……」
カレンデュラさんはシルビア様の言葉に素直に頷き、お婆さんを抱き上げる。
シルビア様が二人の精霊の羽を封印しているし、カレンデュラさんはダークちゃんに隷属されているのでもう逆らう気はないのかもしれない。
行く前に、少しだけ心配そうに、痛みに耐えるブルーベルさんを一瞥した。
「別に、悪いようにはしないよ。早く帰っておいで」
「わっ……わかってるわよ……! ……シルビア……様……」
「私のことはシルビアと呼ぶといい。もう仲間になったのだから」
シルビア様の言葉にカレンデュラさんが目を大きく見開いた。
顔を赤くして頷くと、お婆さんを抱きかかえて森の出口へと駆けていく。
カレンデュラさんがいない今、診療所に戻るには、誰かがブルーベルさんを運ばなければいけない。
私に男性一人が抱えられるかはわからないけれど、どうにかしなくっちゃ。
「じゃあ、私がブルーベルさんを……」
「……ユミィ、待って?」
しゃがみ込んでブルーベルさんに肩を貸そうとするのをシルビア様に止められる。
シルビア様がブルーベルさんの前に異空間収納を展開する。
「ブルーベル、一緒に診療所に戻るよ。異空間収納に入ってくれ」
ブルーベルさんが了承したように目を閉じる。
透明な空間が音も無くブルーベルさんを吸い込んでいった。
そうか、考えてみれば異空間収納があったんだったわ……
私達ではブルーベルさんを支えるのは難しいから、シルビア様がこの魔法を使えて本当によかった。
「さぁ、私達も、診療所に戻ろう」
「おー!」
大きな声で返事をしたロシータちゃんが、チェリーちゃんが眠っているのを思い出して、慌てて口を塞ぐ。
「ちぇりーねんねしてるから、しーっな……みんな……!」
「……ボクは何も言ってないぞ……っ」
ダークちゃんがため息を吐き、フィ―ちゃんと私が目を合わせて笑う。
(ああ……日常が、戻ってきたのね……)
そのことが何よりも嬉しかった。
ふいに、小さな手が私の手を掴んだ。
「ねぇ……ユミィ……私をおんぶ、して?」
シルビア様が上目遣いでおねだりしてくる。
透き通った白い肌に黒炭のような髪の美少女のシルビア様はとても可愛い。
いつもよりも甘えた感じの声が、その可憐さを際立たせている。
戦いで頑張って疲れてしまったのかな……?
……普段のシルビア様より、甘えん坊なんじゃないかしら……?
『……ユミィが、毎日……ギュッとしてくれるなら……赦す……』
先程の言葉が頭の中に響いてきて、急に緊張が広がっていく。
「あっ……あの、シルビア様、診療所まで歩けませんか?」
「……歩けない……無理……」
シルビア様は目を潤ませ、本当に悲しそうにしている。
シュンとうなだれた顔を見てると、私の中の庇護欲がかきたてられた。
「……しっ……仕方ありませんね……」
しゃがんだ私の背中に、シルビア様が密着する。
「えへへへへ……ユミィのおんぶだー!」
シルビア様が私の後頭部の匂いをクンクンとかいでいるような気がする。
何だかとってもこそばゆかった。
「……シルビア様、やめてください。くすぐったいですよ」
「え――……良い匂いなのになぁ……」
良い匂いって言っても、使ってる石鹸は同じものだと思うのだけど……
シルビア様が自分の頭をグリグリと私の後頭部に押し付ける。
人前で過剰なスキンシップは居たたまれない……
「ごっ……ご主人様は……先ほどとは全く雰囲気が違いますね……」
ダークちゃんが、さっきの死神のようなシルビア様を思い出したのか、ブルリと身震いする。
「そうかな? いつもこんな感じだけどね」
シルビア様が首を傾げる。
私もダークちゃんが何故そこまで怯えるのかわからなくて、一緒に首を傾げた。
どんな姿をしていても、シルビア様はシルビア様だ。
彼女を取り巻く闇が途轍もなく濃くても、シルビア様の本質は全く変わらないと思う。
シルビア様の素顔を知っていれば、何も怖がる必要なんてないんじゃないかな?
「……ユミィさんの前でだけ、ですよ?」
私たちの様子を見て、フィ―ちゃんが微笑む。
「えっ……フィーちゃん、それって……」
フィ―ちゃんの言葉に、何故かとても恥ずかしくなる。
「うん。ユミィといると、こんな感じだよ!」
追い打ちをかけるようなシルビア様の言葉が、私の頬を熱くする。
「それじゃあ、まるで――……」
思わず口から零れてしまいそうな言葉を、慌てて引っ込める。
言葉にしたら思い上がってしまいそうで、図々しいにも程があるのに……
(……まるで、私だけに心を許してるみたいじゃない……)
元気に答えるシルビア様は、きっとまた太陽のような笑顔をしているんだろうなと思った。
「ウサ犬! ご主人様を丁重に扱えよ!」
「わぁっ⁉ は、はい!」
ダークちゃんの声で理性を取り戻せた……ありがとう、ダークちゃん……
***
「ありがとう、ユミィ! 最高の時間だったよ……」
「おっ、大げさですよ……」
森の出口に差し掛かると、シルビア様が私の背から飛び降りた。
ずっと頭の匂いを嗅がれていたのには困ったけれど、背中の温もりが無くなったことに、寂しさを感じている自分に少し驚く。
シルビア様が、両手を合わせて集中しながら呼吸を整えていく。
「うん……いけそうだ」
鼻から息を吸い込んで、口から吐く。
周囲の空気がキラキラと輝いて、シルビア様の体を魔素が取り巻いていく。
シルビア様の体の中に魔素が溜まっていくのがわかった。
魔素が溜まっていくと、段々とシルビア様の身体が元の大きさに戻って来る。
背が伸びて細い体が、少しずつ丸みを帯びていく。
白い肌はそのままに、漆黒の瞳は濡れた様に輝き薄い唇は桜色に色づく。
目の前で少女が大人になっていく世にも美しい光景に釘付けになってしまう。
ロシータちゃんたちが興味深そうにシルビア様に駆け寄った。
「しるびー、もどったー!」
「ご主人様、素晴らしいです!」
「よかったです……一安心ですね」
大人の姿に戻ったシルビア様の姿に、私はなんだか照れてしまう。
(だけど……この姿だと……気安く触れられないわね……)
シルビア様のすらりとした優雅な立ち姿から、改めて彼女が高貴な方なのだと認識する。
フィーちゃんがシルビア様の姿を見て、不思議そうに首を傾げていた。
「魔素自体はずいぶん前に溜まったのではと思っていたので、ホッとしました。元の姿に戻るのには、もっと必要なのかなと……」
「戻れたよ?」
シルビア様がしれっと答える。
「えっ、そうだったんですか⁉ な、なんで……!」
慌てる私とは対照的に、フィーちゃんは納得がいったようにうんうんと頷いた。
「だって、ユミィの背中を堪能したいでしょ?」
私の中の寂しさが、溶け去るように一瞬で消えていく。
シルビア様がいたずらっぽく微笑んだ。