第72話 森での戦い6
鳴り響いた銃声が、森中の空気を緊迫させている。
ブルーベルは木の蔦を振り払い、後ろを振り返る。
右腕には、何かが少し掠ったような傷跡ができていた。
一瞬、視線を感じて身を動かした事で、直撃せずに済んだようだ。
「……今のは惜しかったな。何の魔法かは知らぬが、掠っただけだ」
広場の後方の木陰から姿を現した人間と獣人の少女は、しっかりと手を繋いでいた。
「君は、右利きだったんだな。右手に腕輪をつけていたから、勘違いしたよ」
七歳くらいの人間の少女は、年齢に相応しくない大人びた話し方をする。
その手には白金色の見慣れない魔道具が握られていた。
「お前……ただの子供ではないな。……そうか、お前が時魔法師シルビアか」
「いかにも」
シルビアの言葉と同時に、周囲に時計花の甘い魔力の香りが漂った。
「……戦いは終わりだ、ブルーベル」
宣言したシルビアの声には、憐れみが含まれていた。
シルビア達に向かって歩き出したブルーベルが、怪訝な表情を見せる。
「何を……こっちにはシルフィード様が――」
その瞬間、ブルーベルの視界が反転する。
曇りがかった空を見上げて、ブルーベルは初めて自分が倒れた事に気がついた。
仰向けになるブルーベルの横を、シルビアとユミィが通り過ぎていく。
倒れていたシルフィードに駆け寄った二人は、彼女を抱き起こした。
「フィー……大丈夫かい?」
「フィーちゃん、しっかり……!」
「シルビアさん、ユミィさん……私は平気です。……その方は……?」
青い顔をしながらゆっくりと身を起こしたシルフィードが、倒れたままのブルーベルに目を向ける。
指一本動かせないブルーベルは、驚愕したように瞠目した。
「すまない。掠っただけだったから、即死を免れてしまったようだ。だが、あと半時間もしないうちに、彼は死ぬだろう」
異空間収納から取り出した回復薬をシルフィードに与えながら、シルビアが穏やかな声で告げた。
「な……何だと……? 貴様……な……にを……」
愕然としたブルーベルが視線をシルビアに向けるが、体は石になったように動かない。
「余計なことは喋らない方がいい。君に撃ち込んだのは、魔物から採取した毒と、土壌中に存在する菌を時魔法で掛け合わせた、自然界で最も強い毒だ。死にぎわの言葉は選ぶべきだ」
苦し気な表情をしたブルーベルが、やっとの思いで右手を動かし胸に当て、光魔法で自身を癒そうとする。
その様子をシルビアが冷たく見遣った。
「無駄だよ。毒が回るだけだ……やめなさい。これは光魔法では解毒できないように調合してある、厄介な毒なんだ。見たところ、君とカレンデュラは、無属性の魔法を持っていないんじゃないかい?」
「……どういう……こと……だ……⁉」
「持っていたらフィーの結界を容易く壊していただろうからね。この毒は、無属性でしか解毒できない」
シルビアの言葉にブルーベルが青ざめる。
無表情にシルビアはブルーベルを見つめた。
「君はフィーを殺そうとした……殺す必要なんてないのに。殺してから蘇生させて利用する、だって? 一体、何様なんだい?」
シルビアの淡々とした声音には、静かな怒りが込められていた。
「君たち妖精は、どれだけ半妖精や人間、獣人のことを馬鹿にしているんだろうね。傲慢な考えを持って相手を知ろうとしないから、“脆弱な人間”に負けるんだ。……人間は、この世界で最も卑劣で狡猾な生き物なんだよ」
ブルーベルの右半身が、焼けただれた様などす黒い色に変わっていく。
毒がブルーベルの全身に回り始めた。
「さようなら、ブルーベル……」
シルビアの別れの言葉と同時に、悲鳴が響く。
「やめて――!! お願い、やめて‼」
空から舞い降りて来たオレンジ色の髪の青年が、シルビアの前に立ちはだかった。
カレンデュラは倒れ込んだブルーベルを守るように手を広げ、乱れた髪も直さずシルビアに対峙する。
「……君たち、甘すぎるんじゃないかい? 人を殺す時は、自分も殺される覚悟くらいしておくべきだろう?」
シルビアが苦々しげに口を開く。
カレンデュラは恥を投げ捨て、シルビアの前に跪いた。
「お願い……お願いよ……ルー様を助けて……代わりにアタシを殺してちょうだい!」
「カレン……や……めろ……!」
ブルーベルがカレンデュラを止めようと声をかけるが、カレンデュラは動かない。
カレンデュラの首輪に気づいたシルビアが、一瞬目を眇める。
「……君、隷属しているね……やったのはダークかい?」
カレンデュラを追ってきたダークとロシータが、茂みから姿を現した。
「ご、ご主人様! 勝手な事をして、すみません!」
急に矢面に立たされたダークが、怯えたように項垂れる。
「ダークちゃんがっ……⁉」
ユミィは繋いでいるシルビアの手が強張り、離されたのに気づく。
ユミィから離れたシルビアは、落胆したようにため息を吐いた。
「ダーク、君には覚えておいてほしいんだが……こういった輩は戦いが終わったら早急に殺さなければいけないよ。選民思想のある敵は、生かしておいてもろくな事がない」
絹のような黒髪を揺らして、シルビアが立ち上がる。
森中の空気が、これまでにない程、陰鬱で重々しい気配にざわめいていた。
闇の魔素が渦巻き、シルビアの足元から全身を包み込んでいく。
シルビアの周囲に形成された闇の魔素は、死神の持つ鎌そのものの形をしている。
誰一人、声を出す事ができない程の威圧感――
あまりの禍々しさに怖気づいたダークが、身を震わせ後退する。
「私が、纏めて止めを刺そう」
怖ろしい程整った顔には、表情が全く無い。
その瞳は黄金色に輝いていた。
シルビアが妖精達に向かって足を踏み出した。
カレンデュラは息も忘れて、訪れた死を見つめている。
「君……彼と一緒に死になさい。それが本望なんだろう?」