第70話 森での戦い4
少女の無邪気な声が、森とカレンデュラの頭の中に朗々と響いた。
「子分、ですって……?」
ロシータの宣言に唖然としたカレンデュラが問い返すと、ロシータは「おうっ!」と言って満面の笑みを見せる。
何が起こるか待ち遠しいといった表情からは、余裕さえ感じられる。
目を爛々と輝かせ、今にも歌い出しそうなほどに楽し気だ。
ロシータの一挙一動は、カレンデュラの神経を逆なでし、不快感を抱かせる。
目の前の少女は、戦いというものをわかっていない。
相手の力量を理解しているのなら、“おまえよりつよい”などという言葉は出てこない。
おそらくこの少女は、平和そのものの世界で生きてきたのだ――と。
少女とは相反して余裕を取り戻せない事に、カレンデュラは自分でも驚いた。
「……頭にくるわね、このガキ……いいわ。かかってきなさい。後悔させてやるから‼」
カレンデュラが身構えた瞬間、自身の左後方から灼熱の火球が飛び込んでくる。
「なっ……⁉」
間一髪でかわしたカレンデュラの髪の一房が焦げ付いている。
(しまった、他に仲間が――⁉)
「わーい! ろしーた、しょうぶ、ひさしぶりだぞー!」
前方に居たはずのロシータが、いつの間にかカレンデュラの後方へと回り込んでいた。
「ちょ、ちょ、ちょっと! ま、待ちなさいよ! ど、どうなってるのよ、アンタの速さ!」
「ろしーた、ゆみぃの、ち、なめたらねー。なんか、はやく、なったんだぞ!」
「はあっ⁉」
言っている意味がよくわからない。
ゆみぃ、とは一体誰の事なのか。
ロシータは再び木の側面に手のひらで張り付くと、凄まじいスピードで頂上へと登っていく。
先程結界を打ち破った攻撃は、まぐれではなかった。
それは、紛れもなく少女から放たれたもので――
焦げ付いた髪に触れながら、カレンデュラは青ざめる。
一瞬戸惑っている間に、木の天辺に辿り着いたロシータが、誇らし気にカレンデュラを見下ろしていた。
(アイツ……またっ――!)
少女が木の上から攻撃を仕掛けることに気づいた時には、四方はもちろん、羽を持つカレンデュラにとって有利な上空への逃げ道までもが塞がれていた。
「じ、冗談じゃないわよっ! あんな上からの攻撃、身が持たないわよっ!」
普段、上空から敵を見下ろしているカレンデュラにとって、頭上から攻撃を受けるのは、最も苦手とする事だった。
額に汗を浮かべながら、隠していた背中の羽を展開させる。
上位の妖精は、精霊力の塊である羽を意図的に隠すことができた。
薄紅色の羽を広げ宙に舞い上がると、カレンデュラはロシータがいる頂上を目指した。
「いっくぞー!!!」
ロシータは遊び相手に呼びかけるように叫ぶと、大きく開けた口から熱球の塊を勢いよく吐き出した。
自身に高速で向かってくる火球を、カレンデュラは必死の思いで避けていく。
やっとのことで巨木の頂上へと辿り着いた時には、カレンデュラの体裁はボロボロだった。
「このっ! トカゲッ!! 降りなさいよっ!!」
息を切らしたカレンデュラが、ロシータの紅い髪を掴む。
「わーっ⁉ つかまっちゃったぞー!」
カレンデュラによって地上目掛けて引きずり下ろされるロシータは、鬼ごっこでもしているかのように楽し気だった。
「癪に障るっ……! このまま……地面まで行きなさいっ……!」
ロシータを真っ逆さまに落として地面へ叩きつけ、自身は羽で空へと舞い上がれば決着が着く――
カレンデュラが勝利を思い描いた瞬間、ロシータが空中で身を反転させた。
「!」
髪を掴むカレンデュラの手を、ロシータはいつの間にかすり抜けていた。
カレンデュラの鍛え抜かれた体躯から繰り出す力を、ロシータが跳ね除けたのだ。
空中で逆さまになったロシータとカレンデュラの視線がぶつかる。
ロシータの大きな瞳の紅が、濃さを増して輝く。
カレンデュラはその瞳から目が離せない。
(魔力だけ……じゃない……)
これは……
一点の曇りもない、真紅の精霊力――
「おまえ、なかなかの、うでまえだな! ろしーた、たのしい……! ぱわー、ぜんりょくで、だすぞー!」
満足気に微笑んだ少女の口角が、左右へと大きく伸びていく。
耳まで裂けてしまいそうなほどに広がった口が、これ以上無い程に大きく開かれた。
「なっ……⁉」
反射的に構えたカレンデュラが、突如生み出された巨大な熱に飲み込まれた。
ロシータの口から吐き出された火球を真正面から浴びたカレンデュラは、衝撃で吹き飛ばされる。
バランスを崩して地上に降り立ったカレンデュラの顔には、驚愕が浮かんでいた。
「……くっ……! ……アンタ……火の上位精霊……火蜥蜴なのっ⁉」
全身が叩きつけられたように痛み、カレンデュラの足元をふらつかせる。
一瞬、防御の体勢をとっていなかったら、どうなっていたことだろう。
呼吸を乱すカレンデュラとは対照的に、傷一つ無いロシータは空中で一回転し、地面へと降り立つ。
「おぅ! ろしーたのままうえは、“さらまんだー”で、ぱぱうえは、“きゅーけつき”だから、ろしーたは“ちゅぱかぶら”? なんだぞ!」
自分でもよくわかっていないようなロシータの様子に、カレンデュラは腹立たしさを覚える。
目の前の少女が、最高の上位精霊と、魔物の中でも強い力を持つ吸血鬼の純血種だったとは……
(少しも侮っていい相手じゃなかったんだわ……)
「なっ……! なによそれっ! 反則じゃないのっ! 上位精霊と妖精じゃ、精霊力の力の量なんて比べ物にならないじゃないのっ! 大体、何で急に精霊力が上がるのよっ⁉」
後悔を振り払うように叫んでも、気が晴れる事はなかった。
冷静さを欠いている事は自身にもわかったが、声を上げずにはいられない。
「あのねー、ろしーた。しるびーにいわれたから、せいれーりょく、ず――っと、おさえてたんだぞ!」
得意げに胸を張ったロシータの言葉が、カレンデュラに追い打ちをかける。
「卑怯よ! アンタ!」
「……ひきょうー?」
ロシータは思いがけない言葉を投げつけられ、首を傾げた。
「そうよ! ズルがしこいトカゲめっ!」
「……ずるっこはなー、わるいこ、なんだぞ――! ろしーた、ずるっこ、じゃなーい――――っ‼」
ロシータが泣きそうな顔で反論する。
「いいえ! 卑怯よ! 生まれながらにそれだけの力を持ってるなんて、やってられないわ!」
カレンデュラがロシータの腕をつかんで組み伏せた。
「だけど、アンタは純粋な精霊じゃない! アタシはアンタに勝つわ! アタシの方が、アンタよりも修羅場をくぐり抜けてきたのよ!!」
カレンデュラの身体が、自らが起こした火で炎上する。
炎は掴みかかっているロシータの身をも包み込んでいく。
「ありゃりゃっ⁉ ろしーたも、ひ、ぼーぼー!」
「ここからはね、耐火性での勝負よ! 私はもとから耐火性を持っているし、私の身体強化の腕輪には、ブルーベル様が付与してくれた水の精霊力がある! だから、自分を守りながら、最大の炎で攻撃ができるのよ!」
勢いを増した炎の熱は、ロシータの全身を溶解させるように取り巻く。
周囲の草木が熱に耐えられずに燃えだし、森の中に火が広がっていく。
「アンタは半分魔物だから、火の攻撃力は優れていても、耐火性なんてたかが知れてるでしょう?」
「……」
「ねぇ、そうよね? そうでしょ? ……そうだって言いなさいよ!!」
ロシータはキョトンとしてカレンデュラを見た。
「ろしーた、ぜんぜんあつくないぞ! これじゃ、けっちゃくつかないぞ」
「何ですって⁈」
「ああっ‼」
ロシータが絶望的な声を出した。
「やっぱり、効いてるじゃないのっ!」
カレンデュラが安堵したのも束の間、
「ろしーたの、およーふく、もえてるぞー!!」
ロシータは涙を溜めながら、消し炭から塵になっていくワンピースをつまんでいる。
カレンデュラの精霊力で織った服とは違い、あっという間に燃え尽きた服を惜しそうにしていた。
戦いの最中だというのに、その目にはカレンデュラが全く映っていない。
「こ、このトカゲッ‼ 服と一緒にアンタも燃えなさいっ!!」
カレンデュラが炎の勢いを上げる。しかし、ロシータの精霊力は炎の中で力を増している。
メラメラと燃える炎の塊の中で、互いに燃えながら何一つ纏わぬ少女の瞳がカレンデュラを捕らえた。
「しるびーからもらったのに……。おはないろの、およーふく……」
「こ、これは……っ⁉」
いつの間にかカレンデュラの炎は、ロシータの精霊力の炎に包みこまれていた。
カレンデュラの最高の精霊力を持ってして漸く到達できる溶岩の温度。
その温度を、軽く上回ってしまうほどの精霊力――
「こーさん、しないのか? ふぃーは、つれてっちゃだめだぞ!」
目の前の少女は、その炎の中で心地よさそうに息を吐く。
「するわけない……じゃないっ……!」
上昇する熱気に抗いながら、カレンデュラが苦し気に言い返す。
ロシータの紅の瞳に、より強い力が宿り、カレンデュラを見つめる。
まるで、溶岩そのもののような、循環する血の赤――
カレンデュラの指先がロシータの精霊力に耐えきれずに発火する。
――やられる――
いくら自身に耐火性があっても、水の精霊力の加護を受けていても、溶岩の中に長時間飛び込んだのではカレンデュラとて助からない。
冷静さを欠いて飛びのいたカレンデュラは、後ろに忍び寄る影に気づかなかった。
周囲の燃え尽き灰になった木々の影が一瞬濃くなり、その影の中から巻き角の黒いローブ姿の少女が音も無く現れる。
中性的な少女の瞳が黄金色に輝いた。
「トカゲッ! これで決着だ!!」
少女が手から放った闇魔法が二人を取り巻く炎に吸収されていく。
闇を飲み込んだ炎は黒く濁り、融合して、荒れ狂う闇の炎となってカレンデュラの身体を焼いていく。
「ば……馬鹿なっ……地獄の業火なんてっ……!」
真っ黒な炎が、呻きながら倒れ込むカレンデュラを包んでいた。
カレンデュラが左手につけた青色の腕輪が、音を立てて砕け散った。