第69話 森での戦い3
静寂に包まれた森の中、聞こえてくる虫の声が、ずいぶんと大きい音のようにカレンデュラの耳に響く。
森に住まう生き物達は、不穏な空気を感じたのか、時が過ぎるのをただ待っているかのように鳴りを潜めている。
時折、カレンデュラの手の平よりも小さな精霊が、無鉄砲にも行く手を阻もうとすることを除けば、順調に進んでいた……はずだったのに――
(おかしい……)
森の中を駆け巡りながら、カレンデュラは違和感を覚えていた。
(さっきから、同じところを回っている……?)
探していたシルフィードは時魔法師によって匿われている可能性が高い。
そう考え、ブルーベルと共に、時魔法師に関わった獣人たちから、森の情報を求めた。
時魔法師の根城である森は、迷いの魔術が施されている――
出来る限り穏便な方法で話を求めたのに、怯えた獣人は声を震わせて応えるのがやっとだった。
害意のある者を侵入させない森に、迷わず侵入する為に、鍵となる獣人を攫ってきた。
時を操る魔法は珍しさこそあれど、何も恐れることなどないと感じていたが――
(方向感覚を狂わせる魔術が、強すぎるんだわ……)
時と密接に結びついた空間魔法の応用がこの森そのものだろう。
妖精国でも、これだけの魔術を使いこなせる者はそうはいないと、実際の森の規模に驚く。
それに加え、森の中には紫色と紅色の魔法石が随所に散らばっていた。
あの人間の子や獣人たちは、シルフィードを置いて逃げたわけではないのかもしれない。
シルフィードのものと思われる気配は、不規則な動きをして高速で移動していた。
すぐに見つけられると思っていた少女たちの気配も、魔法石によって察知しにくくなっていた。
カレンデュラは少し焦りを覚え始める。
(だとしたら……厄介ね……)
ここに来て、初めて相手の能力の高さに気づく。
カレンデュラは不要と思っていた結界魔法を自身に施す。
オレンジ色がかった透明な光の膜がカレンデュラを包みこんだ。
「……うふふっ、ばっちり! 態は結界に表れるって本当ね。今日も素敵な、“金盞花の淑女”よ♡」
これで、並大抵の攻撃魔法は弾かれ、カレンデュラには通用しなくなる。
強力な結界を破るには、それに拮抗した魔法攻撃をぶつけるか、より強力な無属性の魔法を使うしかない。
今、森の中でこの結界を解除できるほどの魔法を放てるのは、ブルーベルくらいだろう。
結界が破られる可能性は皆無ではないが、限り無く低いものだった。
しかし、それができる者があの中にいたとしても、カレンデュラには負けるはずはないという自信があった。
(アタシには、これがあるもの……)
思わず触れた左手首の腕輪には、ブルーベルの水の精霊力が付与されていた。
ブルーベルもまた、カレンデュラが火の精霊力を付与した腕輪を身に着けている。
火の妖精であるカレンデュラ自身の精霊力も、妖精国の中では相当に強い方だ。
その炎の精霊力は、短時間ならば溶岩の温度にも匹敵する。
この力で、これまで何人もの敵を戦場で火の海に落としてきた。
カレンデュラたち妖精にとって人間は、懲りもせず妖精国に戦争をしかける厄介な存在だ。
無知で傲慢な、身の程知らずの人間ども――
そんな人間との間に子供がいるかもしれないと妖精王から聞いた時、カレンデュラはひどく驚いたものだった。
だが、当の王は、人間の姫を王家に受け入れようとしているわけではなかった。
王に問えば、シルフィードは人間の国との和平の為に必要な存在であると言われた。
王家を継ぐ者は妖精王と王妃の間に生まれた王女のみ。
シルフィードの異母姉にあたる現王女が、正統な後継者なのだ。
お可哀そうなお姫様……
人間の世界に受け入れられなかった少女は、妖精国でも受け入れられる事はないのだ。
シルフィードが虐げられていた事を知ったカレンデュラは、気づけば村を燃やしていた。
その事をシルフィードに咎められたのは予想外だったが、あと数年もすれば、シルフィード自身も人間達の愚昧さに嫌気が差すだろう。
(所詮、愚かな人間が作り出した森だわ)
落ち着きを取り戻し、笑みを漏らすカレンデュラの視界の端に、鮮やかな紅が見え隠れする。
何かしら……
近づいてきたシルフィードの気配を感じて振り返るが、本人でない事だけが、その紅い影から察せられた。
木から木へ飛び移る影は、光の加減で赤から朱、紅から血の色へと変化して見え、踊り狂う炎のような激しさがあった。
(獣人……?)
この驚異的な身体能力は、人間には不可能な動きを繰り出している。
だからといって獣人でも、木から木へ、いとも容易く飛び移り森を駆け巡る者はそういるものではない。
紅い影が、息つく間もなく木の表面を這い上がり、あっという間に頂点へと辿り着いた。
100メールテ(メートル)もの樹木の上から、凄まじい大きさと速度の熱球がカレンデュラ目掛けて繰り出される。
「くっ!!」
直撃した熱の塊を弾き飛ばす。
カレンデュラの精霊力で織られた軍服が焦げ付いている。
(私の結界が……破られた?)
「拮抗した相手の魔力量に合わせれば、結界を無効化することはできるけれど……」
それには同等の魔力、精霊力を同時に操作し微調整することが必要になってくる。
(それを……あんな不安定な場所から……? こちらの力を一瞬で見抜いて……?)
そんなわけない。
そんなことできるのは、余程戦いに熟練した者だけだ。
額に浮かんだ冷や汗から、自分が恐怖を感じているのだとわかった。
近年に無い感覚に、カレンデュラは驚きのあまり、怒りに任せて大声をあげた。
「ちょっと!! 熱いじゃないのっ!」
身に纏う精霊力で織った軍服には、火の耐性が施されているのに。
だからこそ、結界が破られたうえにそれが燃やされるなんて、そして熱さを感じることすら通常ならあり得ない。
木の頂点にいた紅が、カレンデュラの叫びで木の表面を這うように降りてくる。
地面に居るカレンデュラの方に、その姿が近づいてくるに従って、カレンデュラの目が驚愕で見開かれる。
「ありゃ。ごめんなー、あつかったかー?」
「……アンタ……何者よ……?」
「ろしーた、おまえより、せんぱいだぞ!」
目の前に現れたのは、どう見ても人間にしか見えない、紅色の髪をした少女だった。
シルフィードの魔法石を大量に持っているのか、少女とシルフィードの気配が重なっている。
黄色のワンピースを纏った五歳くらいの少女は、腰に手を当て、こちらを注意するように人差し指を立てた。
「おまえ、ふぃー、つれてって、どーする? ふぃー、ぷんぷんだぞ! おまえ、わるいこ、か?」
長い舌を出しながら抗議する少女は、こちらの誘導に成功したのが嬉しかったのか、どこか誇らし気だった。
まじまじと少女を観察したカレンデュラは、状況を振り返り、少女が人間ではなく俊敏さに特化した獣人なのだと理解する。
(結界が破られたのは、火球の速さが生み出した、偶然の結果ね……)
腑に落ちた事で冷静さを取り戻し、目の前の幼い少女に一瞬でも恐怖を抱いた事を恥じ入って、カレンデュラが息を吐く。
「……べつに、悪かないわよ。私たちは仕事をしてるだけよ。仕事……オコチャマにわかるかしら?」
「ろしーた、こどもじゃないぞ! ちぇりーのままだし、おねえさんだぞ!」
「はいはい。アタシはね、アンタなんかにかまってる暇はないのよ。オコチャマは大人に守られてなさいな」
カレンデュラがシッシと手を振ると、ロシータの顔が見る間に真っ赤になった。
「むっき――! ろしーた、おねえさんなのに! おねえさんだから……ろしーたは、けっかい、つかわないぞ!」
自尊心を傷つけられたらしい少女は、地団駄を踏みながら自らの結界魔法を解いてしまう。
戦いの最中のあり得ない行動に、相手の幼稚さが見えてカレンデュラは呆れ返った。
「そこをどきなさい。さっさとシルフィード様を出さないと殺すわよ!」
「ろしーた、ころされないぞ! ろしーた、おまえより、つよい!」
紅玉のような瞳を輝かせたロシータが、晴れ晴れとした顔で、楽しそうにカレンデュラを見つめる。
「ろしーたと、しょうぶだ! おまえ、まけたら、ろしーたの、“こぶん”になれ!」
その瞳に恐怖の色が全くないことが、カレンデュラをひどく苛立たせた。