第66話 妖精たち
招かれざる客は、診療所の屋根の上から私達を見下ろしていた。
目視で確認できる人数は二人。
波打つオレンジ色の髪を一つに束ねた体格のいい男性は、長い脚を組んで診療所の屋根に腰掛けている。
その背後にいる水色の髪の細身の男性は、中央から分かれた長い前髪の隙間から、怜悧な瞳を覗かせていた。
(この人達、怖い――)
本能が鳴らす警鐘が、ただただ怯える子供のように、私の身を竦ませた。
二人の侵入者から高い魔力の波動を感じて、私の額に冷たい汗が浮かぶ。
どちらも透き通るような白い肌をしていて、端正な顔に尖った耳が特徴的だった。
深緑色の軍服と紺色の外套を身につけた彼らの背中には――
「羽……? ……妖……精……?」
目を瞠ったフィーちゃんの声が、か細く震える。
二人の男性の背中には、フィ―ちゃんやロシータちゃんからも感じる精霊力が、透き通った羽のような形をして存在していた。
「あら、やっと現れたわね。待ちくたびれちゃったわ」
先に口を開いたのは、屋根に腰掛けているオレンジ色の髪をした男性の方だった。
顔の側面に垂らした、細く丁寧に編み込んだ髪の束を人差し指で弄びながら、ため息を吐く。
「君たちは、何者だい?」
私達を庇うように前に出たシルビア様が問いかけた。
「見てわからない? 妖精よ。よ・う・せ・い♡ 妖精、会ったことあるかしら?」
オレンジ色の髪の男性が、口付けた指先をシルビア様に投げかけた。
「あるよ。ここは色んな種族が来るからね。だけど、無断で侵入されたのは久しぶりかな……一体、何が目的だい?」
シルビア様は怯む素振りなど微塵も見せずに、真っ向から返答する。
彼らへの不快感が含まれているのだろうけど、普段と変わらない平然とした態度を保っていた。
侵入者の二人は、シルビア様の存在を確認すると、一瞬、目を眇める。
背は縮んでも、シルビア様には不思議な凄味がある。
今まで色々な修羅場をくぐり抜けて来たのかな……
「アタシたち、妖精国の使者ですの。アタシはカレンデュラ。こちらの方はブルーベル様。今日は妖精国のお姫様をお迎えに上がりましたわ。お姫様の気配を探したり、森に入る方法を考えたりするの、結構大変だったんですからね」
「カレンデュラ、軽口を叩くな……シルフィード様、我らとともに妖精国に参りましょう」
怜悧な男の人が目を向けているのは、間違いなくフィ―ちゃんだった。
「……姫……? 一体、何のことですか?」
怪訝な顔でフィ―ちゃんが尋ねる。
カレンデュラと名乗った妖精と、ブルーベル様と呼ばれた妖精が互いに顔を見合わせる。
「ふっ」と失笑を漏らしたのはブルーベルの方だった。
「ご存知なかったのですね、お可哀そうに。貴女は第13第目妖精国国王の娘、シルフィード様であらせられます」
言葉は丁寧だけど、どことなく冷ややかで見下したような響きがあった。
「……私が妖精王の娘だったというのは驚きですが、だとしても妖精国に行こうとは思いません。父は母を捨てたんですよ……!」
フィ―ちゃんもブルーベルから侮蔑的な印象を受けたみたいで、冷静な表情を崩さない。
「それに、おかしいです……。シルフィードという名前は母がつけてくれたもの。私が生まれたことすら知らない父が、その名を知っているはずはありません。それなのに、どうして……?」
フィ―ちゃんが怪訝そうに問いかける。
「貴女様がお生まれになっているのか、そもそも存在するのか……。王にも、もちろん我々にも確信はありませんでした。それ故、ここに来る前に、シルフィード様の故郷を訪れたのですが……妖精国の姫が育つには、あまりにも相応しくない貧相な村でしたね」
ブルーベルの言葉を聞いたカレンデュラがクスクス笑う。
「卑しい村人に聞き出したら、まさか貴女様が村から逃げ出したというではありませんか。魔力を行使した跡を追跡して、漸くこの場所を見つけることができましたよ」
ブルーベルは冷酷な笑みを浮かべている。
「貴女様に風の精霊の名前がつけられていたと聞いた時は、無知な人間でも知恵が働く時があるのだと感心致しましたわ。けれども、貴女様を留めおけなかったあの村は焼き払っておきましたから、ご安心なさいませ? 姫様♡」
カレンデュラがフィ―ちゃんに笑いかける。
「焼き払った……って……村の人をみんな殺したんですかっ⁉」
フィ―ちゃんの顔が驚きの表情に変わる。
「そんなっ……! なんで、そんなことを……!」
いくらフィ―ちゃんを差別していた所だったからって、焼き払うなんて残酷すぎる。
カレンデュラがため息を吐いた。
「あら、そんな面倒なことはしませんわ。姫様を虐げていた村人達の家に火を放ったら、自然と燃え広がっただけですわよ? あいにく死人は出なかったので、妖精国の姫を虐げた罰としては軽すぎますが、問題ありませんわよね?」
「カレンデュラは詰めが甘すぎる。やるのなら徹底的に殲滅せねば、愚かな人間とて哀れではないか」
「あら、そうですわね。以後気を付けますわ♡」
カレンデュラは朗らかにブルーベルを見上げる。
親愛のこもった眼差しは、たった今残酷な話をしていたとは到底思えない。
「あっ……あなたたちは……」
フィーちゃんの細い肩が小刻みに震えだした。
それは恐怖から来るものなんかではなくて――
「……あなたたちは……人の命を何だと思っているのですか……」
抑揚の無いフィ―ちゃんの静かな声には、怒気が含まれていた。
普段は穏やかな瞳が、今は突き刺すような鋭い眼光で侵入者たちを見据えている。
一瞬、呆気に取られたように固まったカレンデュラとブルーベルが、揃って笑い出す。
「ああ……そういえば、人にも命があったのでしたね。虫ケラと同じように思っていたので、考えたことはありませんでしたよ」
フィ―ちゃんの目に強い怒りが浮かぶと、森中の木々が、急に強くなった風にざわめき始めた。
「……私は、あなたが虫ケラ呼ばわりした、人間の血を引いていますが?」
「あら、そうでしたわね。まぁ、貴女様は、我々妖精国のために……役に立ってくださればいいのですわ」
「カレンデュラ、喋りすぎだ」
「あら、ごめん遊ばせ?」
妖精たちは憐れなものを見るようにフィ―ちゃんを見ている。
「……つまり、君たちは、フィ―を利用する為に連れに来たってことだね? 私がそれを許すとでも?」
シルビア様の静かな声は、怒気も含んでいないのに空気を張り詰めさせた。
カレンデュラの背後にいたブルーベルが、前へ出る。
それまでの乏しかった表情から一転して、不快そうな目でシルビア様を睨んだ。
「時魔法師の子どもか? 脆弱な人間の子が何を言うかと思えば。少々魔法が使えるからといって調子に乗るのではない。妖精王の血を引く高貴なシルフィード様に近寄るな」
「さ、シルフィード様。早く行きましょ?」
カレンデュラがフィ―ちゃんに微笑みかけた。
「――行きません……」
「なぁに?」
「貴方たちについていくなんて、絶対に嫌です‼」
フィ―ちゃんの語気が強くなる。
こんなに感情をあらわにしたフィ―ちゃんを見るのは始めてだ。
森中に緊張が走り、沈黙が生まれた。
向こうが次にどんな行動に出るのか、全く分からない。
自分が息を呑む音だけが、やけに大きく聞こえる。
……その静寂を破ったのは――
「あらあら……ふふっ。うふふふふ……!」
まるで玩具を見つけた子供のような声だった。
こみ上げる愉快な感情を抑えることができないカレンデュラが、よく通る笑い声を響かせる。
「もうっ、手のかかるお姫様なんだから♡」
カレンデュラが人差し指をフィ―ちゃんに向ける。
フィ―ちゃんの体が結界ごと、徐々に地面から浮き上がる。
浮遊の魔法でフィ―ちゃんを浮き上がらせようとしてるんだ!
「……させません……っ!」
フィ―ちゃんの瞳に強い力が宿って、一瞬ターコイズグリーンが濃くなる。
その瞬間、フィ―ちゃんの結界の周りに風が起こって、カレンデュラの魔力をかき消した。
ゆっくりと地面に降り立ったフィーちゃんが、カレンデュラの浮遊の魔法を無効化したのが感じられた。
一連の流れを眺めていたカレンデュラの顔から表情が消える。
「ふーん……そう。……なら、これではどう?」
カレンデュラが右手を母屋に向ける。
右手から放たれた火炎の精霊力が屋敷を一瞬で炎上させた。
「なっ⁉ なんてことを!」
驚愕する私の服をシルビア様が引っ張った。
「ユミィ、フィ―、驚いている暇はない! 森に逃げ込むんだ!」
私たちは一目散に森の中に逃げ込む。
後ろから妖精たちの声が追いかけてくる。
「追いかけっこですか? よろしい。狩りは好きなのでね」
「アタシも♡」
酷薄な笑い声が森の中に響いた。
「十分間だけあげましょう。それを過ぎて投降しない場合、皆殺しにします」