第65話 忍び寄る危機
風が通り抜ける森は、雨に濡れた緑がキラキラと輝いていた。
沢山の珍しい植物が、小道を駆け回る私の目を楽しませてくれる。
「毒があるものも多いから、不用意に触れてはいけないよ」と小さくなったシルビア様が背中にのったまま教えてくれる。
鮮やかな色をした茸や、甘い匂いのする食虫植物。
後方から追いかけてくるロシータちゃんから隠れながら屋敷を目指す。
「ふふっ。楽しいねぇ、ユミィ」
肩に置かれた小さな手の温もりに愛しさがこみ上げると、シルビア様が私の背に顔をつけて呟く。
「はい! シルビア様!」
私の耳や尻尾は自分でも驚くくらい、休む間もなく動いていた。
喜びを表現する様に動くそれらを見て、シルビア様が「うふふ」と笑う。
小さいシルビア様の笑顔を見ていると、心の底から喜びがこみ上げてくる。
嬉しくて嬉しくて、このままずっとシルビア様と一緒に笑い合っていたいと思う。
(どうしたら、シルビア様の笑顔をもっと見られるかな?)
小さくなったシルビア様といると、私の心の中の何かが満たされていく。
何故だかとても懐かしい気持ちになって、この笑顔を守りたいと強く思った。
どうして、こんなに幸福なんだろう?
昔、こんな風にして、時間を忘れて遊んだような気がするわ……
思い出せない記憶の中で、きゃらきゃらと響く笑い声が、シルビア様の鈴を鳴らしたような声と重なっていく。
もしかして……シルビア様と私、昔……会ったことがあるのかな?
シルビア様の心地よい体温を背中に感じながら、考えを巡らせてみるけれど、何も思い出すことができなかった。
だけど遠い昔、どこかで聞いたことがあるような――……
――その時、リーンと張りつめた耳鳴りのような音が、空気を振動させ森全体に重く響き渡った。
「えっ……これは――……⁉」
私の思考は中断され、一瞬で森の中に緊張感が走る。
「……警戒の魔術が発動した。誰か森の中に入ったらしい……招かれざる者のようだ」
シルビア様の抑えた声から、彼女の緊張が伝わってくる。
「……招かれざる者?」
それを聞いて、以前にシルビア様を傷つけた獣人たちのことを思い出した。
あんな人たちがまた来たってことだろうか……?
だけど、あの人たちはシルビア様に記憶を消されたから、今来たのは別の人たちのはずだ。
「で、でも、シルビア様、一度診察した人や、病気や怪我をしてる人じゃないと森には入れないんじゃ……?」
記憶を辿りながら、以前シルビア様が教えてくれたことを思い返してみる。
「うん、そうなんだけど、例外ということがあってね……ユミィ……そこを左に曲がってくれないか?」
「は……はい」
シルビア様に言われた通りに森の小道を左に曲がると、大きなブナの木の下に、ワラビーの獣人のお婆さんが倒れていた。
「お婆さんっ⁉ どうして、こんなところにっ……!」
焦って声を上げる私の背中から下りたシルビア様が、「やはりな……」と呟き、お婆さんに駆け寄る。
「この人、前にシルビア様が診察したお婆さんじゃ……?」
シルビア様がお婆さんの上に手をかざすと、キラキラした白い光がお婆さんを包み込んだ。
ワラビー獣人のお婆さんは、深い眠りについているかのように動かない。
「鑑定してみたけど怪我はないようだ……魔法で眠らされているみたいだね……この森に入る鍵として連れて来られただけだろう……」
シルビア様が診察した患者さんは、再び森の中に迷わずに出入りできるようになる。
悪意のある人が、その患者さんを利用し、一緒に森の中に入ってきたら――
シルビア様の言う“例外”に、ようやく思い至って、総毛立つ。
このお婆さんはそれだけの為に連れて来られたってこと……?
「そんなっ……一体、誰がっ……何の目的でっ?」
緊張した私の問いかけに、シルビア様が首を振る。
「わからない……私には心当たりが多すぎる……」
「シルビア様……」
私たちに追いついたロシータちゃんたちが声を上げる。
「ゆみー! つっかまっえた――! たいへんだぞ! もりのなか、なんか、ぞわぞわするんだぞ!」
頭にチェリーちゃんを載せたロシータちゃんが、お尻を押さえてブルリと身震いする。
「しるびー、どーしたー? このまえの、ばーちゃんだ……、ねてるのか?」
フィ―ちゃんとダークちゃんも心配そうに、倒れているお婆さんを覗き込んだ。
「……ロシータ、フィー、以前教えた結界魔法を覚えてる? 私は今、魔力を放出したばかりで魔法が使えない……魔素を取り入れても、体の回復の方に魔力を取られてしまう。だから、二人でここにいる全員に結界をかけてほしい」
フィ―ちゃんは何かを察したように頷き、手のひらを上に向けて、黄緑色の魔力の玉をいくつも生成する。
半妖精のフィーちゃんは、前にシルビア様を狙う人が多い事を話していたからか、すぐに行動してくれた。
そしてフィーちゃん、すごい……いつの間にか、複数個同時に魔力玉を作ることができるようになったのね。
フィーちゃんが作ってくれた魔力の玉は、ワラビーのお婆さんとシルビア様と私、フィ―ちゃんの上で弾けて、その周囲を円形の結界になって保護してくれる。
ロシータちゃんも紅色の魔力玉を作り出して、ダークちゃんとチェリーちゃんと自分を個別に結界で包み込んだ。
戸惑った顔をしたダークちゃんが、シルビア様に問いかけた。
「ご主人様……あの……一体、何が?」
「……おそらくだけど、敵意を持った何者かがこの森に入り込んだ。これからすぐ診療所に戻ろう。相手の気配から察すると、それなりの実力を持った者達のようだ。もしかしたら実戦になるかもしれない」
それを聞いて青ざめたダ―クちゃんを落ち着かせるように、シルビア様の手が肩に置かれる。
「大丈夫。誰も死なせはしないから」
「ご主人様……」
死……
そうか……そういう危険があるのか……
シルビア様の場慣れした様子を見るに、今まで色んな危険に晒されてきたのかもしれない。
(私が守らなくちゃ……)
シルビア様のことも、みんなのことも。
フィ―ちゃんと目が合い、お互いに頷き合う。
(フィ―ちゃんもきっと同じ気持ちなのね)
私がワラビー獣人のお婆さんを背負おうとすると、フィ―ちゃんが手を貸してくれる。
フィ―ちゃんの結界とロシータちゃんの結界は、かけられた者同士が近づくと反発せずに融合してくれるので有難かった。
「魔力が無くても気配察知くらいはできるから、私が周囲を警戒しよう。みんな、このまま進むよ」
シルビア様が先頭になって歩き出す。
「はい……わかりました……」
ロシータちゃんもチェリーちゃんを頭から下ろし、腕の中に大事そうに抱えた。
チェリーちゃんは何が起こっているのかわからない顔で、眠たそうにトロンとしている。
ダ―クちゃんがその後ろから少し震えながらついて来る。
怯えたような表情を見ると、私と同じで戦うことに慣れてないんだろうな。
ダークちゃんにはこのまま後ろを歩いてもらったほうがいいかもしれない。
程なくして森の出口に差し掛かると、木々の間から診療所が見えてきた。
「……まずいな……」
「え……?」
シルビア様の声で目を向けた診療所の屋根の上に、二つの影があった。
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