第62話 賑やかな授業
朝食を終えた私たちは、前に魔法の訓練をした森の広場に集まる。
辿り着いた広場は、雲の様に真っ白な雪柳の花が、風が吹く度に波の様に揺れて、甘く柔らかな香りを広げていた。
シルビア様の指導のもと、これから魔法の訓練をするのよね。
授業の為に黒いローブに着替えてくれたシルビア様は、何処となく凛とした姿に見える。
相変わらず緊張した面持ちの私とフィーちゃんとは違い、ダ―クちゃんとチェリ―ちゃんは初めての魔法の授業なのでとてもわくわくしているようだった。
チェリーちゃんは広場に行く道すがら、ずっとご機嫌にきゅーきゅー鳴いていた。
朝食の時にベトベトになってしまった赤ちゃん服を、ロシータちゃんに着替えさせてもらったのが嬉しかったんだと思う。
チェリーちゃんがすごく喜んだので、抱っこするロシータちゃんもとても満足気だった。
張り切ったロシータちゃんが、ダークちゃんに声をかける。
「いっしょに、がんばるぞ。だーく!」
「お前と一緒にするな! ボクはご主人様の眷属に選ばれた……それだけで、才能の違いがあるってことなんだぞ!」
ダークちゃんはツンとすましてシルビア様に向き直る。
「ご主人様からご教授いただけるなんて、なんて素晴らしい!」
ダ―クちゃんの中では、シルビア様の「あーん」は無かった事になったらしい。
尊敬の眼差しでシルビア様を見つめている。
「そう言ってもらえて嬉しいよ。前回は結界魔法だったから、後でダ―クとチェリ―には追加で授業を受けてもらうことになるけど……」
「光栄です!!」
「きゅ―……」
ダ―クちゃんが目を輝かせるのと対照的に、チェリ―ちゃんは自信なさげに鳴く。
「むずかしいことがはじまったの?」とでも言いたげに辺りを見まわし、大きな欠伸を一つする。
チェリ―ちゃんはまだ赤ちゃんだから、朝食を終えたこの時間帯は眠いのかもしれないわね……
眠いと獣化しやすくなるのか、チェリーちゃんはいつの間にか小さなネズミの姿になっていた。
ロシ―タちゃんがチェリ―ちゃんを頭に載せると、チェリ―ちゃんは頭にしがみついて目を閉じ、鼻ちょうちんを作り始める。
「ちぇりーは、まだ、あかちゃんだからなー。かんべんなー? あとで、ろしーた、ちぇりーにおしえたげるからー」
チェリーちゃんを庇うロシータちゃんに、シルビア様が「いいよ」と穏やかに頷く。
すぴすぴと可愛い寝息が聞こえてきて、私とフィ―ちゃんは顔を見合わせて笑った。
「だーく、たのしーなー!」
ロシータちゃんがダークちゃんの顔を覗き込むと、迷惑そうな顔をしたダークちゃんはそっぽを向いてしまう。
何だか表情が硬いように見えるな。
少し緊張しているのかな?
シルビア様が私たちから離れたところに魔法でひし形の的を出す。
オレンジ色をした的は宙にひとりでにフワフワと浮いている。
「今日は最初に攻撃魔法を練習しよう。浄化魔法は簡単だから授業の最後にやるよ……ダ―ク、あの的に向かって何か攻撃魔法は出せるかい?」
指名されたダ―クちゃんは何故か浮かない顔をした。
「ご……ご主人様……ボ……ボク……魔法が使えなくて……詠唱はできるんですが……」
ダ―クちゃんの声が細くなっていく。
真っ赤になって下を向く顔は、昨日の小生意気な様子が嘘みたいだった。
「ふ―ん……原因は、その角かい?」
シルビア様がダ―クちゃんの頭の角を見る。
薄紫の綺麗な髪の毛に二つついた巻き角は、よく見ると向きが逆についていた。
「はい……ボクは逆さ角で生まれてきました……だから、普通の魔族と違って魔法の制御が全くと言っていいほどできなくて……」
段々とダ―クちゃんの声が萎んでいく。
目の端に涙が溜まり、黒いローブの端を両手でぎゅっと握る姿は、色々我慢してきたように見える。
「そうか……実力主義の魔界では、それは辛かったろうね」
「はい……ご主人様がこちらに召喚してくださらなかったら……ボクは……」
ダ―クちゃんが言葉に詰まる。
私には考えられないほど、魔界で生きることは辛かったのかもしれない。
考えを巡らしていると、シルビア様がダ―クちゃんの背後に移動する。
戸惑うダ―クちゃんの角の上を、シルビア様の柔らかな指が、這うように進んでいく。
指が角の根本から先までを、ゆっくりと優しく撫であげると、ダ―クちゃんは恥ずかしそうに目を閉じる。
「あ、あ、あの……! ご、ご主人様! つ、角は……だ……いじな部分、です、ので……そ……それ……以上……はっ……んっ!」
真っ赤になったダ―クちゃんが、零しそうなほどの涙を溜めてシルビア様に訴える。
「ん? ああ、ごめんよ。魔力詰まりを起こしているようだったから、滞った魔力の流れを変えてみたんだ」
「魔力詰まり? ダ―クちゃんの魔力は流れていなかったんですか?」
私の問いかけにシルビア様は頷く。
「うん。今触れてみてわかったけど、ダ―クの角は逆さ角だ。だから魔法を使う時も、魔力を一旦後ろに流して、円を描く様に放出しなければ角の中で詰まってしまうんだ。魔力が詰まると、体内に魔力がいくらあっても魔法は使えなくなる。ダ―ク……君は今まで直線的に、前に魔力を放出する事を考えて、魔法を使っていたんじゃないかな?」
シルビア様の問いかけにダ―クちゃんは目を瞠る。
「はっ、はい! その通りです! ……じゃあ、ボクが魔法を使えない原因って……」
「魔力の流し方が悪かったんだ。これからは円を意識して、後方に魔力が流れるように魔法を使ってごらん」
「は、はい!」
シルビア様が的を指し示すとダ―クちゃんが頷く。
ダ―クちゃんが右手を的に向けると、水色の光が手のひらに集まる。
周囲の気温がぐんと下がったような気がして、フィ―ちゃんと私は思わず震えた。
「氷よ! 我が敵を穿ち凍てつかせよ! 氷槍!」
ダ―クちゃんの詠唱とともに、氷の槍が目にも止まらぬ速さで的に向かって直撃する。
放たれた氷の魔法は見事に的の中心に刺さっていた。
「すっ……すごいっ!!」
「おおぅっ!」
「ダ―クさん、すごいです!」
感嘆する私たちと違って、ダ―クちゃんは呆然としていた。
シルビア様が的を眺める。
「きちんと的の中心に当たっている。とても精度がいいね」
「あ、ありがとうございます……! ボク……ボク……初めて……魔法が使えました!」
ダ―クちゃんがポロポロと涙を零す。
「うん。素晴らしかったよ」
シルビア様がその涙を優しく拭った。
嬉しそうに泣き笑いになったダ―クちゃんの表情がシルビア様の次の言葉で凍り付く。
「ダ―ク、次は、無詠唱でやってみようか」
「む、無詠唱……⁉」
戸惑ってあたふたするダ―クちゃんに向かってシルビア様は頷いた。
「うん。無詠唱。皆にも覚えておいてほしいんだけど、実際の戦闘では1秒遅いだけで命取りになるんだ。だから、魔法は基本的に無詠唱で発動させなければならない。そもそも、詠唱とは発動する魔法をイメ―ジしやすくする為に行うものだ。だから、頭の中で魔法を描けていれば、詠唱など必要ない。むしろ邪魔なだけだ。魔核を意識して、魔力を全身に巡らせる事の方が大事だよ」
ダ―クちゃんが焦りだす。
「そ、そんなっ……! ボ、ボクは今まで魔法が使えないから、詠唱を覚える事に力を尽くしてきました! 魔族でも無詠唱で魔法を発動できるのは上位種だけで……下位魔族のボクには、無詠唱なんて無理です!」
シルビア様がダークちゃんの頬に手を添える。
「ダ―ク、御託はいらない。できないという思い込みを捨てなさい。君には既に力がある――私がその力を授けた――」
シルビア様の漆黒の瞳が一瞬、黄金に光る。
それはシルビア様の眷属になったダ―クちゃんの瞳の色と同じだった。
(シルビア様には魔法師としての絶対的な自信があるのね……)
ダ―クちゃんもシルビア様の言葉を聞いて落ち着きを取り戻し、自分の両手をまじまじと見つめる。
「ご主人様の……力……」
ダ―クちゃんが深呼吸して、再び的に向き直る。
的はシルビア様が交換したのか、いつの間にか新しいものに変わっていた。
ダ―クちゃんが的に向かって右手をかざす。
その額には汗が浮かんでいる。
ダ―クちゃんの足元から蛇のように立ち上った闇が円状に渦巻いた。
一瞬、闇がとても濃くなる。
ゴオッ――――
黒い闇を纏った氷の槍が、先程とは比べ物にならない速さで的を貫く。
魔法を受けた的は粉々に砕け散って消えていた。
無詠唱で魔法を放ったダ―クちゃんは呆けたまま立ち尽くしている。
「やった! やったね! ダ―クちゃん!」
私たちは歓声を上げダークちゃんに駆け寄る。
歓声を聞いて正気に戻ったダ―クちゃんは体の力が抜けてしまったのか、ぺたんと地面に膝をついた。
「あ……や、やった……! ボ、ボク……ボク……!」
ダ―クちゃんが震えながら自分の手を見た。
その目からポロポロと涙が溢れてくる。
シルビア様がそっとその肩を抱いた。
「ね? できたでしょう?」
「ご、ご主人様――――!」
ダ―クちゃんがシルビア様に抱き着く。
「初回でできるダークはとても魔法のセンスがあるよ。慣れれば闇魔法を他の相手の魔法に付与して融合させたりする、高度な魔法もできる様になると思うよ」
よしよしとシルビア様がその頭を撫でた。
私も嬉しくなって涙ぐむ。
「よかったね、本当によかった……」
「ええ……」
フィ―ちゃんが私の背中をさすってくれた。
「よかったな―、だ―く」
「きゅ」
いつの間にか目覚めていたチェリーちゃんを頭に載せて、ロシータちゃんがダークちゃんに近づく。
みんなに見つめられたダ―クちゃんは、気まずそうにシルビア様の後ろに隠れた。
シルビア様の後ろからこちらを覗く顔は、恥ずかしそうだけどこれまでよりスッキリして見えた。
(よかったね)
私がダ―クちゃんに微笑むと、ダ―クちゃんは赤くなりながらムッとして目を逸らした。