第61話 小さな成長
朝の光が虹色の魔力硝子から差し込み、私の顔を照らした。
早起きして身支度を整え、キッチンへと向かう。
昨日は本当に楽しかったな……
もともと人と関わるのは好きだったけど、昨夜の宴はこれまでにした事の無い経験だったから、余計に楽しく感じた。
これまで忙しく生きてきて、あんな風に楽しむ事は想像もできなかったけど……
(私、とても幸せなのね……)
みんなと過ごせる事に、感謝の気持ちがこみ上げてくる。
(美味しいの、作らなくっちゃね)
昨日はご馳走だったから、栄養のバランスを考えて、今日は常備菜を作っておきたいな。
保存箱からカブ、人参、キャベツ、雪芽を出してみると、その瑞々しい新鮮さに思わず笑みが浮かんでくる。
雪芽は真っ白なモコモコした硬い野菜で、一年中収穫できて生でも食べられるから、常備菜にとてもむいてるのよね。
他の野菜も大きくて色艶が良く上等で、お料理のしがいがあるわ。
腕まくりをして手を洗うと、野菜の下処理に取り掛かっていく。
人参は皮を剥いて薄く切り、一口大にする。
キャベツも外側の皮は捨てて半分に切り、芯を取って一口大に切っていく。
カブも皮と芯を取ったら同じように処理していく。
雪芽は軽く湯通しして少し柔らかくしておくと食べやすいわね。
野菜を切る間に、蓋つきの大鍋に、酢と砂糖と、ほんの少しの塩を入れて軽く煮たたせる。
粗熱が取れたら切った野菜を固いものから入れていき、最後に橄欖の油を入れて混ぜ合わせれば完成っと。
漬けたばかりだと、今朝食べるにはまだ少し硬いかな。
お昼か夜に食べるのが丁度いいかもしれない。
夏になったら胡瓜なんか入れても美味しいのよね。
料理のことに考えを巡らしていると、身支度を終えたフィ―ちゃんが姿を現した。
「ユミィさん、おはようございます。何かやる事はありますか?」
手早くエプロンをつけたフィーちゃんは、手を洗うと朗らかな顔を向けてくれる。
フィ―ちゃんも、ここに来た頃よりもだいぶ表情が明るくなったわね。
フィーちゃんだけでなく、シルビア様の作ってくれる空間の安らぎは、私にも沢山笑顔をくれたんだわ。
「フィーちゃん、おはよう! そうだね、じゃあ、ベーコンと卵を焼いてもらっていいかな?」
「はい。ユミィさんはサラダですか?」
「うん、お野菜を沢山取ろうと思って。そういえば、昨日の宝石蟹のサラダはとっても美味しかったね。宝石蟹なんて初めて食べたよ」
宝石蟹の蟹みその味を思い出すとお腹が減ってくる。
前に街で鮮魚店の前を通ったことがあるけど、宝石蟹に付いてる値段を見て驚いたことがあったなぁ。
普通の蟹と桁が一つ違うんだもの……
「私もです。シルビアさんに聞いたんですが、保存箱の中のものは、シルビアさんの妹さんが作られたんですか?」
「うん。そうだよ。アリアさんって言って、朗らかな人だよ。一度しか会ったことないんだけどね」
そういえばアリアさんって、どこに住んで何をしている人なんだろう?
今更だけど、よく知らないことが多すぎるな。
「お会い出来たら、色々レシピを教えてもらいたいですね」
フィ―ちゃんが穏やかに笑う。
ターコイズグリーンの髪が朝日にきらめいてとても美しかった。
こんな風に一緒にお料理できるって楽しいな。
フィ―ちゃんが来てくれてよかった。
魔力菜をサッと洗って水気を切り、千切ってお皿に載せていく。
保存箱にあったドライフルーツや木の実をのせて、その上に胡椒をミルでひいていく。
上から岩塩をパラパラと軽く振りかけて、ここに橄欖の油を少しかければ完成だ。
チェリーちゃん用に、ミルクのお粥も作っておこうっと。
人参を花形に切って茹でたものを添えれば、栄養もいいしチェリーちゃんも喜んでくれるかな?
保存箱を探っていたフィーちゃんが、大きな器に入った、ふっくらと膨らんだ小麦粉の塊を取り出した。
「ユミィさん、今日はナンを焼きませんか?」
「わ! すごい! フィ―ちゃん、いつの間に?」
「昨日夕飯を作る時に発酵させて、保存箱に入れておいたんです」
フィーちゃんの手際の良さに感心しながら、発酵した生地をフィ―ちゃんと半分に分ける。
その生地を更に五等分にしていき、平たく伸ばしたら天板に載せて、魔道オーブンの中に入れていく。
「五分くらいでしょうか?」
「そうだね。そのくらいで様子を見ようか。みんなが起きてきたら焼こう。そういえば、昨日のパンもとっても美味しかったよ」
「ありがとうございます。家にいる時、母とよく作っていたものなんです」
「そうだったんだ……フィ―ちゃんの思い出の味だね」
フィ―ちゃんは穏やかに頷く。
「……それにしても、この魔道オーブンもすごいですね。パンの焼きあがりがとってもいいんです」
「うん。すごいよね。シルビア様のお父様が作られたみたいだけど……」
シルビア様の家族の話ってほとんど聞かないな。
やっぱり、魔法使いの家系なんだろうか?
「父様は異世界の料理を再現したくて色々作ったようだよ」
いつの間にかキッチンへと降りて来たシルビア様が言った。
「わっ! お、おはようございます」
「おはようユミィ、フィ―」
シルビア様がにっこりする。
今日は機嫌がいい日なのかな?
「おはようございます。あの……異世界? ……って、色々な料理があるんですね」
「そうだよ。この世界の文化は異世界から伝わったものがかなりあるよ……フィ―は、異世界、興味ある? 行ってみたい?」
シルビア様に聞かれてフィ―ちゃんがはっとした顔になる。
「えっ……行けるなら、行ってみたいですが……そもそも異世界って、行き来できるものなんですか?」
以前にシルビア様が半妖精は迫害されて生きるって言ってけど……
フィ―ちゃんにとって、この世界はとても生きにくいのかもしれない。
「できるよ。空間を越えなければいけないから、行ったことはないけどね。異世界はとてもいい所だって、アンデッドから聞いた事があるよ」
アンデッド?
アンデッドって、怖い話に出てくる……?
聞きなれない単語が出てきて、私とフィーちゃんは顔を見合わせる。
「あの……シルビア様……アンデッド、って……?」
恐る恐るたずねると、シルビア様は楽しそうに笑った。
「ミイラやスケルトンなんかのリビングデッドから、吸血鬼まで色々いるよ。みんないい友達だよ。大切なことはみんな、アンデッドから教わった」
アンデッドって友達になれるものなの?
そもそも、どこでどうやって知り合うんだろう……
フィーちゃんを見ると何とも言えない顔をしている。
気持ち、わかるよ。
私も理解が追い付かない……
多分、私も今同じような表情をしてると思う。
シルビア様って、一体どういう環境で育ったのか謎だわ……
***
「おい、舌を引っ込めろ! そのナンは、ボクの分だぞ!」
「むぐぐ。だーく、たべないんだとおもったぞー!」
昨晩から食卓の賑やかさに戸惑っていたダークちゃんは、ロシ―タちゃんをうるさそうにしながらも食事を完食してくれた。
美味しそうにベーコンエッグを頬張りながら、「魔界の食事よりも……豪華だ……」って呟いたのを聞き逃さなくてよかったわ。
もっと沢山美味しいものを作って、ダークちゃんに食べてもらいたいな。
ダ―クちゃんの隣でベーコンを頬張っていたロシータちゃんは、隣で赤ちゃん用の椅子に座っているチェリーちゃんを気にしている。
チェリーちゃんは人化した小さな手でスプーンを握りしめ、ミルク粥を口の周りをドロドロにして食べていた。
後でお着換えさせようと思っていると、驚いたことに、ロシータちゃんが拭布でチェリーちゃんの顔を優しく拭った。
「ちぇりー、おくちのまわり、ぺろぺろしていいぞ! きのうのよるみたいに、ろしーたのおふとんでおもらししても、ろしーた、きれいにしてやるからな!」
「おっ! おい! 食事中だぞ!」
ダ―クちゃんがロシータちゃんを叱るけど、ロシータちゃんは意に介していない。
フィーちゃんがロシータちゃんの手から汚れた拭布を受け取り、綺麗なものと交換してくれる。
「寝ている間に、チェリーちゃんのオムツがずれてしまったんです」
「それで、ふぃーといっしょに、ちぇりーきがえさせたりした。ふとんもかわかしたんだぞ!」
ロシータちゃんは誇らしげににんまりと笑う。
チェリーちゃんは幼児の姿でぼんやりとお粥を食べているけど、すまなそうに「きゅ」と鳴いた。
「そうだったんだ。大変だったね。お部屋変わろうか? 私がチェリーちゃんの面倒をみるよ」
チェリーちゃんはまだ赤ちゃんみたいだから、そこを気を付ける必要があったのね。
小さいロシータちゃんにチェリーちゃんのお世話は荷が重かったのかもしれない。
フィ―ちゃんも夜中に起きて手伝ったのに、私は眠っていて悪かったな……
私の問いかけにロシータちゃんは首を振り、決意したようにシルビア様を見た。
「しるびー、じょーかまほう、ろしーたにおしえて。ちぇりーがしーしたとき、ろしーたがちぇりーのおしりきれいきれいにする!」
シルビア様が驚きながらロシータちゃんを見る。
ロシータちゃんのキラキラした紅い瞳は、真っ直ぐにシルビア様を見つめていた。
「ロシータ……」
シルビア様はしばらくその様子を伺っていたけど、ふっと笑みを漏らした。
「いいよ。頑張ってチェリーのお世話をしなさい」
ロシータちゃんはパッと顔を輝かせて満面の笑みを見せる。
「おぅよ! ろしーた、おねえさんだから、がんばる!」
ロシータちゃんはチェリーちゃんが来てから、下の子に優しくしようと自覚したのね。
なんだか、人の成長を間近で見たようで胸がじんわりとしてくるわ。
シルビア様が私の服の袖を引っ張る。
「ねぇ、ユミィ、今日はまだ、あーんしてないよ?」
シルビア様がベーコンが刺さったフォークを押し付けてくる。
「シルビア様……もぅっ! 少しは年上の自覚を持ってください!」
シルビア様の口にベーコンを放り込むと、幸せそうに咀嚼し飲み込んだ。
「私が小さくなったら、ユミィは優しくしてくれる?」
「何言ってるんですか。ほら、口に玉子がついてますよ」
シルビア様の口をナプキンで拭く。
ロシータちゃんとフィ―ちゃんにお口を拭かれてるチェリーちゃんと同じですよ……
「ふふっ。ユミィは優しいねぇ」
シルビア様が至福の表情をする。
ダ―クちゃんがその様子を複雑そうな顔で見つめていた。
ダ―クちゃんの中の、シルビア様の偶像が壊れる音が聞こえた気がした。