第56話 ダークとチェリー ☆
「ま、待って、待って下さい!」
魔族の男の子は声を絞り出しながら言った。
額には汗が浮かび、必死な様子が見て取れる。
「ボク、女の子にもなれます!」
そう言うが早いか、男の子の全身を紫色の光が取り巻き、その体の様子が変化していく。
小柄だった身長は更に縮んで、細く直線的だった胸から腰はささやかに丸みを帯びる。
先程よりも伸びた睫毛が、紫水晶のような瞳に影を落としていた。
さっきよりも柔らかそうだけどより華奢に変わった肢体から、男の子が言葉通りに女の子になったことが見て取れる。
変わらないのは頭に生えている角だけで、元々中性的だった姿がより可憐になる。
「――こっ、これでどうでしょうかっ⁉ お願いです! ボクをここに置いてください‼」
「そこまでするのか……君は……」
突然姿を変えた魔族の子に、シルビア様は戸惑っているようだった。
「ユ、ユミィ……どうしたらいいと思う?」
困り果ててしまったのか、シルビア様が私を振り返る。
「えっ、私ですか⁉ 私なんかに聞いても……」
「そんなことはないよ。ユミィの助言が必要なんだ……」
シルビア様は、いつもの凛々しさとは打って変わって迷い子のように私を見つめる。
その珍しい表情に私の中の庇護欲がそそられる。
(シルビア様……私を真っ先に頼ってくれるのね……)
その気持ちが嬉しくて、きちんと答えなくっちゃと背筋を伸ばした。
「私は……いいんじゃないかと思います……」
シルビア様に助けられて、一緒に住まわせてもらって、私の居場所はここだと感じている。
同じく助けられたロシ―タちゃんとフィ―ちゃんも、多分、同じ気持ちなんじゃないかな。
仲間が増えるのは驚きもあるけれど、相手のことを思って生活できれば大丈夫だと思う。
フィ―ちゃんも頷いて「私も」と、優しく微笑んでくれた。
ロシ―タちゃんも「ろしーたの、こぶん、ふえる⁉」とカ―ピ―の頭の上から嬉しそうな声で返事をする。
桃色のカ―ピ―は声も出さずに目を閉じて、まるで置物のように動かない。
大人しい生き物なんだな……眠っているのかもしれないわね……
皆の意見を聞き終えたシルビア様は、「そうか」と静かに呟き思索する。
少しの沈黙の後、シルビア様が魔族の子に再び話しかけた。
「君は、私の魔力を僅かばかり与える契約で召喚されただけだ。だから、今ならまだ自由に魔界へと帰る事ができるよ。しかし、眷属になるなら、それは不可能になる。その事はわかっている?」
「はい……! 召喚陣がボクの前に現れた時、思ったんです……ボクだって別の世界で役に立てることを、証明しようって……! だから、召喚陣に触れて契約を結びました……!」
悔しさを噛みしめているような表情には、決意が込められていた。
「どうか……ボクを、貴女様の眷属にしてください‼」
魔族の子の瞳に宿った強い気持ちは、シルビア様の心を動かしたみたいだった。
「そうか……では、君を私の眷属とする……」
シルビア様が人差し指を唇に触れると、指先に黒い光が集まっていく。
魔族の子の額に指先が運ばれると、シルビア様と魔族の子の瞳の色が金色に輝いた。
「眷属になる印に、君にこちらの世界の名を授けよう……」
「……はいっ!」
「……」
シルビア様はしばらく無言で指先を魔族の子の額に当てていたけれど、その視線がチラリと四阿の円卓へと向いた。
感極まったように目を瞑った魔族の子は、それには気づかずに両手を組んで跪いている。
シルビア様、今、何を見たのかしら。……もしかして……?
私が不思議に思っていると、シルビア様の穏やかな声が響いた。
「君の名はダ―クだ……」
その言葉と同時に、魔族の子の額に集まった黒い光が、魔法の紋様となり浮かびあがって消えていく。
「素敵な名前……! ありがとうございます!」
ダ―クと名付けられた子は頬を赤くして瞳を潤ませている。
名前をつけられた途端に薄紫の瞳に僅かに差した金色が、濃い黄金色へと変化する。
全身に淡い黒の光を帯びたダークちゃんから、先程までとは比べ物にならないほどの、魔力の威圧感がした。
「これがご主人様の魔力……なんて素晴らしい……!」
手のひらから溢れ出る魔力を見ていたダークちゃんは、自分が得た力に恍惚としている。
「君を眷属としたから、私の魔力が直接流れ込むんだ。普段はもう少し抑えておきなさい」
「は、はい……!」
「これからよろしくね。私の名はシルビア。魔法師と薬師をしている」
シルビア様が差し伸べた左手を、ダークちゃんが両手で握りしめた。
ダ―クちゃんは感極まった目でシルビア様を見上げている。
「は、はいっ! こちらこそよろしくお願いします!」
感動するダークちゃんを見ながら、私は名前の由来について考えを巡らしてしまう。
シルビア様、さっき円卓にあるケ―キを見なかった……?
そこから名前を取ったり……まさか、そんな適当なことは、ね……?
「フィーちゃん、あのね……」
「……ユミィさん……多分、考えている事は一緒です……」
「そっか……」
気づかない方がいい事も、この世にはあるわよね……忘れよっと……
「ろし―たも、おなまえ、つけるぞ―!」
ロシ―タちゃんがカ―ピ―の頭に乗って、その額に口付ける。
「ちぇり―、にする! ちぇり―! よろしくな~! ちぇりーは、きょうから、ろしーたの、こぶんだぞ!」
ロシ―タちゃんの命名も、何故だか同じ由来だった。
チェリ―と呼ばれた瞬間に、カ―ピ―の全身が桃色に光る。
光の中でどんどん身を縮ませたチェリーちゃんの背から、ロシ―タちゃんが慌てて飛び降りた。
チェリ―ちゃんはロシ―タちゃんの何倍もの大きさがあったのに、あっという間にロシ―タちゃんの半分以下の大きさになってしまった。
小さくなったチェリーちゃんは人化して、2、3歳くらいの幼児の姿になる。
桃色のフワフワした髪の毛の上に、丸い大きな耳がついていて、一見したらネズミの獣人に見えた。
「チェリ―ちゃん、人型にもなれるんですね。可愛い……」
フィ―ちゃんが自分のボレロを脱いで、裸のチェリ―ちゃんを包み込んだ。
抱き上げて頬をすり寄せ、幸せそうに顔を赤らめるフィーちゃんは、聖母像みたいに美しかった。
チェリ―ちゃんの、半開きになった垂れ目と口が、何ともいえないくらいに愛らしい。
こんなに可愛いんだもの、抱き締めたくなっちゃうよね。すごくわかるわ……
「あ! ふぃ―! ろし―たも! ろし―たもぉ!」
「はいはい」
密かに身もだえしていた私の横を、チェリーちゃんから飛び離れていたロシ―タちゃんが駆け抜ける。
「うおお……むかしのしるびーより、ちっこーい! ろしーたおねーさんが、まもってやるからなー!」
満面の笑みでチェリ―ちゃんを抱っこしたロシータちゃんは、愛情を与えるようにチェリーちゃんの柔らかい頬に自分の頬っぺたを擦りつける。
(いいなぁ……うらやましいわ……可愛い……)
気づけば私も尻尾を揺らしながら、ロシ―タちゃんとチェリ―ちゃんに近づいていた。
「あの……ロシータちゃん、私も抱っこしたいなぁ……」
おずおずと申し出てみると、ロシータちゃんはぶんぶん首を振る。
「ゆみぃは、だめー! ゆみぃは、ろしーた、だっこしてー!」
ロシ―タちゃんが駄々をこねる様に言う。
ロシータちゃん、チェリーちゃんの事は甘やかしたいけど、自分は甘えたいのかな……?
幼児を抱っこしてる小さい子の上目遣いは、胸に訴えるものがあるわね……
二人とも抱っこさせてもらえばいいんじゃないかなと、私は閃いた。
「うん!」
私はロシ―タちゃんとチェリ―ちゃんを一緒に抱きしめる。
「むふーっ!」
抱擁されたロシータちゃんは満足そうに長い息を吐いた。
ぬくい……ぬくくて、柔らかくて……幸せだわ……
「ユミィさん……私も一緒に……」
フィ―ちゃんが私の反対側から、ロシ―タちゃんとチェリ―ちゃんを抱き締めた。
目が合ったフィーちゃんと、お互いに照れて笑ってしまう。
「……君たち……何をしてるんだい?」
私の背後に現れたシルビア様が、予告無しに私を後ろから抱き締めた。
「!」
「こういうのは、私もまぜてくれないと、ね……」
背中からシルビア様の体温が伝わってきて、体の中が沸騰したように熱くなった。
「え、あ、あのっ! シ、シルビア様っ⁉」
「ふふっ……ぬくいねぇ、ユミィ……」
シルビア様が私の後ろ頭に顔を擦りつけて「モフモフ~!」と呟いた。
(きゃ~~~~~~⁉ な、なんで~~~~⁉)
首筋にシルビア様の息がかかる度に、くすぐったくて恥ずかしくて、叫び出したい気持ちになってしまう。
足音を立てずに私達に近づいたダークちゃんが、戸惑ったように声を上げる。
「ご、ご主人様?? な、何をなさっているんですか?」
「……ダ―ク……これは私たちの伝統なんだ。伝統化されるべきものだ……君も来なさい……」
後ろを振り返りもせずに、そう言い切ったシルビア様が、ダ―クちゃんの手を引っ張った。
急に引き寄せられたダークちゃんは、そのまま倒れ込む様にシルビア様とフィ―ちゃんに張り付く形になる。
「え、え、え……あ、あの、あの……っ⁉」
ダ―クちゃんは恥ずかしそうに顔を真っ赤にしてあたふたしていた。
「ダ―ク、君は今、女の子だ。そしてこれからもずっと女の子だ……そうだろう?」
「い、い……え、あ、あ……そ、そうで……す……?」
ダ―クちゃんは非常に混乱して、どうしていいかわからないままに返事をしてしまっていた。
いきなり性別を変えなきゃいけなかったのに、更に知らない女の子たちの輪に入れられた状況は不思議でしかないよね……
そしてシルビア様……今、さり気なく、ずっと女の子でいることを約束させたけど……ちょっと酷いんじゃないかな……?
「あ! せ、接触した部分から魔力が体内に巡っていきます! 他者の魔力が供給されていく感覚がっ!」
混乱するダークちゃんが、何かに気づいた様にハッと顔を上げた。
「ご、ご主人様、もしかして、ボクに簡単な魔力供給を教えてくださる為に、この様なことをなさっているのですか⁉」
「………………うん、そうだよ………………」
なんだかすごく間があったから……違うんじゃないかな……?
「……いい機会だ……」
シルビア様が指を鳴らすと、獣化したチェリーちゃんの体が再び大きくなっていく。
獣化したチェリ―ちゃんはフワフワした巨大なげっ歯類へと戻って、フサフサの尻尾を嬉しそうに揺らしていた。
「しるび―、なにをする―っ⁈」
「シ、シルビア様?」
大きくなったチェリ―ちゃんが、地面に気持ちよさそうに寝ころんだ。
「カ―ピ―は獣化・人化することはもちろん、大きさを自在に変えることも得意なんだ。そして昼寝を習性としているから、私達のお布団代わりになってくれるよ。私たちもここで寝よう」
シルビア様が私の手を引いて、チェリ―ちゃんのお腹の上へと移動する。
「ろしーたも、ろしーたもー!」
「さ、さっきよりも、ずっと大きいですね」
「ご主人様、すごいです!」
私達を見ていたロシータちゃん達三人も、チェリーちゃんの上へと移動し横たわった。
静かに寝息を立てるチェリ―ちゃんのフワフワの毛は、寝そべる人全てを優しく包み込んでくれるみたいだった。
隣に横たわるシルビア様の指が私の指に絡んで、大きな黒い瞳が近くに見えて心臓が高鳴る。
「ご、ご主人様! ボクもご主人様の隣に……!」
顔を真っ赤にしたダ―クちゃんがシルビア様の隣に寝そべり、私の隣にはロシ―タちゃん、その隣にはフィ―ちゃんがくっつく様に横たわる。
「ふふっ。こんなに大人数でのお昼寝なんて初めてです。楽しい!」
フィ―ちゃんが嬉しそうに声を上げると、フィ―ちゃんと私の手を握ったロシータちゃんがキャハハと幸せそうに笑った。
「お―! ろし―たもたのし―! まいにちするぞ―!」
「毎日か……悪くないな……」
シルビア様がフッと空に向かって息を吹きかけると黒虹色の魔力の膜が私たちの周囲を包み込む。
結界によって遮られた日差しは柔らかくなり、心地いいそよ風とともに結界内に穏やかな春を運んでくれる。
「すごい! ご主人様! 一瞬で結界を張られるとはお見事です! これで過剰な光線も風も届きませんね! ……ボクにも教えていただけますか……?」
「……いいよ。ダ―ク、君もこれから魔法の授業に参加しなさい」
「あ、ありがとうございます!」
ダークちゃんが弾むような声でシルビア様に呼びかけ、シルビア様がそれに戸惑いながらも応じる。
春の穏やかな日差しとチェリーちゃんの肌触りは、私をあっという間に眠りの中へと誘った。
「ユミィ……ユミィ……?」
虹色の夢の中で、シルビア様の声が響いていた。
投稿日を一日間違えていました(;_:)
申し訳ありませんでしたm(_ _)m