第52話 授業1
「やった――――、おひさまだぞ――――!」
朝食の片付けを終えて、さて一息つこうかという頃、ロシータちゃんの歓声が聞こえてきた。
段々と部屋の中を照らし始めた眩しい光が、天気が好転したことを知らせてくれる。
「これで、授業が始められるね? 森の奥にある広場に行こう」
シルビア様の言葉に、ロシータちゃんは飛び跳ね、私とフィ―ちゃんは顔を見合わせて喜ぶ。
それから私達三人は、シルビア様の後ろに続くように、屋敷をあとにした。
雨上がりの森は、身体の中を綺麗にしてくれるような清らかな香りがして、いつまでも嗅いでいたくなる。
精霊ちゃんたちが、キラキラした風の中を楽しむ様に飛びまわっていた。
「きょうそうだぞ~!」
雨が上がったことにはしゃいだロシータちゃんが、真っ先に森の奥へと駆けていき、何かに気づいたように立ち止まった。
そのまま慌てた様子で戻ってきて、私達に向かって手を大きく広げる。
「ろしーた、みんなと、おててつなぐぞ! おねえさんだから、みんなが“まいご”になったら、だめだから、おててぎゅー、なっ?」
ロシータちゃんがニカっと笑って私の右手を掴み、もう片方の手をフィ―ちゃんと繋ぐ。
フィ―ちゃんは戸惑いながらも嬉しそうにしている。
「しるびーも、ぎゅーするんだぞっ。“まいご”になって、えーんってなっちゃうぞ!」
「……まったく、そう言われたら、仕方ないな……」
シルビア様もそっと私の左手を取ってくれた。
手しか触れ合っていない筈なのに、そこから火傷するような熱を感じた。
今日は暑くないのに……不思議だわ。
シルビア様の森の道は、細い小道もあれば、幅の広くなっている道もあって、四人並んで悠々と歩みを進めていける。
(四人でのお散歩は初めてだから、嬉しいなっ)
「こうして……誰かと手を繋いで歩くのなんて、久しぶりです……」
顔を赤らめたフィ―ちゃんが呟くと、ロシータちゃんがギュッと手を強く握ってくれる。
「だいじょーぶだぞ、ふぃー。ろしーたが、て、つないでるぞ! でも“まいご”になっても、だいじょーぶだぞ! ろしーたが、すぐたすけにいくからなっ!」
ロシータちゃんの言葉に胸が温かくなると、フィ―ちゃんも同じだったようで、お互いに笑みが零れる。
「はいっ。ありがとうございます、ロシータさん……!」
「ふふっ。ありがとう、ロシータお姉ちゃん!」
お礼を言われたロシータちゃんは、照れたように舌を出して笑った。
森の中の清澄な空気と木漏れ日に、心が潤っていく感じがする。
ウキウキした気持ちになって、私の尻尾は自然と揺れていた。
「ユミィ……楽しいね」
気づけばシルビア様と繋いだ手が強く握られ、はにかんだ笑みが私に向けられていた。
「は、はいっ……!」
森の中で見るシルビア様の微笑みは煌めいているようで、鼓動が速くなる。
(どうしてこんなにドキドキするのかしら……?)
パタパタと高速で動き出した尻尾を止めたいけど、両手が塞がっているのでできない。
「なー。ふぃーと、ゆみぃ、おてて、たかいたかーい、してっ」
「こうですか?」
ロシータちゃんと繋いでいた手をフィ―ちゃんと一緒に持ち上げると、ロシータちゃんが自身の体を前後に揺らす遊びをし始めた。
「ありがとー! ろしーた、たのしーぞー!」
「まぁ……っ、まるでブランコみたいですね。ふふっ」
遠慮無く甘えて楽しんでいるロシータちゃんに心が和んでいると、横から視線を感じた。
「ユミィ……ロシータばかり見たら嫌だよ。私の事も見てほしいな……?」
気づけばびっくりするほど近くにシルビア様の顔が寄せられていた。
シルビア様の囁きが、耳の中で蕩けるように甘く響く。
「シ、シルビア様……っ。む、……無理です~~~~」
ますます動きを止めない尻尾が、私の胸の内を表しているようで、どんどん居たたまれなくなる……
「ロ、ロシータちゃん、腕ブランコ、もう終わりでいいかなぁ……?」
「やー。とーちゃくするまで、これで、いくー」
(と、とめたい……! 私の尻尾、止まってぇ……‼)
そのまましばらく歩いて行くと、少し開けた広場に到着する。
「ここが目的地の広場だよ。……はぁ、もう着いてしまったか」
シルビア様が切な気にため息を吐くのと同時に、私も安堵の息を漏らす。
(うう……屋敷からそう離れていないはずなのに……。尻尾もやっと止まってくれたけど、ずいぶん精神力がすり減ってしまったようだわ……)
一旦深呼吸して落ち着いてから、辺りを見回す。
広場一面には白詰草が絨毯のように敷かれ、周りは見事な雪柳の木々に囲まれていた。
咲き始めた雪柳の花が波のように揺れ、柔らかな陽の光が葉に落ちた雨粒を通って輝いている。
「わぁ……っ、こんな素敵な場所があったんですね……!」
大好きな雪柳の甘やかな香りをクンクンと嗅ぐと、嬉しくなって、再び揺れ出した尻尾と一緒に、耳までパタパタと動き出してしまう。
「野原みたいでいいでしょ。気に入った?」
「はいっ! とっても!」
「よかった」と言ってシルビア様が微笑むと、駆け出したロシータちゃんが広場で見事な側転をした。
体をおもいっきり動かせるのが楽しくて仕方ないというのが、見ているだけで伝わってくる。
ロシータちゃんの側転を見た精霊ちゃんたちが、次々と真似して側転を始めた。
森の中って暗いイメージだったけど、こんな素敵な場所があったなんて嬉しいわ。
(晴れた日にお弁当を作って、ここで皆とピクニックしたり……。う~ん、想像しただけでワクワクしちゃうな……)
「ロシータ、こっちにおいで」
シルビア様が指を鳴らすとロシータちゃんがフワフワと浮かび上がる。
「おっ、しるびーのふわふわっ。ろしーた、これすきだぞー!」
浮遊魔法に嬉々としたロシータちゃんは、空気の中を泳いで私とフィ―ちゃんの間に着地した。
遮る物が無い広場は、雨上がりの爽やかな風が通り抜け、のびのびとした気持ちにしてくれる。
三人一列に広場の中央に並んで立った私達と、シルビア様が対面する。
「さて……では、これから魔法の授業を始めるよ」
「「よろしくおねがいします」」
「します、だぞ!」
シルビア様の声にシャキっと背筋を伸ばして、私達は礼をする。
「……魔法には属性や理論など、学ぶべき事が沢山あるけど、まず初めに覚えなくてはならないのは、何だと思う?」
シルビア様の質問に、私とフィ―ちゃんは顔を見合わせた。
初めに? 何だろう?
ロシ―タちゃんが手を挙げてぴょんぴょんする。
「は―い! は―い! ろし―たわかった―! どっか―ん! てやつ!」
ロシ―タちゃんはそう言うと、子供の頭ほどもある火の玉を口から吐き出した。
「えっ……ろ、ろし―たちゃんっ⁉」
勢いよく飛んだ火の玉は、遠くの木にぶつかって激しく燃え上がり、あっという間に木は炭になってしまった。
「ロシ―タさん……すごい……」
「えっへん!」
ロシ―タちゃんが腰に手を当て満足そうに笑う。
周りで火の精霊ちゃんたちがパチパチと手を叩き歓声をおくっている。
ロ、ロシータちゃんって、火の魔法が使えたんだ……!
火蜥蜴の血を引いているから、考えてみれば当たり前なのかもしれないわね……
驚いて唖然とする私とフィ―ちゃんをよそに、シルビア様がため息を吐いた。
「……ロシ―タ……貴重な森の木を燃やすんじゃない……」
シルビア様がロシータちゃんの耳を引っ張ると、ふくれっ面をしたロシータちゃんが抗議する。
「ぶ~~。なんでだー! しるびーだけ、かっこいいのして、ずるいぞ!」
「……な、なんのことだい? 私は知らないよ」
シルビア様の目が泳いで、気まずそうな表情になる。
「シルビア様は何もしてないと思うよ? ロシータちゃん」
「え―っっ! あさの、びりびりどかーん、しるびーが――」
シルビア様がロシ―タちゃんの口を塞いだ。
「ロシータ、実演してくれてありがとう……!」
「もがぁ! もがぁっ!」という声が聞こえるけど、シルビア様は構わずに講義を続ける。
「……ロシ―タが今使ったのは、火球という火の攻撃魔法だ。これを覚えるのは、まだ先でいいと思う。……フィ―、初めに覚えなきゃいけない魔法、わかるかな?」
攻撃魔法が違うってことは……
「防御……の魔法でしょうか?」
フィ―ちゃんが自信なさげに言うとシルビア様は頷く。
「そう、正解だ。それを覚えれば、自分の身を守る事ができる。だから皆には、まず防御魔法の上位である結界魔法を学んでもらおうと思う」
「結界……ですか……」
フィ―ちゃんが戸惑ったように呟く。
結界魔法。
学校の歴史学の時間に、少しだけ習った事がある。
山の集落出身である私は、お目にかかった事なんて無いけれど、この世界には、神官様や僧侶様、聖女様がいらっしゃるらしい。
そういう限られた聖職者だけが使える聖魔法が、大きな街や王都に結界魔法として施されているから、魔物の侵入は絶対に起こらないとかなんとか……
うーん……そんなすごい魔法、覚えられるのかしら……⁇
「あ、あの……シルビア様……?」
「なんだい? ユミィ?」
「そのっ……私なんかに……そんな高度な魔法が使えるんでしょうか……?」
最初の魔法の授業だから、まずは生活で使う簡単なものや、魔法の理論から学んでいくのかと思っていたわ……
シルビア様が優しく微笑む。
「大丈夫だよ、ユミィ。やってみることが肝心だから」
「シルビア様……」
シルビア様が両手を合わせそっと開くと、手のひらほどのシャボン玉のような魔力の玉が現れる。
虹色の魔力玉は一瞬黒に光り、ふわふわと飛んできて私の体に触れると、弾けて私を包み込んだ。
「ユミィさんの周りに結界が……」
「おぅ……ゆみぃに、だっこできないぞ―⁉」
ロシ―タちゃんとフィ―ちゃんが私に触れようとするけど、私の一歩手前の薄い虹色の膜のところで手が止まる。
私も内側からペタペタと触れてみる。
魔力の膜は不思議な感触がした。
結界の内部は風も感じず、日差しも柔らかくなって居心地のいい部屋の中にいるみたいだった。
(これが結界……すごい……)
シルビア様は本当になんでもできるのね。
「結界魔法が聖職者だけのものというのは誤解なんだ。どんな属性でも、結界を作り出す事はできるんだよ」
シルビア様が私のほうに歩いてきて結界に触れると、結界は溶けるように消えていく。
「魔法を使えるのは、体内に魔核と呼ばれる宝石のような石があるから……というのは知っているかい? その魔核から全身に魔力を巡らせることで魔法が使える。しかし、体内の魔力を使い切ると魔力切れで死に至る……」
シルビア様がフィ―ちゃんを見ると、フィーちゃんが神妙な面持ちで頷く。
魔力切れを起こしたフィーちゃんが、無事だった事に改めて安堵の気持ちが湧き上がってくる。
「だからある程度、魔核による魔法の使い方を覚えてもらったら、今度は空気中に存在する魔素で魔法を使う方法を授業に取り入れていくよ。魔素を上手く取り込む事ができれば、魔力を消費せずとも無限に魔法が使えるからね……」
「魔核を持っていなければ、魔素も取り込めない……という事でしょうか?」
「そうだね、フィ―。だけど、ここにいるみんなの中には魔核がある。魔法は絶対使えるはずだ」
シルビア様が励ましてくれるので、少し勇気が湧く。
「さ、ユミィも、フィ―も、ロシ―タもやってみて。手のひらを上に向けて、そこに魔力の玉ができるようにイメ―ジするんだよ。攻撃魔法じゃないから、身を守る事を考えながら作るといい」
私たちは手のひらの上に魔力が集まるようイメ―ジする。
身を守ること――危険で狂暴なものが、突然目の前に現れる事などを頭に浮かべながら……
「……うーん、やっぱり難しいな……」
長い時間ずっと意識を集中しても、私の手のひらからは何も現れなかった。
「ユミィは白狼の力が戻っていないから、本調子じゃないだけだよ。想像することが大事なのさ」
シルビア様は私の両手を手に取るとにこりと微笑んで手のひらに魔力玉をのせてくれる。
「今は、私の魔力を感じていて?」
シルビア様が手にその端正な顔を近づける。
シルビア様の熱が白魚のような手から伝わってきて、手のひらの魔力玉から優しい魔力を感じる。
「は、はいっ……!」
なんだかシルビア様の心に直接触れているみたいで、全身が緊張してしまう。
「シルビア様、この魔力玉は黒が混ざった虹色なんですね……」
魔力玉は伝言鳥と同じように、黒に見えたかと思ったら透明な虹色に輝く。
それはまるで――
「そう。これは私の属性の色だから。全属性が混ざったらこんな虹色になるんだよ。私は闇属性が強いから黒にも見えるね……」
シルビア様がおどけたように小首を傾ける。
「……ごめんね、怖い?」
その瞳は少し哀しそうに見えた。
闇の属性……詳しくは知らないけど、ルネから聞いたことがある。
冒険者をしていると、洞窟なんかで動く死体に遭遇することもあるらしい。
その属性は闇で、とてもおどろおどろしくて、中には毒属性まで持ってる場合もあるとか……
だから闇属性には「死」や「呪い」などの印象が深く根付いているのよね……
闇属性の魔物の厄介さは、闇属性の人への直接的な嫌悪や差別へと繋がってしまっている。
街でも『闇属性は陰気になるから来ないでほしい』なんて食堂の人が言ってるのを耳にしたっけ……
だけど、シルビア様の魔力はとても温かい。
(こんなに心地いいのに、怖いだなんて思えないわ)
ずっと見ていたい程、綺麗な色……
「いえ……とても……好き……大好きです……」
思ったことをそのまま口にしてしまう。
なんだか間が抜けたことを言ってしまったわね……
シルビア様を見ると、シルビア様は私の手を握ったまま顔を真っ赤にして固まっていた。
驚いたように大きく開いた目は潤んでいて、結んだ口もとが微かに震えている。
「え……あ……シ、シルビア……様?」
「……! ユミィ――」
シルビア様が手を握る力が強くなる。
そしてシルビア様の顔が近づいて――――……
「おおっ⁉ まぁるいの、でてきた! ろし―た、できたぞ――――!」
「私も……できました」
「いえーぃ!」
いつの間にか魔力の玉を手にのせたフィ―ちゃんとロシ―タちゃんがハイタッチしている。
「しるびー、このあと、どーすんのー? ……んぁ? しるびーのおかお、どーした?」
ロシータちゃんに指摘されたシルビア様は、ハッとして誤魔化す様に、ゴホンッと大きく咳払いをした。
「なんでもない――そ……それじゃあ、その魔力で全身を包むようにイメ―ジして……」
シルビア様の離れて行く手に寂しさを感じる。
薄紅色に染まった横顔は、ずっと見ていたいと思うほど綺麗だった。