第47話 二人の夜
夕飯後、フィ―ちゃんの部屋に桶と水瓶を持って行く。
廊下ですれ違ったお風呂上がりのロシ―タちゃんは、私が抱えているものに興味を示した。
「フィ―ちゃんのお部屋に持って行こうと思って。まだお風呂入れないみたいだから」
「ろしーたも、もってくぞ! ふぃー、のどかわいてるかも、しれないな!」
ありがとう、ロシータちゃん。……でも、飲み水用じゃないのよ。
私達が部屋を訪れて水瓶と桶を見せると、フィ―ちゃんはとても喜んでくれた。
「シルビア様の浄化魔法で清潔なのはわかってるけど……。体を拭いたり、顔を洗ったり、好きに使ってみて。気分もスッキリすると思うから」
「わざわざありがとうございます、ユミィさん、ロシータさん」
私たちのやり取りを聞いて、ロシータちゃんも合点がいったようだ。
「なるほどっ、のまないんか。ろしーた、てつだうぞ!」
私とフィ―ちゃんが「えっ?」と戸惑いを口にするよりも、ロシータちゃんの手がフィ―ちゃんの衣服を掴む方が――速かった。
フィ―ちゃんが身に纏うものを、小さい手で引き千切らんばかりに取り除こうとし始める。
「ふぃー、ぬげー! ろしーたおねえさんが、ふきふきしたぁげるぞ! まかせろっっ‼」
「えっ、ええええ……⁉ あ、あのっ……! 心の準備がっ……⁉」
「ロ、ロシータちゃんっ‼ 駄目でしょぉおお~~~~~~!!!」
フィ―ちゃんの服を掴む手を慌てて開かせて、二人を引き離す。
火事場のなんとやらか、普段はのろまな私にしては、ロシータちゃんの行動が実行される前に阻止する事ができた。
「なんでだ~~~~??? ろしーた、おせわするぅ~~‼」
「いきなりこんなことしたらいけません! フィ―ちゃん、恥ずかしいでしょっ」
フィ―ちゃんは無理矢理肩を出されてしまい、顔を真っ赤にしながら肌蹴た寝着を整えている。
「すいません、突然のことで私も動転してしまいました……ロシータさん、お、お気持ちは嬉しかったですよ……」
こんな目に遭っても、嫌な顔ひとつしないフィ―ちゃん……天使様の様だわ。
私は一気に脱力してしまい、ロシータちゃんに再度言い聞かせて、部屋を出ることにした。
「おやすみなさい、フィ―ちゃん」
「ありがとうございます、ユミィさん、ロシータさん」
「おぅよ。おやすみ―」
欠伸をしながら、ロシータちゃんはフィ―ちゃんの寝台にもぐりこもうとする。
「……ロシ―タちゃんは、こっちでしょ」
ロシ―タちゃんを本人の部屋まで引っ張って、フカフカと柔らかい寝台の上まで運んだ。
寝台に入って三秒も経たずに寝付いたロシ―タちゃんに、上掛けをかけて部屋を出る。
フィ―ちゃんの部屋から下げた食器を洗って、私も入浴を早めに終えると部屋のベッドに腰掛けた。
食後にシルビア様が、『寝る前に部屋に行くよ』と言ってくれたので、大人しくシルビア様を待つ。
(多分、手術の事だろうな……)
夕日の中で手を握ってくれた時、シルビア様の心と私の心が近づいた気がした。
そのことがとても嬉しくて、私は穏やかな気持ちになっていく。
すると扉の外側をコンコンと叩く音が響き、静寂は柔らかく破られた。
ノックの音が止むと、澄んだ声が聞こえてくる。
「ユミィ、入ってもいい?」
「は、はい……どうぞ」
シルビア様もお風呂を終えたばかりのようで、寝着に着替えていた。
白い肌に艶やかな黒髪が流れ、上気した頬は桜色に火照っていて少し幼く見えた。
(やっぱり、綺麗だな……)
何度見てもシルビア様を見飽きることなんてないんじゃないかと思う。
私がじっとシルビア様を見つめていると、シルビア様がはにかんだ様に笑った。
「前にも思ったけど、お風呂上りのユミィは可愛いね」
「えっ⁉ そっ、そんな! シルビア様こそ!」
「本当だよ。とても可愛い」
シルビア様は私の隣に腰掛け、私にそっと寄りかかった。
「シ、シルビア様っ⁈」
途端に私の心臓は早鐘のように鳴りはじめる。
シルビア様からは柑橘系の石鹸のいい香りがする。
「ふふっ。ユミィが隣にいるのはいいね……」
「は、はぁ……」
(私なんかが隣にいてもいいのかしらっ……?)
でも、私のそばに居てくれるシルビア様は嬉しそうに見えるし、私も心が温かくなっていく。
「ねぇ、ユミィ……今度の、満月の日に……手術をしようか?」
「今度の……満月……」
「うん」と言って、シルビア様が私の手を取る。
「私たちが会った夜が満月だったでしょ? ……だから、縁起がいいと思ってね……」
シルビア様が、歌劇場で私たちを助けてくれた時のことを思い出す。
壇上で衆目に晒されていると、急に時間が止まって歌劇場の扉が開いた。
月の光を受けながら精霊のようなシルビア様が歩いてきて、私を助けてくれた。
多分、一生忘れることなんてできない光景――
「シルビア様……そんなに、私のことを考えてくれていたんですね……ありがとうございます……」
シルビア様が私に心を砕いてくれていたことを知って、胸に熱いものがこみ上げてくる。
「うん。ユミィのこと考えてる……いつも、どんな時も……」
シルビア様の柔らかい薄桃色の唇から私の名前が紡がれると、背筋に電流が走ったような気になる。
「あっ……」
思わず声を漏らすと、シルビア様が私の手を握る力が強くなった。
(どうして……シルビア様は私といてくれるんだろう……?)
魔法師と薬師を兼任しているシルビア様はとてもやることが多いと思う。
多分、夜も寝ないで研究をしているのよね。
シルビア様のお仕事は、私が思いつくことだけでも沢山あった。
この森に展開される魔法陣の管理や、やって来る患者さんに合わせた薬の調合。
薬草の研究に魔法の研究。
呪い……の事も知っているみたいだから、他にも沢山の物事を調べたり勉強したりしてるんだろうな……
シルビア様は、大切な時間の中で、私なんかのことを考えてくれている。
――私は、もうそれで充分だ――
「シルビア様……私、あなたがいれば……あなたが私の手術をしてくれるんなら……なにも、怖くないです……」
「ユミィ……」
「……それで、たとえ当時の記憶を失ってしまっても、それはシルビア様のせいじゃないし、私も納得できます……」
私はシルビア様に笑いかける。
「あなたがいてくれて……よかった……」
私の言葉に、何故かシルビア様が泣きそうな顔をする。
シルビア様が今涙を流したら、全て舐めとってあげたい気持ちになる。
「さぁ、私はもう大丈夫ですから、お部屋で研究の続きをなさってくださ――」
「一緒に寝る」
シルビア様がサッと寝台に潜り込む。
「えっ? あっ、あのっ? シ、シルビア様っ⁉」
戸惑っていると、上掛けからひょこっと顔を出したシルビア様と目が合った。
「ユミィ、今日、一緒に寝て。……ダメ……?」
シルビア様が上目遣いでこちらを見てくる。
その可愛さに頭がクラクラした。
「い、いえっ……ダ、ダメじゃありませんけど……け、研究は……?」
「いい。今日はお休み」
シルビア様が私の寝着を引っ張る。
「一緒に、寝よう?」
「え……あっ……は……はい……」
シルビア様の目線は射るようで、抗えない力を感じた。
私はおずおずと寝台に潜る。
恥ずかしくてシルビア様のほうを向けないでいると、シルビア様が上掛けをかけてくれる。
私が寝台に入ると、部屋の魔道ランプの灯りが勝手に消えて部屋が真っ暗になった。
心臓がうるさいくらいに鳴っている。
(一緒に、お昼寝もしてるのに……何で……?)
恥ずかしくて、熱くて……体から火が出そうだった。
「ユミィ……もっと、こっちに……来て?」
「え……は、はい……」
少し壁際に詰める。
「ユミィ、もっと、こっちに……落ちちゃうから……」
「……はい……」
更に詰めると、お腹にシルビア様の手が回されて首筋にシルビア様の顔が近づいた。
「!」
「ふふっ……ユミィ、いい匂い……」
「シ、シルビア様……! ち、近いです!」
「狭いから、近づかないと落ちちゃうでしょ?」
「ベ、ベッドを広げれば……」
「……そうだね……」
シルビア様の指が動いた感じがして、寝台が魔法で拡張されるのがわかった。
ホッとしてシルビア様から離れようとすると、シルビア様が強い力でギュッと抱き着いてくる。
先程よりも密接になった状況に、私は獣化してしまう。
「あ、あ、あのっ……!」
「なぁに? ユミィ?」
耳元で囁かれて、頭がパンク寸前になる。
「ね、ねねね……ねむれ、ない、です!」
裏返った声が室内に響く。
「ふふっ。ユミィ、ドキドキしてる……」
シルビア様が私の背中に頭を当てて鼓動を聞く。
「えっ! なっ! なに、を……い、いいいって……!」
心臓の音を聞かれていたことに驚いて、パニックになってしまう。
「ユミィ……私もね……ドキドキしてるよ?」
シルビア様の左手が私の左手に絡んでくる。
背中にシルビア様の胸の膨らみを感じて、頭が真っ白になった。
「ね。……心臓の音、わかる……?」
体中が耳になったみたいに、シルビア様の鼓動を感じた。
その鼓動が私の心臓の鼓動と重なっていく。
「ユミィと一緒に寝られて、うれしいな……」
「……シルビア様……」
しばらくそうしていると、シルビア様の力が徐々に抜けていく。
可愛い寝息が聞こえてきても、私の鼓動は治まらなかった。
(……今夜は……眠れそうに……ないわ……)
シルビア様の手をそっと外して、彼女に向き直る。
「シルビア様……」
この気持ちをなんて言えばいいんだろう。
何も考えられないまま、彼女の体を抱きしめて目を閉じた。