第46話 できることを
シルビア様の言葉通りに、フィ―ちゃんは私が部屋を訪れた夕飯時に目覚めた。
目覚める時間まで当ててしまうなんて、シルビア様の見立てはすごいと思う。
フィ―ちゃんは真新しい白の寝着を着ていた。
発見した時に身に着けていた服はボロボロで、シルビア様によって魔道具のクローゼットに仕舞われている。
身なりを整えたフィ―ちゃんは、深窓の令嬢のように見えて、すごく可愛い。
「……フィ―ちゃん、気分はどう?」
「だいぶ良くなりました。ありがとうございます」
フィ―ちゃんが身を起こそうとするのを手伝うと、ふっくらとした胸囲の他は、かなり痩せているのだと気づいた。
元から細身なのかな……それとも、食べ物がなかったのかもしれないよね……
どちらにしろ、沢山食べて元気になってもらいたいな。
栄養のあるものをいっぱい用意したけど、目覚めてすぐだと食べられないかな?
丁寧に頭を下げるフィ―ちゃんに、私は明るく尋ねた。
「フィ―ちゃん、夕飯食べられそう? お肉もあるんだけど、どうかな?」
「お腹、空きました……お肉、大好きなので食べたいです……」
フィ―ちゃんは“フィ―ちゃん”と呼ばれることに、なんだか照れているようだった。
顔色はすっかり良くなって、疲労の色が消えている。
(フィ―ちゃんが元気になってくれてよかった)
昨日から丸一日寝ていたことを告げると、フィ―ちゃんはとても驚いていた。
「自分でもわからないうちに気が抜けてしまったんでしょうか。こんなにゆっくり過ごした事は初めてです……」
フィ―ちゃんがまじまじと自分の手を見る。
シルビア様の薬と魔法で、フィ―ちゃんの荒れていた手は瑞々しさを取り戻していた。
薄っすらとあったくまも消えて、ターコイズグリーンの大きな瞳が美しく輝いている。
透けるように白い肌に淡いピンクの唇が愛らしい。
「ここはすごくいい場所だから、安心できて……素の自分に戻れるのかもしれないね」
フィ―ちゃんが不思議そうに私を見る。
「私もね、シルビア様のところに来るまでは、毎日やる事に追われて、自分がしたい事が全くできなかったの……だから、今、とても充実していて……」
こんな風に自分の事を話すのは照れてしまうけれど、フィ―ちゃんと話してみたかった。
「そうだったんですね……ユミィさんのしたい事って?」
フィ―ちゃんも興味を引かれた目をして聞き返してくれた。
「……私ね、人が好きなんだ。他人と関わる事が大好きなの……だから、シルビア様の診療所を手伝わせてもらおうと思って……」
言い終わって、獣人の私が持つ夢にしては大それた事なのかもしれないと気づいた。
「変……かな……?」
「いいえ、ユミィさんの志、とても素晴らしいと思います……」
フィ―ちゃんはまっすぐな目で私を見て、断言するように言ってくれる。
「あ、ありがとう……でも、まだ何もできてないんだけどね」
私は急に気恥ずかしくなった。
「フィ―ちゃんは、なにかしたい事ってある?」
私の言葉に、フィ―ちゃんは思いもよらないといった顔をする。
その顔はとてもあどけなく見えた。
「私……ですか? 私は、特に……」
少し考え込んだフィ―ちゃんは、ポツリと呟いた。
「あ、でも……魔法が使えるようになったようなので……上達できれば嬉しいなと……」
やっぱりそうだよね。
私は魔法が全く使えないから、羨ましくなって少しションボリしてしまう。
「あの、わたし……何か気に障ることを言ってしまいましたか?」
「ううん、フィ―ちゃんは悪くないよ」
魔法はすごいけど、どちらの夢のほうが優れてるかなんてないはず。
私は私のできることをやるんだ。
「魔法はいいね。シルビア様なら教えてくれるんじゃないかな?」
本当は私もシルビア様に魔法を教わりたい。
教えてもらった魔法で、シルビア様のお手伝いができたら……
だけど、それは私の自己満足なのかもしれない。
シルビア様の役に立ちたい、とかじゃなくて……
自分が本当にやりたい事をやらなきゃ、私らしさを失っていく気がする。
(見誤らないようにしなくちゃ……)
可愛いカフェカ―テンのついた窓辺で、患者さんにお茶を淹れる自分を想像する。
(私が本当にしたいことは、そっちよね……)
診療はシルビア様に任せよう。
私ができることは、患者さんとお話ししたり、寄り添ってあげることだと思う。
誰かと張り合うことじゃないんだ。
(たとえ、フィ―ちゃんがシルビア様の跡を継いでも、私は自分にできることをすればいいんだ)
私ができることを増やしていって、それを確かなものにするのが大事なんだと思う。
(私、皆がいるこの場所が好きなのね……)
私のなかで、ここが……シルビア様のそばが第二の家になってる。
(この場所を大切にしていきたい……)
そう思うと、胸の中がじんわりと温かくなるのを感じた。
「フィ―ちゃんなら、きっと上達するよ!」
フィ―ちゃんに微笑むと、彼女も微笑み返してくれる。
「フィ―ちゃん、食べたいものがあったらなんでも言ってね、沢山食べて元気になろう!」
心が通じた私達はもう友達だと思う。
「……ありがとう、ユミィさん……ありがとう……」
フィ―ちゃんが私の手を取って感謝してくれる。
この素敵な女の子のように、私も頑張ろうと思った。
***
食卓に夕飯の品々を広げると、ロシ―タちゃんとシルビア様が集まってくる。
「シルビア様、フィ―ちゃんはこちらでは食べられないんですか?」
シルビア様は研究で疲れたのか、目をこすって眠たそうにしていた。
「明日くらいにはいいんじゃないかな。今晩一晩寝たら、良くなると思うよ」
「そうなんですね。よかった」
「ろし―た、ふぃ―といっしょにすわる―」
ロシータちゃんが椅子をテシテシと叩いた。
「ロシ―タちゃん、お姉さんがふえたみたいでいいね」
「ちがうぞー、ろしーたより、とししただから、ろしーたのがおねえさん! ふぃーは、いもーとってやつだぞ!」
「……この世界にいるほとんどが、君より若いんだよ。まぁ、いいけど……」
「えっ、じゃあ、シルビア様や私も?」
「ゆみぃと、しるびーは、ままうえっ! ふたりにぎゅーってしてもらうと、いっぱいいっぱい、にこにこになるからー!」
「えへへ」とロシ―タちゃんが笑ったのを見て、私とシルビア様も顔を見合わせて微笑んだ。
フィ―ちゃんの夕飯をトレイに載せ、みんなでフィ―ちゃんの部屋へと向かう。
「ふぃ―! よるごはん、たべろー!」
ぞろぞろと部屋に入ってきた私たちに驚き、フィ―ちゃんが身を起こす。
「あ、はい。わざわざありがとうございます」
「ふぃ―、ろし―たが、あ―んしたげるぞ!」
ロシ―タちゃんがにこにこして、スプ―ンを持ってス―プをすくう。
「えっ? えっ??」
フィ―ちゃんは意味がわからないらしく、戸惑いながら私に視線で助けを求めた。
「フィ―、これがこの家の伝統なんだよ」
シルビア様が誇らし気な顔でうんうんと頷く。
「もっともらしく言わないでください。……フィ―ちゃん、自分で食べていいんだからね」
「やだ―! ろし―た、ふぃ―に、あーんって、してやるんだぞー! ろし―た、ふぃ―のおねえさんだから、おせわするんだぞ!」
悲しそうなロシ―タちゃんの顔を見て、フィ―ちゃんがあわあわと口を開く。
「あ……ありがとうございます、ロシータさん。では……お願いしてもいいですか?」
「まかせろ! ろしーたにっ、すべてをっ!」
喜々としたロシ―タちゃんがフィ―ちゃんの口にス―プを流し込んでいく。
「お……おいしい、です。……でも、少しはずかしいですね……」
と言って、フィ―ちゃんは顔を赤らめた。
「ふぃー、もっと、のめー! あーん!」
フィ―ちゃんが飲んでくれたのが嬉しかったのか、ロシ―タちゃんが次々とあ―んを繰り返す。
最初戸惑っていたフィ―ちゃんはなんとなく慣れてきたようで、雛鳥のようにス―プを飲んでくれる。
フィ―ちゃんありがとう……でも、実は伝統でもなんでもないのよ……
「あの……ロシ―タさん、ありがとうございます……もう大丈夫ですから」
フィ―ちゃんが言うと、ロシ―タちゃんは少し残念そうに口をすぼめる。
香炉にお香を足し入れたシルビア様がロシ―タちゃんからトレイをもらい、フィ―ちゃんに手渡した。
「ロシ―タ、君もあっちでお肉を食べなさい」
「ん! ふぃー、さびしくなったら、すぐよぶんだぞー!」
「フィ―ちゃん、あとはゆっくり食べてね」
「ありがとうございます」
どこかほっとしたような、嬉しそうな様子のフィ―ちゃんが微笑ましかった。
ロシ―タちゃんともすっかり仲良くなってるみたいだらか、このまま皆と打ち解けていけるといいな。
居間に戻った私たちも食卓に着く。
ロシ―タちゃんが一瞬の隙に長い舌で空葡萄を一粒口に入れるのが見えた。
「んまんまんまんまんま――――っ!」
そしてそのまま夕食をガツガツとすごい勢いで食べだす。
ロシータちゃんはお腹が空いているのを我慢して、フィ―ちゃんのお世話をしたかったのね。
舌を伸ばして食べるのは良くないけど、今日は叱らなくてもいいか……
タレに漬けて焼いた魔猪肉をロシ―タちゃんが口に入れると、肉汁がジュワッと溢れ出す。
すごく美味しそうな顔で食べてくれるのが嬉しい。
シルビア様も優雅に口に運んで、目が合うと静かに微笑んでくれる。
(嬉しいな……)
皆が喜んでくれるのは、本当に嬉しい。
一口大に切ったお肉を口に入れると、甘辛い旨味が広がっていく。
実家ではルネが仕事の時、一人で食べることが多かったから、こうやってみんなと同じ食卓に着けることに喜びを感じる。
(大切にしていこう……)
この場所が壊れないように、大切に。
私がにっこり笑うと、頬を赤らめたシルビア様の手から、空葡萄がポロっと転げ落ちた。