第45話 夕日の中で
夕映えの空が紫とオレンジの複雑な色に染まっている。
光を受けて屋敷近くにある泉の水面が輝き、幻想的な景色を作っていた。
シルビア様が左手を上向きにし、息を吹きかけると何もないはずの指の影から漆黒の烏が姿を現す。
漆黒の烏は光に当たると羽を七色に煌めかせ、首を傾げて私を見つめてくる。
私はシルビア様の出してくれた伝言鳥に話しかけた。
「ルネ……えっと……私は今、時魔法師のシルビア様のところにお世話になってます。あの、私、ここで頑張りたいことができたの……」
ルネに伝えたいこと、話したいことが沢山あるはずなのに、伝言鳥を前にすると言葉が出てこない。
「今は、自分のできることを精一杯やってみたくて……だから、心配しないでね」
やっと言い終えることができ、一息ついて、シルビア様に目で合図をする。
「言いたいこと、言えた?」
「いえ、あんまり……」
「そう……では、伝言鳥に口づけしてみて? ユミィの気持ちも運んでくれるから」
「え……? は、はい!」
私が口づけする前に、チュッと伝言鳥の嘴が私の唇に触れた。
「あ……」
伝言鳥からはシルビア様と同じ薫衣草の香りがした。
まるで、シルビア様に口づけされたみたい――
思わず唇を押さえると、シルビア様がクスっと笑う。
シルビア様も目を閉じ、伝言鳥に口づけする。
その目が開いて、お互いの視線がゆっくりと重なった瞬間、胸が爆ぜるように鳴った。
私の心臓の音を合図にしたみたいに伝言鳥が空高く羽ばたいていく。
遠くに飛んで行く伝言鳥を見送っていると、シルビア様がじっと私を見ているのに気づいた。
シルビア様の艶やかな黒髪に夕日が当たり、天使の輪を作っている。
(本当に、綺麗な人……)
シルビア様を見ていると、なにもかも包みこんでくれる星月夜のような闇夜が思い浮かぶ。
その闇はとても優しく温かくて――
(私……この人のそばにいたいのね……)
でも、闇が全てを包んでくれるのなら……その闇を包んでくれるものはなに?
シルビア様は、人の病気を治してくれるけど、シルビア様が病気になった時は、一体誰が気づいてくれるんだろう……
人の傷を癒しても、シルビア様の傷を癒してくれる人はいない。
自分には何一つ還ってこないのに、シルビア様は私の心の苦しみまで取り除こうとしてくれている。
純粋で、無垢で、危なっかしくて……だからこそ、この人を守りたいって、心から思える。
「シルビア様、私……」
私はシルビア様に向き直った。
「私、手術を受けます」
夕日が逆光になってシルビア様の表情が見えない。
「……本気で、言ってるの……?」
シルビア様の細い声に、私はゆっくりと頷いた。
「はい。……過去を忘れちゃうよりも、大切なことがあるんだって……私、わかったんです」
傷つけられて頬から血を流すシルビア様――
彼女が傷つけられるのを、私は見ている事しかできなかった。
(もう、あんな思いをするのは……嫌っ……!)
「私、シルビア様が傷つけられて、悲しかった……咄嗟に動いてあなたを守れなくて、悲しかったんです……」
こんなに弱い私が、シルビア様を守るなんておこがましいと思うけど……
「これからも、こんな事があるかもと思ったら……私……」
シルビア様が傷つけられる瞬間を思い出すだけで、言葉にできないほどの悔しさがこみ上げてくる。
「私の……為に……?」
「シルビア様の為にだけではなくて……何もできない自分が嫌なんです!」
シルビア様が私の手を取る。
「ユミィ……よく決断したね……」
シルビア様が私の手の甲に口づける。
私の手はそのままシルビア様の手に取られ、彼女の乳白色の頬に触れていた。
「シルビア様……泣いて……?」
黒曜石の瞳から、ポロポロと宝石のような熱い涙が私の手に零れ落ちていく。
シルビア様は、何故……
どうして……そこまで私の心に寄り添ってくれるの……?
どうして、こんなにも涙を流しているの……?
「ユミィ……記憶を無くしても、君の思い出は消えないよ。……絶対、消えないから……」
涙を流すシルビア様が、あまりにも綺麗で儚くて、目を離す事ができなかった。
気づけば私も涙を流している。
「あ……あれ……っ? な……なんで、涙がっ……?」
胸が苦しくって、こみ上げてくる涙が溢れて止まらない。
私、どうしちゃったんだろう……
シルビア様に泣かないでほしいのに……
泣くのなんて、私一人で充分なのに……
「ゆみぃ、おなかへった――」
ロシータちゃんが、ドアを開けると同時に私達に向かって裸足のまま勢いよく駆け寄ってくる。
「ゆ、ゆみぃっ⁉ しっ、しるび―っ⁇ どどど、どうしたっ⁇」
ロシ―タちゃんは泣いている私たちに気づくと、私たちを交互に見上げてオロオロしだす。
「ゆみぃ、しるび―……なくな―。ろしーたが、ついてるぞー……?」
ロシ―タちゃんが私たちの頭を撫でようとするけど、届かないので背中をゴシゴシ撫でてくれる。
そして撫でているうちに自分も涙目になっていく。
溢れた涙がたっぷり溜まってロシータちゃんの目が決壊した。
「ロシ―タ、なんで君が泣く」
「ロシ―タちゃん、泣かないで!」
ロシ―タちゃんの口の端が徐々にへの字になっていく。
「ゆみぃとしるび―が、えーんってしてるから……。ろしーた、やぁだー!」
ロシ―タちゃんは顔をクシャクシャにして涙と鼻水を流していた。
「ロシ―タちゃん、ごめんね。泣き止んでっ……!」
私がロシ―タちゃんを抱きしめて、シルビア様が私たちを抱きしめてくれる。
ロシ―タちゃんからはお日様の匂いがして、シルビア様からは薫衣草の香りがした。
シルビア様が私たちの頭を撫でてくれる。
(もう……何も心配いらないんだわ……)
三人で抱き合っていると、胸が温かくなってくるのが嬉しかった。
一瞬顔を伏せたシルビア様が再び顔を上げると、涙は払われていた。
「……さ、もう、泣くのはやめて夕飯にしよう……」
シルビア様は感情を押し込めるのが上手いのかもしれない。
「は、はい。急いで準備しますね。ロシ―タちゃん、行こ?」
「……ん」
ロシ―タちゃんは鼻水をすすりながらついてきてくれる。
私とシルビア様がロシ―タちゃんと手をつなぐと、三人の影が長く伸びた。
「ロシ―タ、今日はお肉だよ。ニンニクたっぷりのね」
シルビア様が悪戯っぽく微笑む。
「もうっ、シルビア様ったら!」
私達のやり取りを聞いたロシ―タちゃんは、涙を零しながら、にかっと笑った。