第44話 夕餉(ゆうげ)の支度
食事を終えたフィ―ちゃんは診療所から母屋に移って、そこで生活することになった。
一階の西側奥、南側の部屋が私、その向かいの部屋がロシ―タちゃん、ロシ―タちゃんの部屋の隣がフィ―ちゃんの部屋だ。
母屋に移ってから、フィ―ちゃんは自室でぐっすりと眠り続けた。
翌日のお昼を過ぎても起きないので、私はとても心配になってしまう。
シルビア様は「過労だよ」と言ったけど、大丈夫かな?
ロシ―タちゃんが何度もフィ―ちゃんの部屋を覗いて、シルビア様と私に叱られた。
手持ち無沙汰なロシータちゃんを、クローゼットにあった亜麻綿の白いワンピースと、カボチャのようにモコモコしたドロワーズに着替えさせるととても喜んでくれた。
私も何度かお水を持って様子を見に行ったけれど、フィ―ちゃんはピクリとも動かず眠っている。
一緒に様子を見に来たシルビア様が昨日と同じお香を焚いて、部屋が安らぎの香りに包まれた。
シルビア様がフィ―ちゃんの脈を取る。
「夕飯くらいの時間には起きるんじゃないかな。私も研究の合間に様子を見に来るから、そんなに心配しなくても大丈夫だよ」
「ありがとうございます、シルビア様」
精霊ちゃんたちに世話を任せたシルビア様は、薬草の研究をすると言ってまた自室へと戻っていった。
去り際に私とロシータちゃんの頭を撫でていってくれるのが嬉しい。
「なーなーゆみぃ」
くいくいっと、スカートの裾が引っ張られて振り向く。
「どうしたの、ロシータちゃん?」
「ふぃー、ひとりぼっち、かぁいそーだぞー。ゆみーとろしーた、いっしょ、しよー!」
ロシータちゃんもフィ―ちゃんの様子が気になっているみたい。
裾を掴まれたまま引きずられそうになるところを、踏ん張って抵抗する。
フィ―ちゃんの部屋まで連れて行こうとしているな?
「ふぃーをぎゅーするんだぞ! みんなでねたら、びょーき、ばいばいだぞ!」
「まだ治ってないから。元気になったら、ね?」
フィ―ちゃんのベッドに潜り込みかねないロシータちゃんを、今度は私のほうが引っ張って、私は台所に向かった。
「フィ―ちゃんはまだちゃんとしたものが食べられないかな? ロシ―タちゃんは何が食べたい?」
「……に――――く――――――――!!!!」
ロシータちゃんは、すっきりしない不満気な顔をしながらも答えてくれた。
フィ―ちゃんの件には納得できないけれど、どうやら食欲には勝てなかったようだ。
(ごめんね、ロシータちゃん。ロシータちゃんの優しい気持ちは、ちゃんとわかっているからね……)
「お肉かぁ」
保存箱の中を探ると、魔力菜とトマトのサラダに、クルミの入ったパンを見つけた。
同じく見つけた寸胴鍋の中は玉子のス―プで、とろみがついていて、とても美味しそうだった。
空葡萄のストックも沢山あるから、これも後でフィ―ちゃんに持って行ってあげよう。
お肉のおかずだけ作ればいいかな。
食材はわりとあるから、そこから選ぼうっと。
「この塊のブロック肉は、魔猪かな……この鳥肉はロックバ―ドね……ルネがよく狩ってきてくれたっけ……あ、伝言鳥、出してない……」
鳥肉から伝言鳥を連想してしまった。
後でいっか。
とりあえず、今は晩御飯の準備だ。
魔猪肉も、ロックバ―ドのお肉も、街のお肉屋さんではけっこう高値で売っていたっけ。
ルネ様々です。
シルビア様も、贅沢に食材を使わせてくれるから助かるなぁ。
「ろしーた、魔猪にく、がいい! しもふりさいこ―!」
「しもふりなんて、よく知ってるね。……そうね、これを薄く切って焼いて、フィ―ちゃんに食べてもらおうか。ロシ―タちゃんはいっぱい食べられる?」
「ん! らくしょ―!」
ロシ―タちゃんが手伝ってくれるのは嬉しいな。
二人で台所に立つのも楽しいよね。
「ロシ―タちゃん、リンゴむける?」
「ろしーたにまかせろ! おねえさんだからな!」
ロシ―タちゃんが包丁を持ってリンゴの皮をむく。
シュルシュルシュル
リンゴの皮は均一の厚さで一つながりに剥けていく。
「ロシ―タちゃん! すごい! 上手!」
「えへへ」
意外な特技を知ってしまった。
ロシ―タちゃん、もしかしてすごく器用なんじゃないかしらっ?
ロシ―タちゃんはリンゴを綺麗に丸くむくと、長い皮の端を口に入れてモグモグと食べだした。
あれっ?
「ろし―た、み、いらないー。かわ、おくれ―」
「えっ⁉ そうなのっ?」
「かわのが、うまーい! カリカリ、さいこー」
ロシ―タちゃんは皮をびろ―んと垂らしながら食べ、空葡萄のお皿を持って逃走する。
フィ―ちゃんの部屋で食べるつもりだな。
目覚めないフィ―ちゃんを、ロシ―タちゃんも気にしてるのね。
「起こしちゃ駄目だよ!」
「わかってるぞー!」
ロシ―タちゃんは頭の上にお皿を掲げると、部屋のドアを精霊ちゃんに開けさせて静かに部屋へ入っていく。
つい子ども扱いしてしまうけど、ロシータちゃんは私が思うよりも大人なのかもしれないな。
大きな器を食器棚から準備すると、そこにおろし器を使って、しょうがと大蒜をすりおろしていく。
ロシ―タちゃんがむいてくれたリンゴもすりおろして入れ、香ばしい胡麻から作った油と、お酒、東洋のしょっぱい調味料も入れてみる。
この黒い調味料はしょっぱいけれど味が深くてどんな料理にも合って、すごく美味しい。
ルネがお土産に持ってきてくれて、私が気に入ったら毎回持ち帰ってきてくれたっけ。
ルネは、元気にしてるかしら……?
昨日は結局、伝言できなかったから、なんて伝言を送ったらいいかな……
『ルネへ、私は今、時魔法師のシルビア様の家で、吸血生物のロシ―タちゃんと、半妖精のフィ―ちゃんと一緒に生活しています。心配しないでね』
……こんな感じかしら? でも、いきなり色々言われてもわからないわよね……
我ながら、文才というものが全くないわ……
なんて言ったら、自分の気持ちを上手く伝えられるんだろう?
『私、ここで少し頑張ってみたいです』……かな?
ルネ、わかってくれるといいな……
できたタレに白胡麻をふり入れる。
魔猪のお肉を大きめの木のまな板に載せる。
フィ―ちゃんに食べられる元気があったら、夕飯に食べてもらおうっと。
切ったお肉をタレの入った器に入れていく。
全部入ったらタレの中でもみこんで少し置く。
「よし。これでいいわね」
少し鷹の爪で辛くした方が美味しいけど、ロシ―タちゃんや弱っているフィ―ちゃんは食べられるかわからないから、辛いのと辛くないの二種類作っておこうっと。
ロックバ―ドのお肉も漬け込んでおこうかな。
保存箱からレモンと長ネギを取り出し、大きな器を準備して絞り器でレモンを絞っていく。
お塩と、ハ―ブを乾燥させて細かくしたものを混ぜた調味料があったのでこれを使おう。
パラパラと器に入れてっと。
胡椒もミルがあったのでひいておこう。
長ネギを刻んで、器に入れたらオリ―ブの油も一緒に入れて混ぜ合わせる。
ロックバ―ドのお肉を一口大に切ったらそこに入れて漬け込む。
「今のうちに焼いておこうかな。保存箱に入れておけば冷めないし。シルビア様は辛いの苦手じゃないかな?」
「大好きだよ」
突然背後から聞こえてきた声に驚いて、私は飛び上がってしまう。
「わっ! シルビア様っ⁉」
「ふふっ。驚くユミィも、私のために作ってくれているユミィも、どちらも可愛いね」
き、聞かれてたのっ⁉
恥ずかしくなって俯くと、シルビア様は嬉しそうに私に近づこうとする。
私は思わず後ずさった。
「ユミィ、なんで逃げるの?」
シルビア様が悲しそうな顔をした。
「あ、私、大蒜の臭いがするので……もう今日のお仕事は終わったんですか?」
恥ずかしさが極まって顔が火照ってくる。
私が後ずさるとシルビア様は距離を詰めて来る。
「うん、今日の仕事は終わり。美味しそうな匂いだ。食べてしまいたいね」
シルビア様は鼻をスンスン動かして楽しそうにしている。
私はなんだかもじもじしてしまう。
「だ、駄目です。駄目です」
「ふふっ。じゃあ、これで……」
シルビア様が指を振ると、浄化魔法の水色の光に包まれて大蒜の臭いが消え、レモンの香りだけが残った。
「あ、臭いが消えました……ありがとうございます……」
シルビア様が私に一歩近づく。
「ふふっ、やっとユミィに近づけた~」
「あ! そうだ、シルビア様。お肉をつけてる間に……ルネ、弟に伝言鳥を出したいんですが……」
ルネの名前を出すと、シルビア様が一瞬、虚をつかれたような顔になる。
「いいよ。外に出ようか」
シルビア様がやっと離れてくれてホッとする。
まだからかい足りないみたいだけど、私はシルビア様に近くに来られると心臓が破裂しそうになってしまうので困る。
どうしてこんなに胸が高鳴るのかはよくわからないけど……シルビア様が、とても綺麗だからかな……?
夕日を浴びて振り返るシルビア様に、私の心は引き寄せられていく。
(離れたいけど、離れたくないのよね……)
シルビア様の後に続いて、私も外に出た。