第39話 ロシータ
次の日も、その次の日も、穏やかに日々は過ぎて行った。
あれからロシータちゃんは、三人でのお昼寝がお気に入りになったみたいで、好みの場所を見つけては提案してくるようになった。
『きょうは、おはなのはたけのとこで、ねるぞー』とか、『きょうは、ゆみぃの、となりなー! ろしーたのあたま、なでなで、するんだぞー!』とか、『しるびー、いっしょにねよー』とか。
また豹のお姉さんたちみたいな患者さんが来ないか心配だったけれど、ロシータちゃんのお陰で元気を取り戻すことが出来た。
朝起きて朝食を作り、洗濯と掃除をする。
洗濯は魔道具の洗濯箱に入れておけば終わるし、掃除もシルビア様が夜のうちに屋敷中浄化してくれるのでやる事はほとんどない。
だけど、ちょっとした細かい所の拭き掃除をするだけでも気持ちがいいのよね。
朝、家じゅうの色々な場所を拭いて回るのが私の日課になりつつある。
身体をテキパキと動かすことが、私は大好きなんだなぁと実感する。
もし、あのまま闇オークションで売られていたら……
こうして穏やかに生活することなんて、出来なかったはずだ……
押しかけて来た獣人たちの言葉を思い出す。
怖い考えが浮かんでブルっと震え、尻尾や耳の毛が逆立った。
生きてここにいられる事に、もっと感謝しなくてはいけないな。
掃除が終わるとロシータちゃんと遊んだり、シルビア様が淹れてくれるお茶の準備のお手伝いをする。
シルビア様は夜を研究の時間に充てている様で、毎朝眠そうにしていた。
どんなに研究が大変そうでも、シルビア様は朝食を食べてくれるし、お茶会を催さない日は無い。
(ロシータちゃんと私、三人で過ごす時間を大切にしてくれてるんだな……)
朝食を終えたら、シルビア様は自室に戻ってまた研究。
研究の後は薬草園を回って、研究に必要な薬草摘みや土の採取をする。
採取を終えたら、お茶会が始まる。
温かいお茶で一息ついたら、お昼ご飯の支度を始めて、三人で食べる。
その後、診療所やお庭に行ってみんなでお昼寝をするのが一連の流れになっていた。
「あれ? ロシータちゃんは?」
もうすぐお茶の時間だけど、私が家事をする間に森へ遊びに行ったロシータちゃんが戻ってこない。
シルビア様はまだ研究をしているみたいだから、私が探しに行かなくちゃ。
ロシータちゃん、どこかで迷ってないかな?
また、変な人に捕まったら……
気づいたら、外に飛び出していた。
衝動的に出てきてしまったけど、シルビア様に一言言ってから出た方がよかったかな……
けれど、今探しに行かないと、後悔してしまうような気がして、止まることが出来なかった。
私は森の中に足を踏み入れる。
……やっぱり、すごく広いな……
見つかるかな……? ううん、見つけなきゃ!
森の中は広葉樹が多くて、どの木も青々として瑞々しい。
見た事もない珍しい植物も沢山あった。
赤や黄色の、派手な色をした茸や花は、毒があるかもしれないから気をつけよう。
私は鼻をヒクヒク動かし、クンクンとロシータちゃんの匂いを探る。
ロシータちゃんからは暖かいお日様みたいな匂いがするのよね。
洗い立ての服を天日で乾かしたみたいな――
私の鼻が動きを止める。
森の奥の方から、ロシータちゃんの匂いがした。
「ロシータちゃん!」
進んだ森の奥の大岩の上で、ロシータちゃんは大きな口を開けて、あどけない顔で眠っていた。
「くー。かぁー……」
「ロシータちゃん……」
ロシータちゃんが無事にいた事にホッとして、私も大岩の上に登りロシータちゃんの横に腰掛ける。
「んー。……ままうえー」
寝ぼけたロシータちゃんが私にすり寄って、私の膝を枕にして眠る。
身動きの取れなくなった私はロシータちゃんの髪を撫でた。
紅い髪が、太陽の光を受けて輝いて炎の様に見える。
シルビア様はロシータちゃんの事を200歳は超えてるって言ってたけど、とてもそうは見えないわ……
背が低いロシータちゃんは5歳よりもだいぶ幼く感じられる。
時折、寝ぼけながらあどけない笑顔を見せてくれるのがとても可愛い。
私が何度も髪を撫でていると、ロシータちゃんがゆっくりと目を開いた。
「ん? ゆみぃ? ままうえ?」
「おはよう、ロシータちゃん。ゆっくり眠れた?」
「んー」
ロシータちゃんは少しぼんやりした目でコクリと頷く。
「ろしーたの、おっきぃけーきはー? ままうえと、ぱぱうえ、たべちゃったかー⁇」
……まだ寝ぼけてるわね。
夢の世界に戻ろうとするロシータちゃんの頭に、ぽんぽんと軽く触れて、眠気を覚まそうとしてみる。
柔らかい太陽とロシータちゃんの体温……その両方の温かさが微睡みへ手招きしてるけれど、なんとかこらえる。
「ケーキ、いいねぇ。今日のお茶会で、シルビア様が出してくださるかもしれないねぇ」
「……しるびー! けーきっっっ‼」
突然、雷に打たれたかのように、真紅の大きな瞳が開かれた。
「わぁっ⁉ 起きたの、ロシータちゃん」
……お、おそるべしロシータちゃんの食欲……っ!
「ねぇ、ロシータちゃん。起きたばかりで言うのは悪いんだけど……どこかに行く時は、行く所を教えてほしいし、時間を決めて戻ってきてほしいな」
「んー? なんでー?」
私の言葉にロシータちゃんは首を傾げた。
私はロシータちゃんの頭を抱えて、髪を撫でながら言い聞かせる。
「……だって、私もロシータちゃんも、悪い人に捕まったから……私はロシータちゃんの事が心配なんだよ……」
「ろしーた、もう、つかまらないぞー。ろしーた、おなかすいて、うごけなくなったから、のはらで、つかまったんだぞ。ひんけつ、ってやつだぞ」
シルビア様が倒れた時に言葉を覚えたのか、少し自慢気にロシータちゃんは言った。
「そっか……ロシータちゃんは血を飲まないと貧血で動けなくなっちゃう体質なのね……今は大丈夫?」
「ん! ゆみぃと、しるびーのち、おいしかった! のんだら、つよくなったぞ! しばらく、のまなくてもへいき! いま、ろしーた、さいきょうだぞ!」
ロシータちゃんは両腕に力こぶを作る。
小柄で細いロシータちゃんが言うと、強がってるみたいでとても愛らしい。
「ふふっ。ロシータちゃんは可愛いね……でも、いくらロシータちゃんが強くても、一人でどこかに行かれると、やっぱり心配だよ」
ロシータちゃんの姿が見えなくて、すごくハラハラした。
「ろしーた、さいきょーになったから、あのおやま、いってくるぞ! しるびーのけーき、たべたら、ひさしぶりの、ぼーけんいくぞ!」
冒険という言葉にはまだ不釣り合いに見える幼い手が、遥か彼方に聳え立つ山々を指さした。
「えぇっ、あんなに遠い山、すぐには辿り着けないよ」
「ろしーた、あしたもどるつもりだったぞー」
「明日は厳しいんじゃないかな……麓に辿り着くかどうかも分からないよ?」
「じゃあ、あしたの、あしたかもー?」
……うーん、あの山に特別な目的があるわけじゃないみたいだけど……
「だいじょーぶ、またあえるぞー! せわになったぞ!」
ロシータちゃんの目線はどこか遠いところを見つめているようだった。
私達と出会う前は、思いつくまま風のように生きてきたのかもしれない。
けれども、闇オークションの実態を知った今、私はお節介を止めることはできなかった。
「あのね、ロシータちゃんにお願いがあるんだ」
「んー? なんだなんだ?」
「冒険に出る時は、私を連れて行ってくれないかな。シルビア様にも相談して、旅の準備を一緒にしよう。ロシータちゃん一人だけの冒険は心配なの。私は毎日、ロシータちゃんの顔が見たいから」
ロシータちゃんは口を開け、ポカンとしている。
「まいにち? あした、も? あしたのあした、も⁇」
「うん、明日の明日の明日も。ずっと」
ロシータちゃんは紅玉みたいな目を細めて、嬉しそうにふにゃっと笑う。
「まいにち、かお、みるの、かぞくみたいだなー。ゆみぃ、すきー! ままうえみたいー!」
ロシータちゃんが私に抱き着く。
「私が、ママなの?」
「うん! ゆみぃと、しるびーが、ままで、にぃにうえ、と、ねぇねうえ、も、ほしいなー」
「ふふっ。それは楽しそうだね」
ロシータちゃんは賑やかな家庭に憧れがあるのかもしれない。
ロシータちゃんの可愛らしい願望に、くすぐったさと嬉しさが込み上げた。
「おちびも、ほしいぞー! こぶんにするぞっ!」
「こ、子分? 弟とか、妹じゃなくて?」
「んー? よくわからんー。でも、こぶん、だぞー! おちびさんは、ろしーたが、いっぱい、まもってやるんだぞ!」
200歳といっても、ロシータちゃんの心は、まだ幼いみたいだな。
自分より小さい子と関わった事があまりないのかもしれない。
でも小さい子に関わる機会ができたとしても、優しいロシータちゃんならきっと大丈夫だと思う。
「ロシータちゃんなら、どんな子とも仲良くできそうだね」
「えへへへ、まかせろっ!」と、ロシータちゃんから、弾けるような笑みが零れた。