第3話 弟との生活2
古ぼけた窓の木枠から眩しい朝日が差し込んで、室内を明るく照らした。
こぢんまりとしたこの山小屋が、5年前に亡くなった両親がわたしとルネに残してくれた財産だ。
ちょっと古ぼけてはいるけれど、木の温もりが優しくてけっこう居心地がいい。
寝着から生成り色のいつものワンピ―スに着替えると腕まくりをして朝食作りに取り掛かる。
「ちゃっちゃと朝ごはん作っちゃおっと!」
今朝使うのは、昨日わたしが採った山の果物と、街で買ったパンに卵、ルネが狩ってきてくれた岩クラゲのお肉だ。
「岩クラゲと目玉焼きでいいよね」
使い慣れた古い魔道コンロに火をつけ、フライパンをのせ温め菜種油を敷いていく。
薄切りにした岩クラゲのお肉は、最初は食べるのをためらったけど魔猪のお肉くらい美味しい。
魔猪肉より油が少なくてサッパリしていて、噛めば噛むほどに深い味が出てくるから、いくらでも食べられるのよね。
今では魔猪肉より好きなくらいだ。
岩クラゲを「捕るのが大変だった」ってルネは言ってたけど、毎日のように持ち帰れば簡単に捕っていることがわかった。
ルネはわたしと違って運動神経はいいし、力も強くて魔法も色んなのが使えるみたい。全然見せてくれないけど……
食卓に水差しを準備すると、ふとした拍子に肘が当たってしまう。
「あっ……!」
割れてしまうと思って慌てて取ろうとした手は空振りする。
左足が思うように曲がってくれなくて、取り損ねた水差しは床を転がっていった。割れなくてよかった……
わたしの左足は昔崖から落ちたせいで、今でも思うように動かない。
狼の獣人なのに走り方は兎のようで、ぴょこたん跳ねるからカッコよさのかけらもないのよね。
ルネはそんなわたしを気づかって自分も色々できないふりをする。
わたしが転んだ話をすると返ってくるのは「俺もよく転ぶ」。
今みたいに物を落とすと「手が滑った」って自分も物を落とすし……
気をつかってくれるのはわかるけど、ルネが本当は些細なミスなんてほとんどしない事くらいは知っている。
だって、ご近所さんに岩クラゲのお肉をおすそ分けに行ったら「こんな珍しくて高価なものをありがとうね!」ってすごく喜ばれたもんね。
そこでようやく、岩クラゲが狩るのが困難な高級食材だって知ったんだわ……
不器用だったら絶対に狩る事なんてできないわよね。
ルネが優しいのは有難いけど、もっと自分の事も考えてほしい。
岩クラゲのお肉を片面軽く焼いたら、ひっくり返して卵を二つ落とす。
蓋をして蒸し焼きにしてしばらくしたら、塩コショウをかけて完成だ。
胡椒はとても高価だけれど、これもある日ルネが「もらった」と言って、ミルごと持ってきたものだ。
胡椒って、金と交換できるほど高価らしいのに、そんなものをホイホイくれる人がどこにいるのよ……
これは、「胡椒ってどんな味かな~?」って言ったわたしの為に買ったものだよね……?
お姉ちゃんは嬉しくてたまらなかったけど、それでルネが冒険者として荒稼ぎしている事を知ってしまったのよ。羨ましい。
「焦がすんじゃね―ぞ」
身支度を終えたルネが悪態をつきにくる。
小さな頃は可愛かったルネは、今ではすっかりぶっきらぼうになってしまった。
「隠そうとしても無駄だよ?」
わたしがニヤリと笑うとルネの眉根がピクリと動いた。
「何が?」
「この前、ルネがいない時に『ルネ君いますか? ギルドで見かけて一目ぼれしました♡』って、女の子が会いに来てたよ! それも、一人じゃなくて何人も!」
「……そいつら、家に上げたんじゃないだろうな?」
私の言葉にルネは嫌そうにしかめっ面をする。
「上げないよ。どんな娘だかわからないし」
「そんなら、いい」
そう言って食卓に着いた弟を見て、私はため息を吐いた。
ルネが女の子たちの申し込みを全部断っちゃってるのって、わたしのせいなんだよね。
わたしの面倒をみてるから冒険者としての活動も早く帰宅できるものだけに限られてしまってるのだ。このままじゃいけないと思うの。
出来上がった岩クラゲエッグをお皿に盛りつけて緑の野菜を添える。
果物は別のお皿に多めにのせて、サラダとス―プも別に作った。
「「いただきま―す!」」
舌にのせた岩クラゲのお肉はとってもジューシーで、食べると元気が湧いてくる。
山で採れた新鮮な果物も、サラダもスープも我ながら美味しいわ。
ルネ、今日は機嫌いいかな? 今日こそルネに了承してもらわなきゃ……
「あのね、ルネ、わたし……冒険者ギルドに登録しようと――」
「駄目。絶対」
間髪入れずに拒否される。
「なっ、なによ。自分は登録してるじゃない」
思わずルネを睨むけど、ルネは気にせず食事を続けている。
「冒険者ギルドは荒くれ者や悪どい人間も出入りするんだ。ユミィが来たら登録してる間に品定めされて、外に出た瞬間に餌食にされるぜ」
実際、採取で稼いだお金を他の冒険者に巻き上げられる事はよくあるらしい。
それはわかっているのだけど、わたしはどうしても諦められない。
「うっ……じ、じゃあ、商業ギルドならどう? ルネが一緒に行ってくれればいいよ!」
「却下。悪どい商人に目をつけられたらどうするんだ? それに、俺と一緒に行ったら、俺に付きまとってる女どもがユミィを目の敵にするぞ」
「ううっ……」
「別に、金には困ってないし、今まで通りの生活で構わないだろ?」
身体能力があるルネが狩りをしたものをギルドに卸して金銭を稼ぐ。
何もできないわたしがやっと採取した山の木の実を街の商店に頼んで引き取ってもらう。
これで稼げる金銭の差は一目瞭然だった。
いつの間にかルネはギルドで冒険者として実績を積む一方、わたしといえば街で山菜を買いたたかれる事がほとんどで……
生活には困ってないけど……お姉ちゃんとして、面目ないのよね……
わたしの心を読み取った様にルネに反論される。
「ユミィが採取クエストこなせたとして、ギルドに毎回俺がついていけるわけじゃないからな」
「ううう……」
「……だから、前から言ってるけど、ユミィの採ったものは無理に街に売りに行かなくてもいいって。家で食べて、ご近所さんにおすそ分けするくらいあれば充分」
「……わたしもお金稼ぎたいよぉ……」
わたしが垂れ耳をさらにペタンとさせると、ルネの語気が少し柔らかくなる。
「……なんか欲しいもんでもあんのか? 買っていいぞ」
ルネはわたしにはわりと財布の紐が緩い。
それはとても嬉しいけど、わたしはいつも遠慮してしまう。
だって、ルネに返せるものが何もないんだもの……
「別に、そうじゃないけど」
自立したい。ルネの世話にはなりたくない。
冒険者という職業がどんなに過酷なものなのかわたしは知っていた。
ルネが冒険者として駆け出しの頃、「弟君の怪我の具合どう?」って、街の人に言われた事が何度もあった。
最初は意味がわからなかったけど、ルネは怪我すると街の治療院で治してきて、わたしには何も言わなかったんだってその時知ったのよね。
今では怪我する事はほとんどないみたいだけど、できればもっと安全な職業に就いてほしい。
ルネには感謝してるけど、重荷になんてなりたくない。
わたしが子どもの頃はルネ以上に何でもできたらしいけど、今ではすっかり逆転してしまっているのよね。
ルネの人生にわたしって不要な気がする……
わたしの心情を察したのか、呆れた顔で溜息を吐かれる。
「俺の稼いだものはユミィのもの! これでいいだろ? 無理なんかしなくていいの!」
ぶっきらぼうに言って、食べ終えた朝食の皿を流しに下げてさっさと行ってしまう。
「行ってきます!」
バタンと閉まった扉を見つめる。
ルネは誰よりもわたしの怪我した足の事を考えてくれる。
わたしが危険な目に遭わないように気を回してくれる。
「だけど、わたしは自分の力で生きていきたいのよ……」
わたしも、ルネの様に大人として成長したいし、それに――
わたしを必要としてくれる誰かに会いたい……そんな人がいるのかはわからないけど……
なんとなく小指が温かくなった気がして、ギュッと手を握る。
ルネは『危ないからあんまり遠くに行くなよ』っていつも言われてるけど……
「今日は少し遠くまで足を延ばしてみよう」
珍しい食材が見つかるかもしれないしね。
後片付けを終えた、籠を首にかける。今日も沢山採取しなくっちゃ。
「よし、行くぞ!」
わたしは狼の姿に獣化し四つん這いになると、張り切って緑の草原へと駆け出した。