第37話 来訪者
「来客、ですか……?」
患者さんのお客様がいらした……ということなんだと思うけれど、シルビア様が張りつめた雰囲気をまとい始めて、私はそこが気になった。
あのベル、ワラビー獣人のお婆さんが来た時は緑だった気がする。
今は赤だけど……一体、どんなお客様が来たんだろう?
「……二人とも、外へ出よう」
シルビア様のただならぬ低い声に、私とロシータちゃんはすぐさま母屋から出た。
鼻で森の様子を探ってみると――森の奥から人間たちの匂いを感じた。
匂いはどんどん屋敷の方へと近づいてくる。
「シルビア様、三人の人がこちらに向かってます」
「そう……ありがとう、ユミィ」
シルビア様が指を鳴らすと、私たちが生活する母屋は見えなくなる。
……今のシルビア様の魔法、認識阻害っていうのだったような……。
ルネがたまに私に使ってくれる時がある……魔物が近くにいる時とか、採取で危険な場所に近づく時とか。
……でも、何で今?
「ユミィ、ロシータ、よく聞いて。今、屋敷と君たちの姿を見えなくしたんだ」
「えっ。私達にも、ですか?」
「おー⁇ ゆみぃと、ろしーた、すけすけ⁇」
認識阻害の魔法が施されていたと知って、何かが起こり始めているという予感に、背筋がぞくりとしてしまう。
「……これから何があっても声を出さないでね?」
そうこう言っているうちに、屋敷を目指して三人の人間が歩いて来るのが見えた。
男の子二人に、女の子一人。
三人は診療所の入口までやってきて、先頭の少年がシルビア様の前へ立った。
「……あんたが、時魔法師か?」
「そうだよ」
冷静に返すシルビア様に、少年はポケットからハンカチを取り出し、中に包まれた獣人の毛を見せる。
「これで、俺たちの体を元に戻せるんだろうな?」
怪訝そうに睨みつける少年に既視感があった。
(この三人……みんな、闇オークションにいた商人たちの子供だわっ!)
既視感の正体がわかって、冷や汗が背中を伝い、恐ろしさで体が震える。
シルビア様は、獣人の魂を魔法……魂の交換で、人間の体と入れ替えたって、言っていたけど……
つまり……商人の子供の姿をしているけれど、この子達の中身って……あの時、闇オークションに居た獣人ってことよね?
(そっか……この人たち、命は助かったのね……)
少し安堵したけれど、三人にはぴりぴりと緊迫した不穏さがあった。
(どうして……? これって――殺気……?)
「できるよ。中に入って」
シルビア様の後について少年二人と少女一人が診療所の中に入って行く。
彼らは私とロシ―タちゃんに気付いた様子が全く無かったので、私達はこっそりと後に続いた。
三人は診療所の中をジロジロと見まわしている。
その値踏みするような視線に嫌なものを感じて、なんとなく彼らから無垢な精霊の木を隠したくなった。
(……あれ? 精霊の木は……?)
昨日、窓際に置いてもらった精霊の木がどこにも見当たらなくなっていた。
もしかして、シルビア様が認識阻害の魔法をかけておいたのかもしれない。
シルビア様は、この人たちをそれくらい警戒してるってこと……?
「一人ずつ、こちらの診察室へどうぞ」
まずは三人の先頭にいた、茶色い髪の少年を連れ立って、シルビア様は診察室の中に消えて行った。
残った栗色の髪の少年と赤毛の少女はイライラしたように待っている。
しばらくして診察室から出て来たのは、先ほどの少年ではなく馬の獣人のお兄さんだった。
あ……この人、恐ろしい人間に買われていたっけ……
「やった! 本当に元に戻った!」
「よかった! 噂は本当だったんだな!」
馬獣人のお兄さんが、待っていた少年たちと喜びあう。
とても嬉しそうな姿に、私が感じた違和感は錯覚なのだと思った。
無事に、身体を戻せてもらえてよかった。
次に診察室に入って行ったのは女の子だった。
処置が終わって、診察室からアルマジロの獣人の男の子が顔を見せた。
そうか、本人とは性別が違う体に入っていたのか……
アルマジロの獣人の少年は喜んで泣いていた。
最後に診察室に入った男の子が、私を一番驚かせる。
男の子は、切れ長の瞳が印象的な豹の獣人のお姉さんになって、シルビア様と一緒に診察室から姿を現した。
あ! あのお姉さんはっ、檻の中で奴隷商人の事を教えてくれた人だ!
よかった……三人とも、逃げられたんだ……
三人の獣人さんたちが無事だったので、嬉しくて涙が出そうになる。
殺気を感じたのは、気のせいだったのね……
「ありがとう、あなたのお陰で助かったわ」
ニコニコした豹獣人のお姉さんがシルビア様に手を差し出した。
「いや、私は――」
シャッ!
その瞬間、シルビア様の左頬は深く切り裂かれ、血がドクドクと流れ落ちる。
「――なんて言うと思った?」
「「(!)」」
私とロシータちゃんはいきなりのことに目を見開いた。
(なっ、なにっ⁉ 一体、何が起こってるのっ⁇)
豹のお姉さんの鋭い爪がシルビア様の頬を深く引き裂いていた。
馬とアルマジロのお兄さんも、豹のお姉さんと同じ恐ろしい目でシルビア様を睨んでいる。
一瞬のことで左足が上手く動かなくて、私は飛び出すことができなかった。
私がシルビア様の前に立っていれば、シルビア様は傷つかずに済んだのに……
「アンタさ……私達を救ったとか考えてる? ……違う! 私たちは助けられてなんかないっ! アンタに見捨てられたんだっ!」
怒りを隠せないお姉さんの声が響き、馬のお兄さんが続けて言った。
「よく聞けよ? 俺達の体は、人間の子どもの親に、目も当てられないほど滅茶苦茶にされていったんだ。……目の前で見せつけられてな! 俺のだった体が! 下卑た人間どもに、笑いながら殴り殺されていったんだ!! その気持ちがお前にわかるのかよっ⁉」
あまりの酷い内容に声が出そうになって、私は思わず口を押える。
ひどい。
あんまりだ……
残された獣人たちがどうなっているか、シルビア様に聞いていたはずなのに……
闇オークションに来ていた人間達の残酷さに、心の底から恐怖を感じる。
「今までアンタは魂の交換の魔法を使ってきたって、他の獣人から聞いたぜ。『体の一部を持って行けば、元の体を複製してくれる』って喜んでる奴もいたけどよ、そんなのクソ食らえだぜ!」
アルマジロの獣人がシルビア様を睨みつけて、吐き捨てるように言った。
当のシルビア様は無表情のまま、ただ静かに三人を見つめていた。
「私たちは、アンタを絶対に赦さない。アンタほどの腕を持つ人間だったら、もっと他に方法があったはずでしょ? 魂の交換なんてまどろっこしいことしてないで、あの人間たち全員を殺せばよかったのに!」
豹のお姉さんの怒りに震える声を浴びても、シルビア様は言い返したりしなかった。
「そんな目で見るのはやめろ……見下してんのかよっ⁉」
微動だにしないシルビア様に痺れを切らしたのか、アルマジロの獣人が手を振り上げる。
(だめっ! シルビア様に当たっちゃう――……!)
「やめてっ! この人を傷つけないでっ‼」
私がシルビア様の前へ飛び出すと、私とロシータちゃんにかけられた認識阻害はあっという間に解けてしまう。
「!! お前達、いつからそこにいたんだ!」
急に現れた私たちに、三人は驚く。
(シルビア様をこれ以上傷つけさせたりなんかしない!)
私はシルビア様を後ろに庇う様に立って三人に向き合った。
「……アンタ達、あの時のっ……!」
私とロシータちゃんのことを覚えてくれていたらしい。
けど、豹のお姉さんの眼光はますます鋭くなっていく。
「あの後、アンタ達だけ会場からいなくなってて、……ずっと不思議に思ってたんだよ。まさか、その魔法師に逃がしてもらってたとはね……? ……狡いわよっ! 自分たちだけ逃げて、卑怯だと思わないのっ⁉」
捲し立てるような豹のお姉さんの言葉は、身体に突き刺さるようだった。
(だけど……シルビア様に怒りをぶつけるなんて、間違ってるよ……!)
「確かに私はあの場にあなたたちを置いて逃げました。その事はごめんなさい。……だけど、彼女がいなかったら、あの闇オークションにいた獣人は誰一人、命は無かった筈です。自分の体が傷つけられていくのを見るのは辛かったと思います。でも、直接の拷問を受けず、新しい体も作ってもらって、そして元に戻れたのは、全部シルビア様のお陰です。今、新しい体があるだけで……こうやって生きてるだけでも、すごい事だと思うんです」
自分でも驚くほど、一気に言葉が溢れ出した。
……でも、まだ足りない。――言いたい事は、まだあるの。
「……それに、彼女に人殺しをさせようとするのはやめてください!」
私が一気に言うと、三人の獣人たちは憤怒の表情に変わり、血走った目で私達に詰め寄った。
「わかったような口をきくな! 俺は元の体の方が愛着があったんだ。責任を取れ!」
「そうよ! 私たちは傷つけられたのよ! コイツら人間にね!」
「元の体に戻せないなら、せめて誠意を見せろ! 買われた金額と同じ額、アンタが払え!」
獣人たちの声に身構える。
ああ、だめだ。
わかってやれないって目をしてる……
わかりたくないって目だ……
確かに、酷い目に遭ったこの獣人たちの気持ちは、私にはわからない。
だけど、助けてくれたシルビア様を貶めるのは違うと思う。
「言ってる事が滅茶苦茶じゃないですか! 彼女は、私達を助けてくれたんですよ!」
「五月蠅い! 黙ってろ!」
馬獣人が私の肩を強く押した。
よろりと後ろに下がった私の両肩を、シルビア様が支えてくれる。
「ユミィ、大丈夫だから下がって」
「でもっ!」
「大丈夫だから、ね?」
穏やかな目で見つめられ、仕方なく下がる。
シルビア様の頬から血が滴り落ちて床に血だまりができた。
ロシ―タちゃんが血だまりをじっと見ている。
こんな場所にロシ―タちゃんを連れて来てしまった事を、今更ながら後悔する。
怖い思いをさせて、ごめんね。
私は震えながらロシータちゃんの肩を寄せる。
冷めた目で三人を見ていたシルビア様の顔に、ゆっくりと笑みが広がっていく。
左頬から血を流し微笑む顔は、ひどく艶めいて見えた。
「あなた方の言い分はわかりました。お帰りください」
「えっ……?」
「なんだよ、話は終わってな――」
シルビア様がそっと三人に左手をかざす。
「記憶を消します」
紫色の闇い光が三人の頭にキラキラとかかる。
すると三人の目は、先程まで怒りに支配されていたのが嘘のように虚ろなものとなっていく。
そして踵を返した三人は診療所から静かに出て行った。