第35話 賑やかな朝
外が薄明るくなってきて、魔力硝子から朝日が入って来る。
昨夜は結局、ほとんど眠ることはできなかった。
“今、ユミィが健康で幸せに生きている事が何よりも大切なんだよ”
一晩中、頭の中でシルビア様の言葉が響いていた。
(でも……手術したら、当時の記憶は消えてしまうかもしれない……)
亡くなった両親や弟のルネとの思い出以外に、忘れてはいけない大切な事が、絶対にあったはず……
(うーん、堂々巡りだわ……。寝てても起きてても同じね……)
寝るのは諦めてのろのろと起き出すと、身支度を整えて居室へ向かう。
居室は食事室も兼ねている庶民的な作りで、天体を模した美しい柱時計が、音も無く静かに時を告げていた。
時計が指し示す時刻に、項垂れてしまう。
あまり眠れなかったから、起きるのがゆっくりになってしまったわ……
広い出窓には既に起きたロシ―タちゃんがいて、猫のように丸まって精霊ちゃんたちと日向ぼっこをしていた。
「おはよう、ロシ―タちゃん」
「はよ―、ゆみぃ」
後ろから声をかけると、寝ころんだまま笑顔で返事をしてくれる。
「お腹の具合はどう?」
「ばっちぐ―」
昨日あんなにケ―キやサンドイッチを食べたから、心配だったのよね。
ロシ―タちゃんと精霊ちゃんたちが仰向けになってお腹を上にする。
ふふっ、今度は子犬みたい。
ワシワシとロシータちゃんのお腹を撫でていると、ロシータちゃんが「きゃー」と言ってくすぐったそうに笑う。
笑ってるロシータちゃんや精霊ちゃんたちを見ていると、心が柔らかくなってくる。
撫で続けていると、ロシータちゃんのお腹が「ぐうううう~~」と大きな音を立てて鳴った。
「朝ごはん、準備するね」
「おー!」
落ち込んでばかりはいられないわ。
台所に行き、保存箱からサラダを取り出す。
アリアさんの作り置きは、あと数食分で終わりだ。
食材はあるから、作り置きがいつ無くなってもいいように、私の手料理も少しずつ加えていこうっと。
「ゆみーぃ、ごはんつくる? なにつくる⁇」
私のスカートにしがみついてくるロシータちゃんの頭を一撫でする。
「簡単なものかな。ロシ―タちゃん、台を拭いてもらえる?」
「いいぞー!」
ギコギコ
ロシ―タちゃんが布巾を流し場に投げ入れ、魔道ポンプを勢いよく操作する。
「ゆみぃ、できないー」
「えっ、どうしたの?」
水が止まりでもしたのかと、ロシータちゃんに近づいて、様子を伺ってみる。
すこし頬が膨れたロシータちゃんの手元には、水をたっぷり含んだままの布巾が握られていた。
「おかしい……。みず、なくならないぞ……!」
(なるほど……布巾がうまく絞れないのね)
私はロシータちゃんの手首を、後ろから抱え込むようにして掴んだ。
「こうやってね、横じゃなくて、縦に絞るんだよ」
「おぉ⁉ ゆみぃ、てんさい!」
コツを掴んだ事が嬉しいのか、ロシータちゃんの小さな手は夢中で布巾から水気を取っていた。
「できたー! ろしーた、ゆみぃのわざ、きざみこんだ!」
「うん。とっても上手だよ!」
ロシ―タちゃんに台拭きを任せると、私は保存箱から卵を取り出す。
卵料理がなかったから、目玉焼き作っちゃおうかな?
フライパンを魔道コンロにかけて火を点けると、調味料入れから出した菜種油を敷く。
魔道コンロは私の実家にあったものとは性能が段違いで、こちらの作ろうとしている料理がわかっているかのように、火加減を自動的に調節してくれる。
どんな仕組みになっているのか、サッパリわからないけど、習うより慣れた方がいいわよね。
コツコツ、パカッ
温まったフライパンに卵を割り入れると、ジュワッといい音がする。
ペロッ
コツコツ、パカッ
ペロッ
ん……? 何か、変じゃないかな……?
横を見ると、割ったはずの卵の殻が消えていた。
台を拭き終えたロシータちゃんが隣に居て、私の手元をじっと見ている。
目が合ったロシータちゃんがにんまりと笑ってくれて、ぷっくらした紅い頬っぺに和んでしまう。
ロシータちゃんが卵の殻を片付けてくれたのね。
コツコツ、パカッ
ペロッ
サッと横を見ると、ロシ―タちゃんが長い舌の上に卵の殻を載せて食べていた。
「ロ、ロシ―タちゃん! 殻は食べちゃダメだよ!」
「だいじょ―ぶ。ろし―た、から、すき♪」
バリバリといい音をさせながら、ロシ―タちゃんは美味しそうに殻を飲み込んだ。
「あっ! めっ!」
「うまぁ~♡ ぱりぱり、さいこー!」
ロシ―タちゃんは殻を食べて元気になったのか、ぴょんぴょん跳ねて階段を上り、精霊ちゃんたちと二階へ逃走する。
吹き抜けからシルビア様の部屋に向かったのが見えた。
「しるび―しるび―、おきろ―、おきろ!」
シルビア様の部屋に辿り着いたロシータちゃんが、ドンドンドンと、扉を容赦なく叩いた。
精霊ちゃんたちも一緒に囃し立てるようにピーピー言いながら周囲を飛んでいる。
「ロシ―タちゃん……シルビア様が寝ていたら悪いから、大きな音を立てちゃだめだよ」
台所から吹き抜けを見上げて声をかけると、ロシ―タちゃんが長い舌を伸ばしてニヒヒッと笑うのが見えた。
(あらあら……朝から本当に元気だなぁ)
音が止んだので、作業に戻ろうと目を離した瞬間――
「ロシ―タ……ロシ―タぁ……」
シルビア様の声が聞こえてきたので、もう一度、吹き抜けの方を見た。
シルビア様がしどけない寝着姿で部屋から出てきて、ロシ―タちゃんににっこりと笑いかける。
「ひっ!」
ロシ―タちゃんはすごい速さで吹き抜けから飛び降りると、私の後ろまで走ってきて隠れた。
「ロ、ロシ―タちゃん! 二階から飛び降りるのは危ないよ!」
「へ―き。ろし―た、じゃんぷ、とくいだぞ!」
ロシ―タちゃんが後ろから私に抱き着くと、シルビア様に引き剥がされる。
魔法で身支度を整えたシルビア様が、いつの間にかそばにいた。
「わっ! び、びっくりしました……おはようございます」
「……おはよう」
シルビア様は今日も夜通し研究していたのか、ぼうっとしている。
「だ、大丈夫でしたか、シルビア様……」
「まぁ……起こしてくれたのは助かったけれどね……。頭に響く……」
「ロシータちゃん、次は大きい音じゃなくて、優しい声を出せるかな?」
「ごめんだぞ、しるびー。ろしーた、から、たべたから、げんきいっぱい!」
(あっ、そうだ! それも心配なんだった)
「あの、シルビア様、ロシ―タちゃんが卵の殻を食べちゃって……シルビア様からも体に悪いよって言ってくれませんか?」
卵の殻は食べると食当たりの原因になるって聞くもんね。
ロシ―タちゃんは私の言う事よりも、シルビア様の言う事の方が聞いてくれる気がする。
「……大丈夫じゃないかな? ロシ―タは、火蜥蜴と吸血鬼の子だから……」
「えっ⁉ サ、火蜥蜴って……?」
「簡単に言えば、精霊の仲間だね。だけど、火蜥蜴は精霊よりも強い、精霊の上の妖精の、更に上の……上位精霊だね」
精霊……上位精霊……⁇
よくわからないけど、なんとなくとてつもない存在なんだと理解する。
でも……吸血鬼っていうのは、もしかして……魔物の……⁇
闇オークションの前に鑑定士たちが来た時、ロシータちゃんの種族がわからなくて混乱していたけど……
まさか、そんなすごい存在だったなんて……
「……ロ、ロシ―タちゃん……精霊さん、だったの?」
「ん―? ろしーたは、ろしーただぞ?」
ロシータちゃんは残っていた殻の欠片に舌を伸ばしてニコニコしながら食べ終えてしまう。
……本人も、自分の種族のこと、よくわからないのかな?
ロシ―タちゃんの事は知りたいけど、あまり深く聞くのは悪いようにも思えるし……
魔物の子っていっても、ロシータちゃんみたいに無邪気な子が悪い魔物なわけないわね。
「口がこんなに開くのも、舌が伸びるのも、トカゲだからだよね?」
シルビア様がロシ―タちゃんの両頬を掴んでびょ―んと伸ばす。
ほっぺたをグングン伸ばされて、いきなりのことにロシータちゃんは不機嫌になる。
「ふがぁっ! ふがあっ!」
ロシータちゃん、よく伸びるもちもち肌なのねっ!
だから、昨日あれだけ食べ物が口に入ったんだわ。
「しるびー、おかえしするぞー!」
ロシ―タちゃんも負けずにシルビア様の両方の頬っぺたを引っ張った。
感心していると、二人の頬っぺたの引っ張り合いっこが始まった。
二人とも本当に仲がいいなぁ。
私も頬っぺ引っ張ってもらいたいなぁ、なんて……
……はっ、それよりも先にしなきゃいけない事があるわね。
ロシータちゃんの事がわかったわけだし、私のことも自己紹介しようっと。
「ロシータちゃんのことが知れて嬉しいよ。私は狼の獣人なんだ。改めてよろしくね、ロシ―タちゃん」
シルビア様とロシ―タちゃんがお互いの頬から手を離すと、二人の頬が紅くなっていて可愛いかった。
「えっ⁉ ゆみぃ、うさぎじゃないのっ⁈」
ロシ―タちゃんは私の垂れ耳を見て、驚きの声を上げる。
あ、やっぱりそう思うよね……。
「この耳を見たら、誰だってウサギの獣人だと思うよね。でも私は狼の獣人なの。双子の弟はすごく狼らしいんだよ」
「ゆみぃ、おとーと、いるの? ゆみぃ、おとーと、あいたい?」
ロシ―タちゃんが心配そうに私の顔を覗き込んだ。
「大丈夫だよ。ルネ……弟はすごくしっかりしてるから。冒険者をしていて忙しいし、私が家を留守にしていれば長期の依頼を受けられるから、むしろ丁度いいのかも」
考えてみれば、ルネは私がいるから長期クエストを受けることができなかったのよね。
長期クエストは冒険者として学べる事が多いし、報酬も高いって街で聞いたなぁ。
私って、……本当に足手まといね……
でもこれからは、私も頑張って生きていくからねって、一応連絡はしておきたいな。
「シルビア様、後でまた伝言鳥を出していただいてもいいですか? 弟に連絡を取りたくて」
「いいよ。……でも」
シルビア様が私の服を掴む。
「……ここに、いるよね?」
黒い詰襟の衣装を身にまとい、艶やかな黒髪を後ろに流したシルビア様は、誰がどう見ても高貴な淑女に見える。
だけど、いま私の目に映る彼女は、道に迷ってしまった子供のようでハッとする。
「は、はぁ。……います、よ?」
(うう、またすぐに仕事を放棄すると思われてしまったのかしら……?)
私が言葉を返すと、シルビア様は納得したのか、頬を桜色に色づかせる。
微笑んだシルビア様の美しさに目が離せなくなり、何も考える事ができなかった。
「ゆみぃ、たまご、こげた!」
「あっ、ああっ!」
目玉焼きは黒く焦げ付いて縮んでしまっている。
「ふふっ。大丈夫だよ」
シルビア様がフライパンの上で手を左周りに一周させると、半熟の美味しそうな目玉焼きに戻った。
「あ、ありがとうございます……あの、これ、時魔法ですよね……? そのっ、私の失敗の為に使ってもいいのでしょうか?」
「初めてユミィが作ったものだからね。森羅万象に赦される行為さ」
シルビア様の嬉しそうな笑顔を見ると、私は恥ずかしくなって慌てて次の作業に取りかかった。
今日のパンはフル―ツが入っていないから、薄く切っても大丈夫そうだ。
パンを切り分けたら、片側の面に真夜不眠を塗っていく。
塗ったところにサラダを並べて、その上に更に焼いた卵を載せれば、完せ――……!
あ……!
料理が出来上がったところで、昨日のお茶会のメニューにサンドイッチがあったことを思い出した。
お茶会でシルビア様が振舞ってくださったのは、肉厚なハムや濃厚なチ―ズのサンドイッチだった。
挟まれていたものは違うけれど、これは失態だわ……。
なにやってるんだろう。
自分で思うより、私の頭はいっぱいだったみたいだ。
私は落ち込んで、作業する手を止めた。